『ジブリの教科書3 となりのトトロ』/好きなことと自然なこと/「ある」というだけで生きる力が湧いてくる、ということの意味/『オトメディア』諌山創インタビューと「物語の終わらせ方」
Posted at 13/07/11 PermaLink» Tweet
【『ジブリの教科書3 となりのトトロ』】
昨日はどうも疲れたらしく、今日は午前中あまり体が動かなかった。とはいえ、仕事場の資源ごみを捨てに行ったり、モーニングを買ってきて読んだりはしたのだが。今日はファミリーマートで買おうかなと思ったのだが、7月11日でセブンイレブンの日(?)だったのでいつもの通りセブンイレブンで買った。
今日は昨日書きかけた『ジブリの教科書3 となりのトトロ』についてもっと力を入れて書くつもりだったのだが、どうもあまり掘り下げる気合がない。夏は本当に冷房が敵で、遠くで少し入れているだけでも身体に影響を及ぼすことがある。逆に気合が入っていれば冷房の只中に居ても大丈夫なこともあるのだが、出来れば冷房なしで過ごしたい。かと言って私も暑いことは暑いので、なるべく身体は風に当たらない、冷気に当たらないようにして、空気だけ少し温度を下げる、という具合にしたいのだが、なかなか難しい。温度に合わせて着る物の量を調整しようとしても、ぼうっとしている時と集中している時では暑さの感じ方が違うし、実際こういうのは難しいなあと思う。
ただ私は基本的に、暑いのは嫌いではない。ぼうっとしてしまうから、あまり過度に集中しないということも実はいいのかもしれないと思う。少し涼しくしすぎて集中してしまうと、頭の緊張が取れなくなるという傾向がここのところ強いので、ぼーっとできる時にはぼーっとするというのが一つのリズムになっているようだ。
リズムと言えばなんだか変なのだけど、朝起きてすぐいろいろ行動を起こして、朝食を食べるとぐたーっとしてしまい、しばらくして起きだしていろいろ用事を済ませ、それから物を書く、というパターンになっているので、ものを書き始めるタイミングが遅く、まとまったものを書くノリが出て来た時には仕事に行く時間になっている、という感じになっていて、どうも難しい。
【好きなことと自然なこと】
私にとって大事なのはバランスが取れることだ、と思っていたのだけど、バランスというよりは本当は「やっていることが自分にとって「自然」である」ということが大事なんだと思った。好きなことをやれとよくいうが、それは自分流に解釈すると、好きなことをやっている自分が「自然」だから好きなことをやればうまくいく、ということだと思うのだけど、自分にとって「好き」というのは必ずしも自分にとって「自然」というのとは違うんだなと思う。自分が出来ないけど憧れるものというのはあるわけで、好きというのはむしろその憧れなので、それをやるということは自分にとっては本当は不自然なこともあるわけだ。
「トトロ」の本を読んでいてわかったことは、自分が「好き」だとは感じていなくても、それが自分にとって「自然」だということがたくさんある、もしくはあったのだということで、あるのが当たり前のもの=「自然」なものをあえて「好き」だとは思わないから、「好きなもの」を考えていくとどんどん自分から遠いものになって行くという傾向が、自分にはあるんだなと思った。だから「やりたいこと」というのが「自分から距離が遠いこと」になってしまい、「やりたいこと」=「ちょっとおいそれとはできないこと」になって行くのだなと思う。
ジブリの教科書3 となりのトトロ (文春ジブリ文庫) | |
文藝春秋 |
そして「できないこと」ばかりやっていると人はどんどん疲れて行ってしまうわけで、結局「好きなこと」「やりたいこと」という言葉が呪文化してしまっているのだなと思った。
言葉を変えて言えば「やりたい」とか「好きだ」というのが「頭で考えたにすぎない」ことであるということで、もっときちんと身体に聞いてみなければいけない、ということになる。だから、「何が好きか」という問いよりも――本当は問う、という行為自体が自分の頭の中でループしているのが問題なので何も言葉で自分に問わないでただやりたいように行動してみてから自分に問い返した方がいいのだが――「何に癒されるか」とか「どうしているときに落ち着くか」ということの方が大事なのかもしれない、と思う。
