語りかけるような本棚

Posted at 13/06/22

【語りかけるような本棚】

語りかけるような本棚がある。そういう意味で私が今まで一番印象深い本棚は、千駄木の往来堂書店のものだ。ある本を見つけてその周りの本を見ていると、その本もこの本も欲しくなる。この本を読んだら、次にはこれも読まざるを得ないだろうな、と思うような本がすぐそばにあるのだ。そう並べられていることで、手に取ろうとした本そのものもその魅力がはっきりする。こういう本棚を見ているのは飽きない。すうっと目をずらして行くと、この本もあの本も魅力的だ、と思えて来る。本を読む楽しみ、本を読みたいという気持ちを沸き立たせてくれるような本棚。そういう本棚に出会うことはそう多くはない。

子供のころ、あるいは進学して新しい学校の図書館に初めて入ったとき、そこには今まで読んだことのない魅力的な本がたくさんあるように思えてすごくわくわくした。東京に出て、はじめて渋谷の大盛堂書店に入ったとき、新宿の紀伊国屋書店や神田の三省堂書店にはじめて行った時もそうだったし、日比谷図書館や都立中央図書館、国会図書館に行ったときもわくわくしたけれども、それは単純に量的にすごいから自分の読みたい本が無限にあるように感じたからだろう。

若い時にはとにかく、限度なしに本を読んだ。手当たりしだいに何でも読んだし、特に読みやすい新書本は歴史関係を中心に何百冊も読んだ。子供のころは新しい物語を読むのが楽しかったのだが、大学生になったあたりからとにかく新しいことを知るのが楽しく、どんどん読んで行き、自分で本を買えるようになってから何千冊と本を買っていることと思う。

そんなふうには本が読めなくなったのは最近のことだ。昔ならこのくらいの本、数時間で読破したのに、と思うような本が読むのに時間がかかるようになる。それだけちゃんと読んではいるということも多いが、そうでなくただ単に内容を受け入れる速度が遅くなっているということも多い。最後まで読み切れない本も多くなったし、買ったはいいものの少し読んだだけで積読になっている本も増えた。

本とは、私にとって何なんだろう、と考えてみた。とにかく時間さえあれば浴びるように本を読んでいた時期。今は電車に乗っていてもついiPhoneを操作している時間が長いし、一人でうちにいるときも本を読んでいる時間よりパソコンを見ている時間の方が長かったりする。

自分にとって本とは何なんだろう。そんなことを考えたわけではないが、先週から少しずつ本棚の整理をはじめていた。郷里にいるときには郷里の、東京にいるときは東京の部屋の本棚を。それは、自分の取り組むべきテーマということで「少年と音楽」というものが見えたということもあって、この二つを中心に自分の関心のあるテーマの本を見やすくする形で配列し直してみようと思ったからだ。

しかしこれは思いのほか大変な作業だということがやっていてわかった。考え始めるとすぐ疲れてしまうので中途半端で投げ出すことが多いのだけど、そうなると本棚から抜いたまま元に戻されてない本が山になってしまって、床が占領されてしまう。ここ二三日は郷里の部屋で整理を少しずつしていたが、今日は午前中、かなり集中して整理が出来た。整理していると思いがけない本が出てきたり、買った目的をすっかり忘れてしまっていて、改めてみてみてそう言えばそういう目的のために買ったのだと思いだしたりする本がある。これは、自分の中で属性の近い本を近くに配置しているうちに思いだしてくるもので、やはり体を動かしてみないと思いださない記憶というものはあるのだなあと思った。

やっているうちに少しずつ、本棚が語りかけて来るようになって来る。こういうことが好きだったんでしょう、とか、こういうことに興味を持ってたよね、とか。こういうことにチャレンジしてみたけど結局あまりうまくいかなかったね、というのも多いし、こういうことは興味は持っていたけど結局その道にはいかなかったねというものも多い。忘れかけていたけど、こういう色どりを生活に施したいと思っていたね、ということもあるし、それは今からでも出来ること、と思うこともある。こういうこと、今は自分でやるわけではないけど人がやってるのを見るのは楽しいとか、こんな本を読んで社会の厳しさとか運命の過酷さとかを知ったりもしたね、というものもあったりする。

本が語りかけて来ると、自分もまた本棚に向かって語りかけてみたりする。この本、そう言えば最後まで読まずに中断していたな、時間がある時読んでみよう、とか、買った時の心理状態では読めなかったけど今なら読めそうだからまた読んでみよう、とか、並べ直すことで本当に本棚がいきいきとして来る。

もちろん、昔からジャンルごとに並べようとはしていたのだけど、本棚の大きさとか本の大きさとかはバラツキがあるので、大きな雑誌と小さな文庫本が同じテーマを扱っていても隣におけないことも多い。いつの間にかかなりばらばらな、無秩序な本棚になっていたのだけど、ときどきそういう語りかけてきそうな配列にし直して見ることで、今まで他人顔をしていた本たちが、急にいきいきと親しそうに話しかけて来る感じに変わったりするので、やはりこの作業はやっていて楽しい。

そんな本棚作りについて、往来堂に続いて教えてくれたのが玉川重機『草子ブックガイド』だった。このマンガは古書店が舞台で、古書店の年老いた店主が、本の魅力を伝えるためにわざわざ本を入れ替えてその人のための本棚を作ってあげる、という場面が出て来るのだが、これは見ていてああなるほど、と思った。

草子ブックガイド(1) (モーニングKC)
玉川重機
講談社

私は郷里の部屋に5個、東京の部屋に11個本棚があるので、その配列にはいつも苦労しているし、並べきれずに積んでおいたり、ものによっては段ボールに詰めて積んであったりする。当然ながら、前後二列に並べてある棚も多く、なかなかぱっと見でどこに何があるのかが思い出せないし、アクセスだけを考えて並べても全然作業が面白くない。ジャンルごとに並べると言ってもアート関係の本、とくくっても全然中身はばらばらになってしまうし、量が多いだけでなかなか有機的な配列の本棚にできなくて困っていた。一時は全部出版社のアイウエオ順に並べてみる、ということをやってみたことがあってこれはこれでそれなりにうまくいきはしたし、出版社のカラーというものが分かって面白かったという面もあるのだけど、それでも同じ作家の作品があちこちに散らばっているのはやはり気持ち悪い感じがした。

だから読む人の好みに合わせて、そういう本を中心にして有機的な小宇宙、ミクロコスモスを作るようなつもりで本棚を作るというやり方を教えられて、これはとてもいいと思った。一冊の本だけでは表現できない世界がそこに現れる。そこには独特の息づかいが現れ、ささやきが聞こえる。

本は友だちなんだ、と思う。子供のころ、本当に本を読み始めたころは、本は本当に友だちだった気がする。手当たり次第に読むようになってから、本一冊一冊の重みが感じられなくなってしまい、ただ情報の海の中に溺れている感じになってしまっていたけど、今、そういう無茶が出来なくなってまた一冊一冊をゆっくりと、自分の中のミクロコスモスを育てながら読むようになってみると、それに対応した親しい本棚がやはり必要で、そういうものをいま自分はつくっているのだなと思った。

そう考えてみると、自分が本を書くということの意味も、またあらたな光を与えることが出来るのだなと思った。

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