諌山創さんの『風立ちぬ』感想を読んで

Posted at 13/08/01

【諌山創さんの『風立ちぬ』感想を読んで】

火曜日に帰郷の際、丸の内の丸善で『風立ちぬ』関係の本を二冊買った。

風立ちぬ (ジス・イズ・アニメーション)
小学館
風立ちぬビジュアルガイド (アニメ関係単行本)
角川書店

上の本はどちらかと言えば子供向け。下の本はインタビューなども載っていて読みでがあった。どちらも、一度見てからの方が映画自体を楽しむにはいいと思う。

今日は『進撃の巨人』関係のものが何かないかと探しに行って、『リスアニ』という雑誌を見つけた。

リスアニ! Vol.14 付録DVD付き(みみめめMIMI 完全新作!!「君のいる町」公式イメージソング「Mr.Darling」) (M-ON! ANNEX 570号)
エムオン・エンタテインメント

これはアニメ音楽の雑誌で、アニメ『進撃の巨人』のオープニングをうたっているLinked HorizonのRevoや、第2クールのエンディングを歌っているcinema staff、また劇伴を作曲している澤野弘之のインタビューが掲載されていて、いろいろと読みでがあった。この作品は、本当にプロの人たちがものすごいやる気で取り組んでいるということがよくわかり、本当に『2013年のアニメ』としてある意味歴史に残る作品になってるのだなあと思った。熱意がほとばしるように伝わってきた。

『進撃の巨人』作者の諌山創さんのブログが『現在進行中の黒歴史』というのだが、この今日のエントリが「「風立ちぬ」を見ました」というもので、これを読むとこの人がどう言う人なのか、凄く伝わってくる。

そして、作中でも常に侮れないと思うのだけど、このブログの中でも「大きな余白のある作品は自分を映す鏡になることがあります」という言葉があり、なるほどと唸らされた。そう、余白が大きいからこそ自分のことを考えるよすがになる、ということは確かにある。この作品がいろいろな語られ方をするのは、確かにその余白にその人なりの何かを読みとってしまうからなのだと思う。

本当にそうだな、と思ったのは「べつに、歴史に多大な影響を与える兵器を作り出した天才じゃなくても自分の生まれ持った資質が社会から逸脱してることに気づいて葛藤するようなことはあるんじゃないでしょうか?」という言葉。この言葉こそすごく余白があって、本当にある意味自分のことを言いあてられたような気がした。

この世に対する「なじめなさ」。それを感じる人は多いだろう。そして、自分の持ってる何かがこの社会で肯定されているものから逸脱していることを発見したとき、人はどう対応するのか。

変な話だが、これは例えば、実直な中年男性がいきなりスカートの中身をスマホで撮ろうとして捕まった、という話を思いついたりした。確かに、普通に考えればバカなことだ。今まで何十年も築き上げて来たものを一瞬でパーにする。もちろんすごく後悔する人がほとんどだろうけど、でもその人には何かそうせずにはいられないものがあったんだろうな、と思った。いや、こんなこと今までそんなふうに考えたことはなかったのだけど、自分が持っている部分でこの世に相容れない部分をどうしたらいいか、ということと、たぶんこのことは本質的に同じ部分があるのだと思った。単なる性欲の問題ではない。

「ないですか?そのへんは自分以外の人になってみないとわかりませんが、もしそうだったとしてそれとどう折り合いをつけて生きていくのか?自分以外の人を思う気持ちが強く働けばそれを押し殺して生きることを選択をするだろうけど。それじゃあ生きるのがつらいだろうし人からは何がそんなにつらいのか理解されないだろうしそもそも、人より自分を優先するろくでなしは生きていいのか?」

押し殺して、圧し殺しきれない部分があるならば、結局人はそれを表現に転化する。表現に転化できずに直接行動に出たら単なる犯罪者として世の中から抹殺される。あるいはただ単に無視されるだけかもしれない。それもまた社会的な抹殺だろう。それは、人を殺す美しい兵器を作る人も、巨人が人間を食うような衝撃的なマンガを描く人も、根は同じだろう。

「唯一「いいよ」と言ってくれた人は多分自分の都合のいい妄想でそれならば、自分に自分を肯定させて一人でも生きていこうと決意して歩き出すそんな強さと恐ろしさを描いた作品に自分は見えました」

それをそういうふうに見るのが諌山さんなんだなと思うのだけど、私は主に人生の「苦さ」という観点からこの映画を見ていたのだけど、一歩も二歩も進んで行こうとするその意志の強さがこの感想には反映されているように思ったし、何というかこの解釈に私自身がかなり力づけられた気がする。

「苦さ」でとどまっていたら、ただ感動で終わってしまうのだけど、「決意」まで行けばそれは行動に結びつく。人生の総括的な意味で終わらずに、さらにまた貪欲にものを作り続けて行こうとする、そういう意志を読みとらなければ、この映画を見る価値には足りないだろうし、だからこそそうした姿勢でのものづくりを否定しようとする人が、この映画を否定しようとしているのだなということが実感できた。

否定しても肯定しても、とりあえずはいいのだが、ただその場で立ち竦んでいるのでは仕方がない。そんなことを考えていたら元気が出てきたのだった。

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