美術と音楽/少年のための本
Posted at 13/06/11 PermaLink» Tweet
【美術と音楽】
ホモジェニック | |
ビョーク | |
ポリドール |
昨日、ビョークの『ホモジェニック』というアルバムを聴いていた。かなり前に買ったのだがどういうわけかあまりきちんと聞いてなくて、昨日たまたまかけてみたのだが、とてもいいアルバムで驚いた。昨日も書いたが、自分の中の関心が音楽から離れていた時期がかなりあったので、ビョークという存在に関心を持って買ってはみたものの、あまり聴く気になっていなかったのだろう。そういうCDは何枚かあって、時々思い出したように聞いてみるのだが、そんなに心に響くということはあまりないのだけど、昨日のビョークは聴いていていいなと思った。1997年のアルバムで、買ったのは多分2007年くらいではないかと思う。
音楽と美術、というのは中学生の時には両方選択できるが、高校生になった時にどちらかを選ばなければならなかった。普通高校ではそれが普通だと思う。私は中学の時音楽は5だったが美術は3だったのだが、美術を選択した。いろいろ理由はあるが、おそらくは自分の中で音楽はデフォルトで自然にあるものだったのだけど、美術は自分にとっては知的なものだったからだろう。私のいた環境では、音楽はかなりいろいろなものを聞ける環境にあったが、美術は教科書だとか展覧会の図録などを見られる程度で、(もちろん図書館に行けば美術全集などを見ることはできたが)日常的にそこにある存在ではなく、そういうものに飢えている部分があったのだろうと今にしては思う。成績を取るということだけを考えればもちろん音楽の方が有利だったと思うし、音楽をとっていれば楽典なども多少は学べただろうから、そっちの方がよかったかなという気が今考えてみるとしなくはないのだけど、手先は不器用なのだけど平面を自分の意思で埋めていくのは嫌いではなかったので、結局美術を取った。アクリル絵具で好きな本やレコードのジャケットやブックカバーを書く、という課題が出たときにアイザック・アシモフの『宇宙の小石』の絵を描いたのだけど、今思うとマンガというか子どもの絵だったなと思う。きちんと課題は出していたが、まあ2年間3しかもらえなかったのは今思えば仕方ない。
大学で東京に出て、行きたいと思ったのはコンサートやリサイタルではなくて、美術展だった。船橋西武までマグリットを見に行ったり、出光美術館だったかレンブラントを見たり、池袋の西武だったと思うがロートレックを見たりしたことを覚えている。美術を見るのも確かに面白かったし、大学に入ってバンドのサークルにも一時所属したがギターの演奏を上達したいと言う情熱も出なくて、芝居を始めたらそちらの方からは遠ざかってしまった。
幼稚園の時にはヤマハ音楽教室に通い、途中中断はあったが中学生ごろにはピアノを弾ける環境があって、田舎にいたとき、家にはエレクトーンがあったし、中学生のころからギターは人からもらって弾いていたりしたので、音楽には割と自然に触れていたのだけど、美術というものは自分にとって非日常のもので、それに対する憧れのようなものがずっとあったのだろうなと思う。
芝居をやっていた頃は劇中歌をギターで演奏したりもしていたのだけど、芝居から離れると音楽とも疎遠になっていった。本当に身近なものとは多分、距離を置きたいという気持ちが自分の中にあったからなんだろうと思う。しかし、いろいろと自分の方向性を探ってはいたのだけど自分の中の何かが枯渇していくのを感じながら、それがどういうことなのかわからないという感じが続いていた。
2008年に『ずっとやりたかったことを、やりなさい』を読んでからいろいろ試行錯誤をはじめて、いったい自分が何が本当に好きなんだろうということを探り始めて、確かに好きなものはたくさんあるということは分かったのだけど、なんかまだよくわからないところがあった。その中で子どものころは高嶺の花だったマーチンのギター(リトルマーチンだが)を買ったり、ヤマハの電子キーボードを買ったりしたのだけど、実際にはあまり手に触れることもなかった。
ここ十年くらい、音楽は主にクラシックを聴いていたのだけど、まあ今考えるとアウェー感が結構強かったんだなあと思う。美術を好んだのと同じように、やはり知的なものとして音楽をとらえようという傾向が強かったんだろう。