あるいは、自分にとって自然にあるべきもの、あるいは過去、自然にあったものは何か、と問いかけてみてもいいかもしれない。大地の匂い、ポンプ式の井戸、生垣、短いドブ川、狭く湿った路地、沼地、舗装されていない急坂、きいきい言う自転車の音、国会議事堂の穴の開いていない5円玉持って買いに行けるパン屋。
あるいは埃っぽい坂道、自分以外に誰もいない小さな学校の図書館、夢を見られたころの自分。夜中の空気の中ずっと自転車を漕ぐこと。サッシでない木のガラス戸、その向こうにきらめく恐ろしい稲光。台風の時に打ちつける雨戸。私の言うことだけ聞く犬。
家の砂場。物心ついたときには居た近所の友だち。幼馴染。混雑した急行電車と、窓の外に広がる緑の風景。ずーっと金色の田圃。「トトロ」の本を読んで思い出したのは、やはり自分の中のそういうもの、まだ「疲れ」というものを知らなかった頃の記憶だった。
自分の身体の中にあるのは、そういう日本のある時代の風景であって、それ以外のものではない。自分の頭の中には、ナルニアの世界もあったしフランスっぽい「みどりの指」の場面もあったが、自分の身体の中にあるのはただ、そういうかつては当たり前だったものだけだ。
【「ある」というだけで生きる力が湧いてくる、ということの意味】
「この変な生き物は、もう日本にはいないのです、多分」というキャッチコピーを糸井重里が作ったら、宮崎駿はそれを「この変な生き物は、まだ日本にいるのです、多分」に変えて、糸井も「あ、こっちの方がいい」と思ったというエピソードが書かれているけれども、「もういない」のではなくやはり、自分の中には「まだいる、多分」なのであって、その「いる」ということ自体が大事なのだな、と思った。
「宝島は本当はあるんだ」ということ、「ラピュタはやっぱりあったんだ」ということが大事なように、ただ「ある」ということが大事なものというのがある。それが憧れというものだと思っていたけれども、追憶というものもまた、やはりただ「ある」ということが大事なのだなと思う。
ただ「ある」と思うだけで生きる力が湧いて来る、そういうものがある。『進撃の巨人』の作中に、「エレン、あなたがいれば私は何でも出来る」というミカサのことば、これは恋という観点からしか語られない傾向があるけれども、本当にただ「あればいい」「いればいい」というものがある。実は世の中のほとんどのものが、そうなのかもしれない。
ただ、ある。少なくとも自分にとってはそういうものが世の中にはたくさんある。そこに行かなくてもいいけれども、ある。その人に会わなくてもいいけど、いる。それがあると言うだけで、そういう人がいると言うだけで、いい。むしろ行かない方が、会わない方がいい、とさえ思えるもの。『瞼の母』ではないけれども、会ったばかりに、会いたいという気持ちを起こしたばかりに、永久に失われてしまうこともある。
ある種の憧れ、ある種の追憶というものは、ある種の「畏れ」とおなじものであり、知らないからこそ意味がある、生きる力になる、というものが多い。やらなかったら後悔が残るが、やってしまえばたとえ失敗しても後悔することはない、という言葉があるけれども、本当にそうだろうかと思う。そういう意味では、本当に好きなもの、本当の憧れであるものには、出会わずにいた方が生きる力を強く持ち続けられるという場合もある、という視点もあった方がいいのではないかと思う。どちらが良かったのかは結局は分からないわけだけど。
まあそれはある種保守的、ある種後ろ向きの考えであって、出会おうと決意し出会うという行動を起こしたら、もう後がない。前に進むしかない。前に進みたければ、失うことを恐れてはいけないだろう。たとえそれを失うことが死を意味するとしても。死んでも前に進みたい、と思うならば。
ただまあいずれにしてもそれは――バランスの問題であり、あるいは自然不自然の問題であり、何を選択するかの問題である。「生きること」「生き切ること」のためには、前に進まない方がいいということもある、というだけのことで、「生きること」と「前に進むこと」のどちらを大事にするか、ということでもあるだろう。
必ずしも前に進めばいいとばかりは思わない。それは自分に関してのことで、他の人がどう言う生き方をするかはまた別の話だけれども。死んでも前に進んだ方が幸せな人は前に進めばいいし、今居る場所にとどまってもう少し周りを見た方がよりよく生きられると思うなら、しばらくその場所にとどまればいいと思う。
