俳句の詠み方と小説の書き方/藤野可織『爪と目』を読んだ
Posted at 13/09/20 PermaLink» Tweet
【俳句の詠み方と小説の書き方】
やたらと忙しく疲れていた。昨夜は持ち越しにしてあった仕事を2時半までかかって片付け、6時半には起きた。疲れてはいたが、大変な時こそ前向きに、明るくやらないとな、と思った。そう思ったら心が軽くなるくらいには元気だったようで、とりあえず明るい気分でいろいろなことをしている。
本の木の森 | |
堀田耕介 | |
パブー |
昨日いろいろ話をしていて、久しぶりに私の小説を読んでみたいという人が現れたので少し嬉しくなって、冊子になっていたものを用意したり長編を印刷したりして渡す準備をした。ネットの方に出してあるのはときどき思い出したようにamazonやパブーで買ってくれる人がいるがやはり100円の『ガール』の方ばかりで、なかなか1000円という値つけをした『本の木の森』の方は買ってもらえない。まあそれは買う側になってみたらそんなものだよなあと思う。面白いかどうかわからない名前も知らない作者の本を1000円出して買おうというモノ好きはなかなかいないだろうと思う。そういう意味では、100円くらいで出せる短編をいくつか書いて、それをamazonやパブーに出して誰かが読んでくれるのを待つ、というのがまだ現実的なやり方なのかもしれないと思った。
ガール | |
堀田耕介 | |
パブー |
今朝母と話をしていて、母はここ数年俳句の会に出席しているのだが、そういうものにもともとあまり縁のない人なので、新しい句の提出の前は毎回呻吟している。見てくれというから見てみるのだが、発想は面白いと思うのがときどきあるのだけどそれがなかなか句になっていない。俳句というものは五七五の定型詩だから、やはりそこに表現できる詩想というのはやはり形式によって拘束される。五七五で読む人が何をうたっているのかわかる内容というのはやはり限られて来る。それに季語とかいろいろな約束事があるから、ますます詠める内容は限定されて来るのだが、逆に言えばそれがぴたっときまった時はなかなか快感がある。
私は詩を書いていたことはあるし(いまでもときどき書くが)小学生の頃は俳句を作るのがけっこう好きで入選もしたことがあったが、専門的なことを学んだわけではないし句会に参加したこともないので本当は偉そうなことは言えないのだが、やはり俳句であっても結局は詩であると思うし、そういう意味では句のいのちがポエジーであることには違いないと思う。特に俳句というものは、まあ私の考え方かもしれないが、「異色のもの、違うものが出会うこと」にあるのだと思う。まあ「ミシンと蝙蝠傘の出会い」みたいなことだけど、視覚と記憶の出会い、聴覚と諧謔味の出会い、字面とイメージのギャップ、そういう取り合わせの新鮮さみたいなものに意味があるのだと思う。まあ新鮮であればいいというわけでなく、やはりそこにポエジ―は必要だし、また季節をうたうという大前提があるので季語も入れて季節感を出す必要がある。
まあそういう意味で言えば、俳句というものは発想と技術が必要なわけだ。まあ当たり前なんだけど。だから母の句を見てこれはこうした方がいいんじゃないかとまあ私がポエジーを感じやすいようにアレンジして見せたりはするのだけど、それが良い方向に行っているとは限らない。まあでも参考くらいにはなるだろうと思って言っている。最近はけっこう母も人の作った句を読んでいるらしく、一向に上手くならないと落ち込んでたりするのだが、まあそんな簡単に上手くなるものではないし読んで作って批評される、というのを繰り返すしかないし、まあ技術とかもそろそろ勉強してみてもいいんじゃないかとも思う。「定石を学んで囲碁が弱くなり」ということもあるけど、一定以上うまくなろうとするならやはり定石は必要だろうと思うし。
まあそんなことを考えていたら、それはそのまま自分の小説のことにも帰って来るんだと思った。
私は詩というものがポエジー、それは出会いだから結局はあるベクトルのようなものだと思うのだけど、そういう言い方で言えば小説というのはそのベクトルがいくつか集まってある平面を作っているようなものだと思った。いわゆる文学はそういうある種の平面で、それに「面白さ」という三次元が加わるとエンタテイメントになる、という感じ。まあ「面白さ」に関してはこういう面白さは面白くない、みたいなところが私には強くあるのでなかなかエンタテイメントでいいと思うのはないのだけど、マンガならそれなりの広さが守備範囲にはあると思う。しかし世の中で大変売れているマンガみたいなものの中で進んで読もうと思うものはやはりあんまりはない。ただ、特に『進撃の巨人』は『このマンガが凄い!2011年版』というもろに売れ線を集めた本で読んで買ってみたわけだから売れているものの中に侮れないものがあることは最近は十分わかってはいる。わかってはいるが、なかなかだから読みたいとは思えないものだ。
まあ、マンガは趣味だからそれでもいいのだし、だからこそ自分の好きなものを追い求めて行けるというところがあるのだが、小説というものは私は基本的にそんなに面白いと思っていない。でもやはりフィクションやファンタジーというものに慣れ親しんでいるところはあるから、面白いものに出会いたいとは思う。そして、あまり面白いものがないにしても、やはり一番自分にとって取り組むべきジャンルは小説だとなぜかどうも思ってしまっているので、曲がりなりにも自分が面白いと思える小説を書いてきた。
