ふみふみこ『ぼくらのへんたい』第3巻

Posted at 13/06/13

【ふみふみこ『ぼくらのへんたい』第3巻】

今週は仕事が忙しく、時間中はかなりフル回転なのだが、このご時世、仕事が忙しいということは有り難いことだと精々励んでいる。ただ、仕事が終わったあとも疲れが残るのは仕方なく、先週整体で操法を受けてから仕事が終わって帰ってからすぐまず脚湯をしてそれから食事をすることにしているのだが、これはこれでだいぶ頭の緊張が取れはするのだけど、やはりきちんと活元運動もしないといけないようで、昨夜などはせずに寝たらどうも時間的には長く寝たのに朝起きてからあまり疲れが取れてなかった。午前中はものを書いたり考えたりするのもあまり気乗りがせず、早めにツタヤに出かけ、それからコーヒーを買ったりガソリンを入れたりして帰ってきて、その後も休み休み動いていた。

今日は旧暦の5月5日で、ということは、本来端午の節句というのはこのような梅雨の時期の行事なんだなと思ったのだが、こんな暑いような寒いような、蒸すような降りそうで降らなかったり降ったら全然やまなかったりするような天候の中で、男子の節句が祝われていたのかと思うと何か不思議な感じだ。新暦の5月5日は文字通り初夏で、「子どもの日」というにふさわしい日差しが降り注ぐことが多いのだけど、本来の節句はこのような鬱陶しい時期に、おそらくは何かの切りをつけるために行われていたのだろうと思うと、全く違う性格の行事のように思われて来るのだった。

ぼくらのへんたい 3 (リュウコミックス)
ふみふみこ
徳間書店

ふみふみこ『ぼくらのへんたい』第3巻。5か月に一度の新巻。表紙はメガネのパロウとユイ。カバーの下の本体の表紙には「パロウちゃんきせかえセット」。1巻はまりかで2巻はユイだった。1巻はみたのに2巻は見てなくて、今気づいた。一番男の子らしい男の子であるユイはやっぱりキュートだと思うのだが、着せ替えをして制服にルーズソックスなどはかせてみてもやはりかわいいだろうなとは思った。こういうの作者さんはノリノリで作ってるんだろうなあと思うと楽しい。3巻のパロウちゃんは基本的に大人の魅力が強調されていて、それはそれでまた楽しいのだが。

扉絵が3月号のカラーページだったもので、3人がセーラー服(冬もの)を着ているのがいい。ストーリーを読み始めてみて、毎月読んでるのにやはり引き込まれるなあと思って読んでいたら、冒頭の10話でいきなりページが追加されていた。30ページから37ページが全く新規のページで、その前後の28ページから41ページまで部分的な手直しが行われている。いつも単行本が出たらその分の連載誌を処分することにしているのだけど、これだけ変更があると連載誌の方も捨てがたいなと思ってしまった。『ピアノの森』などでも描線一つにこだわって直されていたりするが、この巻では絵というよりストーリーや登場人物の心理描写を深めるために追加されているという印象だ。まりかの生い立ちの中での「男であることへの違和感」や「女の子=お姫様になれるかもしれない」という希望、それから「パロウさんが好き」という気持ちの強調。連載誌ではやや曖昧だった部分がはっきりさせられている。どちらがいいとは一概には言い難いが、ストーリーの骨格としては強化されたのではないかと思う。ただ純粋な絵としては連載誌掲載時のものも捨てがたい部分があり、結局2月号は保存することになりそうだ。

それから150ページ・151ページのパロウのセリフが女言葉から男の子言葉に変えられていて、これはより「本音」であることをはっきりさせた感があり、なんかリアルというか、息づかいを感じさせる変更になったなと思う。女装男子がふっと男の子言葉に戻る(しかもパロウは完ぺきな女装を目指しているから、逆にそのほころびが生々しい)時のホンネ感というのはああありだなあこういうのは、と思った。テレビでおねえタレントがいきなり男言葉を使いだす可笑しさというのがあって、あれはまあちょっとあざといなと思うのだけど、むしろこのページのその言葉は初々しさのようなものを感じさせられた。

この作品には絵の上でも好きな場面がいくつかあって、26ページのともちが「まりかは違うの?」という絵、96ページのまりかが「あのとき怒ってくれてありがとう」という絵、いやそんなこと言いだしたらきりがないのだけど、特に好きなのが159ページのまりかと街を下から俯瞰する二枚の絵で、これは高野文子を思い出した。どこがどう似ているのかというのは難しいのだけど、マンガ描写の可能性というものにトライしているということ自体がそういうことを感じさせるのかもしれないと思う。

そう、この巻のあとがきで触れられていてハッとしたのだが、2巻の3話目の第8話から、絵が変わっているのだ。それまではペン描き、8話からは液晶タブレットで描いているのだそうだ。いわれてみて慌てて見直して見ると、確かに線が全然違っている。なんだか以前と絵が変わった印象があって、それが何が理由なのか全然わからなかったのだが、これだけ明らかに線が違うのになぜ気がつかなかったのだろうと思う。

素朴な手描き感とか味わいという面でいえば以前の方がいいのだけど、デジタルを用いているからこその表現の成功というものもあるように思うし、特に先に書いた96ページの絵は「こんな絵を描く人だったかなあ」という何か新鮮な驚きがあったことを思い出す。吹き出しの中のセリフの文字の大きさも違うし、いろいろへえと思うことがあって、興味深いなあと思う。

いろいろな意味で発見の多い第3巻だった。

それにしても、それぞれの恋愛感情がみな一方通行だというのは面白いのだけど、ただその感情の流れを反対に見ると、それぞれがそれぞれに対してすごく信頼感のようなものを持っていて、恋愛感情そのものよりもそちらの方が得難く素敵なキラキラするもののように思える。まりかがりょーちんに感謝し、亮介はパロウを信頼して打ち明け話をし、修はまりかに「自分とは違う」純粋性を見る。何というかふみふみこさんは、そういう宝石のようなキラキラしたものの取り出し方が上手いなあと思う。

ひと雨ザーッと来て、さっと上がった。今週は今までと一転して、梅雨らしい天候になっている。

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by Luke Peterson

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