今書いていて思ったけど、私の中でキーボードとギターというのはなんというか二大派閥というか、重要な位置を占めるのだが水彩とか油彩とか言うのはどちらもすごいなと思うだけであまりいろいろな感情が湧くわけではないのだけど、キーボードを取るかギターを取るかみたいなのは凄い重要だと思ってた、もちろんボーカルを取りたいという気持ちもあったし、コーラスもやってみたいと思っていたけど、まあつまり自分の中で音楽というものはギターとキーボードとボーカルとコーラスを中心としたバンドのことなんだなと思った。ベースはギターの延長上でとらえてたけどドラムスは特殊技能みたいな気がしたり。
最近、アニメーションを再び(まともに見たのは70年代後半の宇宙戦艦ヤマトとかタイムボカンシリーズ以来だろう)見るようになってからその主題歌と言う形で音楽にもまた回帰してきたところがあって、特にiPhoneで音楽が聴けるようになってから、外部スピーカーやイヤホンでかなり聴くようになってきた。
いろいろ考えてみて、Yuiのagainにはまっているのは、それだけの理由があるんだということがだんだんわかってきた。ここに自分が取り戻さなければいけないものがあるなら、取り戻そうと思う。
神保町に行ったとき、小川町の澤口書店で黛敏郎『題名のない音楽会』(角川文庫、1981)を買った。ふらっと入った書店なのだけど、音楽関係の興味深い本がいくつかあった。
題名のない音楽会 (1981年) (角川文庫) | |
黛 敏郎 | |
角川書店 |
【少年のための本】
もう一つ気づいたこと。
川の少年 (ハリネズミの本箱) | |
ティム・ボウラー | |
早川書房 |
最近、創作上の新しい作品がなかなかアイデアが出てこなくて困っていたのだけど、銀座の教文館に行ったとき、6階のナルニア国で本を見ていて、ティム・ボウラー『川の少年』(早川書店ハリネズミの本箱、2003)をぱらぱらと読んでいて、主人公ジェスと母親の会話を読みながら、「ああ、これが私の世界なんだなあ」と思った。何かを書こうとすると自然に少年向きのものになっていて、でもそれではなかなか「売れる」ものにはならないよなあという葛藤があって、大人が読めるようなものを書こうと苦労しているうちに書けなくなったんだ、ということに気付いた。
考えてみると、私はずっと子ども相手の仕事、特に小学校高学年から高校生くらいの少年少女相手の仕事をしてきて、それが自分にとっても自然だった。ただこの仕事は、子どもは必ず大人になってしまうので、相手をしていられる期間が短く、大人相手なら何十年も顧客にできるのになあと常々思っていたところがある。
また、自分がマンガが好きなのも、基本的にマンガというのはこの世代のものだからだと思った。40歳くらいにならないと読んでもわからない本というのは存在するが、40歳にならないとわからないマンガというのはまあ存在しない。割と年配向けのマンガであっても、中学生が読んで読めないことはない。面白く感じるかどうかは別の問題だが。
少年向けの本というのは、大人になっていくときに身につけていくべきことについて書かれていることが多くて、私などはそういうことについてずっと考えているところがあるし、大人向けの本や小説というのは人間の弱さとか悪みたいなものをそれなりに肯定するサイドから書かれていたり、受け入れたり深めて行ったりするところがあるけれども、基本的に少年ものの本はそういう弱さとか悪みたいなものを無条件には肯定しないし、またそういうものを前提としない。基本的でピュアで前向きで、ある種の背徳性がある作品もあるけどそれは信じることの裏返しだったりする。
つまり、世界があまり複雑ではない。大人になるということは、ある意味その世界の複雑性に足を取られて、清濁併せ呑んでいかなければならないところがあり、その過程の中でピュアな部分というのがどうしても色褪せていくわけだし、自分が何をやりたいのかわからなくなっていきやすい。
しかしその中で自分がこれだと思うものを獲得できればそこから離陸していくことは可能なわけだし、仕事を持ったり家庭を持ったり子供を持ったりすることで再点火して走り続けることが多いのだろうと思う。
私はまあ、そういうことをしくじり続けているので、それだけ少年のころのピュアさみたいなものの自分の中での意味がより大きくなってきているということはあるんだろうと思う。
ただまあ、そういう状況的なものだけではなく、自分が本質的にそういうものがあるからそういうものに魅かれて行くということはあるんだろうと思う。
このあたりに自分の仕事があるのなら、そこをもっと深めていかなければならないなあと思う。
そう言えば、こないだ買ったファッションの本はティム・ガンで、この本はティム・ボウラーだ。ティムという名になんか縁があるのか。
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