私が面白いと思うのはもちろん内容だから、その内容が良ければパッケージはどうでもいい、という感じがあったのだけど、俳句のことを考えていたらそういうわけにはいかないなと思った。私は逆に言えば小説がそんなに好きではないから、内容にしかこだわらないのだけど、小説が好きで読んでいる人には小説というものの定石というか公式というかこういう面白みがあるはずという追求の仕方というか、そういうものがあるので、そういうものにあまり無頓着な作品はなかなか受け入れられない、というか読む気にもならないんだなと思った。
詩がある種のカットみたいなものだとしたら、小説は大画面の絵画みたいなものだろう。構図がきちんとしているとか、タッチが魅力的だとか、色彩の感覚を味わうとか、絵画に見たいところはたくさんあるわけだけど、小説が好きな人は小説におけるそういうものを無意識にそういうものを求めているのだろう。
私が小説で面白いと思うのは描写の面白さ、文体、話の運び方、思いがけない展開、テーマ、取り上げられている題材みたいなものだけど、まあ私も俳句ならそう考えるけど、破綻の無さみたいなものを重視する人が多いなと思うし、それはある意味まじめな日本の読者の特徴かもしれないと思う。私はまあ破綻してる方が面白いというか、面白く破綻させてほしいというところもあるんだけど、まあ自分の未熟な技術でそれをやると意図的な破綻というよりもただ下手なだけになってしまうので、なかなかそうもいかない。
ただ、今日考えていて思ったのは、私にとって作品とか表現というのが大事過ぎるということをちょっと考えた方がいいということだった。大事過ぎる作品や表現は、逆になかなか人眼に晒すことが出来ない。いま、少し前に書いた作品をどんどん人に見せたいと思っているのは、ある程度自分から距離が置けるようになったからということが大きい。
しかし、考えたのは、むしろ最初から自分から距離を置ける作品をもっとたくさん書いた方がいい、ということだった。自分にとって大事なテーマとか、大事な内容を書こうとするといろいろなものを抱え込みすぎてしまってうまく身動きが取れなくなるし、せっかく書けても理解してくれなそうな人には読んでもらいたくないとか、余計なことを考えてしまう。読まれてナンボだというのに。
だからむしろ、書きたいことを書くのは売れてからでいい、と割り切って、もっと気楽に書けるテーマにチャレンジしてなるべくたくさん書いて行くようにした方がいいのだと思った。
そこで大事になって来るのが、やはりその作品で小説の何を実現しようとしているのかということなのだと思う。
【藤野可織『爪と目』を読んだ】
文藝春秋 2013年 09月号 [雑誌] | |
文藝春秋 |
まあそんなことを考えたのは、昼前に気分転換に書店に出かけ(何しろ睡眠不足なのでもう今日はオフにしてしまえという気持ちで)、書店で本を探していたら見事に読みたいものが何もなかった。まあ考えてみると何冊も読みかけの本を抱えているのだし、そのどれも面白いのだから、新しいものに触手が伸びないのも当然なのだ。しかしまあ、道楽と言うと本屋めぐりくらいしか田舎にいるとないので本屋に来たのだけど、まあしょうがねえなあと思いながら棚を物色していたら『文藝春秋』の9月号があった。芥川賞受賞作品の発表号だから、まあちょっと立ち読みでもと思って内容をぱらぱら読んでいた。いろいろな記事を読みながら、ああこの雑誌はなんというかアヴァンギャルドな人ではなく、中衛から後衛の、それでもそれなりに社会的な役割を果たしている人たちが、世の中のことを理解するために読む雑誌なんだなと思った。そんな感慨を抱きつ芥川賞の選評を読む。
私は小説を書こうと思ってから芥川賞受賞作品をなるべく読むようにしていて、リアルタイムのものだけでなく少しさかのぼって、2000年以降の受賞作品は全部読んでいる。しかしそれが前回の『abさんご』で途絶えてしまった。単行本を買いはしているのだが、どうも読む気を途中でなくしてしまった。いい悪いということではなく、読みたいのはこれじゃない感がかなり強くて、芥川賞作品を読み始めてから初めてなげだしてしまったのだ。そうなってみるともう今更芥川賞でもないかなとか「酸っぱい葡萄」現象が起こってきて、読む気がなくなってしまっていた。『爪と目』もどうもあまり魅力的に思えないというのもあって、まあいいかという気になっていたところがあったのだけど、自分の中の小説熱みたいなものが久しぶりに蘇ってきたのでちょっと手にとって読んでみたのだ。
あまり興味の持てない作品を「解説」から読み始めるということはときどきあるのだけど、「解説」によって読む気になることはときどきある。人の評判というのはなかなか難しいものだけど、さすがに解説はプロが書いているので、どんな面白さが得られそうかはわりあいよくわかる。ブログの書評は、どうだろう。まあ当たり外れはあるし、まあそういう雑なところがある意味ブログの魅力なんじゃないかなという気もする。