まあ一人の人間でも、それはそれぞれのステージがあるわけで、今はとどまってその場所で周りを見ること、その場所を知ること、その場所を味わうことに意味がある、というステージもあれば、ただ遮二無二前に進むべき、というステージもあるだろうと思う。
グラウンディング、という言葉がある。大地とのつながりを感じる、という意味だ。大地とつながっているという感覚を実感すること、らしいのだが、どうも私はそういう感覚が今、弱い感じがする。上へ上へと、つまり「憧れ」へと、翼を持って上って行く感じはイメージできても、下へ下へと、自分の存在の根拠への安心感を感じながら、下へ下へと根を伸ばして行く感じを、イメージすることが難しい。それは、ある意味自分が本当に自然に感じる根拠のようなものから切り離された感じがあることと無関係ではないのだろう。そういう意味で、今自分に特に必要なのは、自分にとって自然に感じることを自然に感じている感覚を思い出すことなのではないかという気がする。
つまり、今はどうも私は進むことよりもとどまることが大事なステージにいるらしく、周りをよく見た方がいい感じがする。過去を見て、未来を見て、周りを見て、自分を見る。空気の流れ。自分の身体。何が、「あるだけでいいもの」なのか。誰が、「いるだけでいい人」なのか。すべては流動して行くが、何かが変わったことで自分の中にどういう変化が起こるか。
『ジブリの教科書3 となりのトトロ』は234/327ページまで読み進んだ。
【『オトメディア』諌山創インタビューと「物語の終わらせ方」】
OTOMEDIA (オトメディア) 2013年 08月号 [雑誌] | |
学研マーケティング |
10時前に出かけて、ツタヤで『オトメディア』8月号を買った。これは女性向けのアニメ雑誌のようだが、『進撃の巨人』が6ページにわたって取り上げられていて、2ページにわたって作者のインタビューが、また欄外にキャラクターデザインの浅野恭司のインタビューがあり、それぞれ興味深かった。ただ雑誌が雑誌だけに一冊で買うのが何となく気がひけたので『週刊ベースボール』を買った。こちらは5ページにわたってファイターズの期待の新人・大谷翔平投手・外野手のインタビューが掲載されているのが目玉だったのだが、まあ新人らしく謙虚にいろいろ答えているけれども内容的にはそんなにどうということもなかった。オールスターに選出されたとはいえ、まだ実績的にはそんなにあるわけではないので、あまり話すこともないのは仕方ないかなとは思うのだが。
週刊 ベースボール 2013年 7/22号 [雑誌] | |
ベースボール・マガジン社 |
『進撃の巨人』のインタビューで、諌山は週に一二度アニメの打ち合わせに顔を出しているということで、かなり作者の意志がアニメにも反映されているのだということがよくわかる。ミカサの顔も、入隊式の時にはずいぶん耽美な顔立ち(浅野談)だったのが諌山が鼻を高くしない、唇を厚くしない、と注文がついて途中から修正されているのだという。「ミカサにとってエレンが教祖」だとかエレンが立体機動の訓練がやや苦手なのも「器具のせい」でなく「努力で乗り越えた」にすればよかったとか、ジャンは楽しんで描いていて「言っちゃいけないことも言っちゃう」とか、やはり作者インタビューならではの言葉がいろいろ出て来るのが興味深い。ただ、「あまりにも『進撃の巨人』を好きでいてくださるファンの方が多いなと実感して、これで独りよがりな終わり方をしていいのかなと思いはじめまして…」という言葉は、ぜひ、当初の予定通り「独りよがりな終わり方」をしてもらいたいと思った。しかしまあ作品がこれだけ大きな存在になると、そういう迷いも出て来るというものなのだなあと改めて思ったし、たぶん私ならもっと手前の時期から相当揺れるだろうしなあとも思う。
ただやはり、作品のスピリットみたいなものは、結局は作者の中で完結するものだとは思うので、ぜひその部分は捨てないでもらいたいとは思うのだった。『新世紀エヴァンゲリオン』とかが結局何パターンもの終わり方が出来てしまったのはたぶんそういうことだろうし、『風の谷のナウシカ』もどう終わらせるかが一番大きな問題になったようだから、案外こういうことは古くて新しい問題なんだろうとも思うのだが。そう言えば『侍ジャイアンツ』も『デビルマン』もそうだった。
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