池上英洋『神のごときミケランジェロ』など

Posted at 13/08/04

【池上英洋『神のごときミケランジェロ』など】

今日は午後、散髪に出かけ、そのあと少し散歩をしながら、日本橋を歩き、東京駅から有楽町まで電車に乗って、丸井の中のツタヤで本を見たり、また二丁目の通りを銀座通りまで歩いたり。銀座通りの歩行者天国では、浴衣を着た大勢の人たちが木の盥で打ち水をするというイベントをやっていた。その時ちょうど私は教文館4階のカフェにいて、外の見えるカウンター席に座っていた。

散髪をした後、なんかぼうっとしてしまって、何を買うでもなく歩いていて、東京駅の南口のユニクロでエアリズムの上と下と、靴下を買ったりしたのだが、教文館で立ち読みして、とんぼの本の池上英洋『神のごときミケランジェロ』を買った。ミケランジェロは彫刻家であり、画家であり、建築家であり、軍事の専門家でもあるわけだが、彫刻ではマニエリズムの祖となり、絵画では専門でないと描くことから逃げ回り、建築ではバロックの先駆者となった、という。なるほど、まあ私が不勉強なせいもあるが、多方面の天才が多いルネサンス期のイタリアにおいても、ミケランジェロという人はひときわ巨大な才能であったということは再認識した。まだ読んでいる途中だが、確かに彼の絵画は彫刻やレリーフに近い感じがするし、彼の本分はやはり彫刻なんだろうなと思った。

神のごときミケランジェロ (とんぼの本)
池上英洋
新潮社

日本橋に戻ってパンを買い、洗濯用の液体洗剤や夕食を買った。知らない間に買い物のレジ袋が増えていき、財布から羽が生えたように夏目漱石が何人も飛び立っていった。

帰ってきて昨日録画してあった宮崎駿と半藤一利の対談を見る。半藤という人はあまり知らないのだけど、姿勢のいい昔のおじいさんという感じの人だった。戦前に生きたことのある人のあの姿勢の良さというものは、見倣いたいのだがなかなかマネが難しい。宮崎駿はアニメーターという背中を丸めてやる仕事のせいもあるが、やはり戦後のわれわれと同じく背中が曲がっている。宮崎は半藤を「老いの見本にしたい」といい、半藤は宮崎を「まだ日本にも天才がいた」という。『風立ちぬ』の中のいくつかの映像が引用されていたのがよかった。『進撃の巨人』17回をニコニコ動画で見る。これからMXで18回が放映される。

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