まあとにかく、そういうような感じで選評から読み始めた。受賞に至るのに、誰が推薦してだれが反対したとかは、結構その作品の面白さの質を知るのに役に立つことが多い。石原慎太郎とかがいた頃は小川洋子とか山田詠美とかその辺の選評が参考になることが多かったのだが、今ではもうその辺が選者のセンターという感じになってきたので、むしろ村上龍くらいの選評を読むのがどこがどう評価されていて面白いのかを知るために有効な感じがしている。
その村上が『爪と目』を評して言うには、「表現方法にそれぞれ意匠を凝らした作品が三作あり、その中の一つ『爪と目』が授賞作となった。意匠を凝らすというのは、リアリズムからの意図的な逸脱ということだ。……程度の差はあるが、読む側は戸惑いと負荷を覚える。」ということだ。なるほど、『爪と目』というのは意匠を凝らしてリアリズムから意図的に逸脱した作品らしい。まあ前回の『abさんご』もそういう作品だったと私は認識しているのだが、その逸脱の仕方に前回はついて行く気が起きなかったけれども、若い人(作者の藤野可織は80年生まれだから33歳か)の作品ならたぶんついて行けるんじゃないかと思った。
選評や作者インタビューを読んだ限りでのこの作品の印象は、「世代的に同じ人たちが触れてきたもの」を踏まえておけばけっこう分かるのではないか、というものだった。(余談だが、『進撃の巨人』はそういう認識を全くはるかに超えていて、恐怖とか違和感とかに負けずにきちんと筋立てを読みとれるようになるまで一年はかかった気がする。まあそういうものに慣れていないということも大きかったが)作者のインタビューには「小説は情報だということをいつも意識している」とか「正確に記述することを心がけている」とか、「映画やマンガの怖いシーンは、ある美意識のもとに、凄く考え抜かれた構図で作ってあると思う」とか、すごく言っていることが分かりやすい。分かりやすい、普通の読者にとって受け入れやすい感性なんだなと思う。
好きな作品として絵本の武田和子『魔女と笛ふき』があげられていて、この中の変身とか誘拐とかいうモチーフがこの作品に入っているのだという。いじめられて不登校になっていた小学校三年生の時に見ていたのもディズニー映画やジブリ映画だったそうで、この人は全くわけのわからないものを書きそうだという不安、あるいは期待みたいなものがあまりない。今はそういうあまり抵抗のないものを読んで勉強した方がいいような気がして、結局買うことにしたのだ。
爪と目 | |
藤野可織 | |
新潮社 |
読み始めると確かに不思議な意匠で書かれているという印象。父の不倫相手が「あなた」という名前で呼ばれ、父の娘が「わたし」と呼ばれている。しかしこれは慣れてしまえばそんなに違和感もないと思った。そういう約束事だと思えばいい、という感じ。二人称小説、と評されているが、今まで読んだ範囲で言えばイシグロの『日の名残』のほうがずっとある意味二人称が生かされているように思う。
読み終えてみると、思ったより面白かったという感じ。それはつまり、最後がある種の復讐譚になっていて、無力な女の子の猟奇性が最後に露わにされる、ということだろうか。主人公である「あなた」は、まあもちろん「いい人」ではないのだが、きわめて「ふつう」である気がした。付き合いたくはないが。いや、何と言うのだろう、こういう人を「ふつう」と感じるのは、ネット上で読む女性のホンネ的なものを踏まえて初めて「ふつう」という感じがするのだろう。まあそういう意味ではこの「ふつう」感はある種のヴァーチャルリアリティだ。
途中、「あなた」が不倫相手だった「わたし」の父の亡くなった妻の「すきとおる日々」と題されたブログを読みふけり、「お試し同棲」を「わたし」と私の父としているその生活を、妻がしたかったようなものを買い揃えてそれを真似て行くことに夢中になったりするのは、まあやはり何らかのサイコ感はあるのだけど、そういうこともあるんだろうなあという何と言うか「ふつう」感がそこにもある。この人にとってネットやブログやパソコンは外在的なアイテムではなく、自分の存在に深く根を下ろしている、いやそれは私やこれを読んでいる人と同じくらいには自分の中に根を下ろしている「もの」として書いているという感があり、今まで読んだ中で最も「自分自身の延長としてのネット」感が書かれていると思ったし、たぶんそこが新しいんじゃないかと思った。まあそういう小説はこれからいくらでも書かれるだろうと思うけど、たぶんこういう「ネット主婦」のあり方は本当に今のある種の「ふつう」を書いてるように思う。
作者の言うような意味で、この小説のラストの場面が「ある美意識のもと、考え抜かれた構図で作られている」と言えるかどうかはやや難しい感じがする。どうも何と言うか、ごちゃごちゃしているというか、爪を噛む少女のメタファーは分かりやすいけれども、ドライアイであることが「あなた」の存在の何のメタファーなのかが良くわからない。その辺が少し惜しい感じがした。
何と言うか小説を書く技術という観点から見ると、上手く行っている点もどうかという点も両方あって、そういう意味でも勉強になると言えるようには思った。
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