人というものの生きにくさ/自分の過去をひっくり返す/異様な過剰さ/カンの世界の豊かさ
Posted at 13/05/02 PermaLink» Tweet
【人というものの生きにくさ】
『萩尾望都対談集 物語るあなた絵描く私』読了。第6章の巌谷國士との対談だけ残してあったのを読んだ。印象に残ったことをいくつか。
物語るあなた 絵描くわたし 萩尾望都 対談集 1990年代編 | |
河出書房新社 |
「私は、戦中から戦後にかけて父親・母親がもってきた、競争に勝つ社会、人よりものを持っている社会の価値観というのが本当に嫌いなんです。そういう価値観を持っている大人を自分のキャラクターにあまり出したくないところがあって、それで(作中の父親や母親を・引用者注)さっさと殺しちゃうのかもしれない。」
父親とか母親というものはそういう価値観を体現している存在だということなのだけど、確かにどういう価値観かは別にして、作中の大人というものがある種の価値観を体現する存在になるということは確かだなと思う。これは主に子どもについて書いているときにはあまり感じないことだが、大人の描写をはじめるとどうしてもそうなるところがあり、この人はどういう考えを持ったどういう人なのかということがないとその人が書けてないという感じになる。そして書いているうちに書きたくない価値観を持った人になってしまうことがあって、どうしようか迷うのだが、萩尾さんはそういうことになったらそのキャラクターに死んでもらうという選択を取ることが多いらしく、他のところでもそういうことを言っていた。
「少女マンガが変容して、いろいろと面白い作家の方が出ているんですけど、大島弓子さんのように、生育して行く少女の内面を表すのにマンガという表現ジャンルはすごく適しているんじゃないかと思うんです。シュルレアリスムじゃないけど、絵と文章とドラマの展開が、無意識と意識の間を浮き沈みしながら彷徨うという感じ、だから少女読者たちが単行本を買って、ずっと大切な宝物にして取っておいてくれるんじゃないかなと思うんです。」
大島弓子はほとんど全く読んでいないのだが、「シュルレアリスムじゃないけど、絵と文章とドラマの展開が、無意識と意識の間を浮き沈みしながら彷徨うという感じ」という感じはすごくよくわかる。それがたとえばヨーロッパなら映画なのではないかなと思う。私も小説でそういうものを書いてみたいと思うのだけど、考えてみたらそういう意味で少女マンガの影響を受けた小説はたくさんあるなと思う。朝吹真理子などは私が読んだ範囲ではそういう感じがする。ただ、そういう小説に出て来る意識と無意識の間のさまよいというのが、私の感じるそれと違うことが多く、そうなると逆に論理を媒介にしていないだけにすごくわかりにくく感じてしまうことが多い。これはおそらく、私が大島弓子をあまり読めない理由とも重なって来るのではないかという気がする。
「対象は非常に自分と年代の近い読者なもので、そのグループが成人してしまうと作家も変わらざるを得ないんですけど、そこがうまくかわれるかどうかで、次が書けるかどうかが決まって来る……シビアに言いますと、まず、作品の感覚が古くなって行く。説教くさく、説明調になって行く……こうして、いつか消えていく。不思議だ。なぜだ。」
これはすごくよくわかる。読者の側としても、作家の側が戸惑っているのを感じることはよくあるし、自分が書く側としても、読み手がどこにいるのかが分かりにくいことは多い。私もマンガの趣味に関してもかなり長い間諸星大二郎やその世代、80年代にブレイクした世代のマンガ家たち、高野文子や近藤ようこと言った世代にメジャーにしてもマイナーにしても視点を置いて読んでいたので、新しいものにあまり対応する気がなかった。アニメにしても、ガンダムもエヴァも宮崎アニメも見なかった。最近になって、自分の感覚を切り開くという意識でエヴァも宮崎アニメも見たし、また小説も2000年以降の芥川賞受賞作品は全部読むようにしているのだが、やはりそうすることによってある種の磁場の変化みたいなものが少しはわかった気がする。ただそれが自分が読みたいかというとなかなか難しいところはあるのだが、少なくともマンガに関しては『ピアノの森』『ランドリオール』『進撃の巨人』『ぼくらのへんたい』などの作品に出会えたことは自分の人生に大きな風を吹かせ、光を差し入れて私の生を豊かにしてくれたという実感がある。アニメでも宮崎アニメやエヴァを見たことで『魔法少女まどか☆マギカ』や『マイマイ新子と千年の魔法』などに触れることができた面もある。
自分の書くものはあまり世代に囚われない、なるべく多くの人に読めるものであってほしいと願うのだが、どんな形で届いているのか、また届ければいいのかはまだ模索中だし、それをどうすればいいかはきっとあるとき何かはっと腑に落ちるような形で理解できる時が来るのではないかという気がする。
「小さい時から書きたいストーリーのストックノートというのを作っていて、タイトルとかプロットとか、場合によっては本当にこまごましたストーリー展開まで全部書きつけていたんです。それで20歳のころには書きたい話が100くらいあって、そのうちどれから先に書こうかというぐらい楽しかったんです。それが30歳近くになりましたら、いきなりストックノートの魅力がザーッと色褪せていくわけです。……ストックが古くなる。だから生ものだったんだなというのをすごく感じました。」
これはたぶん次元が違うとは思うのだが、私も書きたいものをいくつも案を出して、ストックを作っておこうと思った時がある。しかし、ひとつの作品を書き終えてしまうと、もうそのストックに上げた作品のアイディアは色褪せてしまっていて、また一から考えなければという感じになることがほとんどなので、今のところストックはつくらないでやっているのだけど、まあそう言う必要が出てきたら考えようかなという感じではある。宮崎駿は『もののけ姫』とか『となりのトトロ』とかそういうもののアイディアはまだジブリをはじめる以前から持っていて制作しようと交渉してすべて断られていた、という話だったから、アイディアをいくつか持っておくこと自体はたぶんネタ的な余裕を持つうえでは大事なことだろうと思う。
この対談を読んでいて思ったのは、やはり人というのは「生きにくい」ものなんだなあということだった。その「生きにくさ」をどうやってとりあえず前に向かせることができるか。おそらく少女マンガというのはその上で日本のある世代の女性たちにそういう形で強い影響を与えたのではないかと思う。誰が分析していたか忘れたが、上野千鶴子のフェミニズムは少女マンガ的な自我形成をもとに出来ているというようなことを書いている人がいて、それは多分、少女マンガの中にある自分の理解できない部分と上野の言説の自分に理解できない(したくない)部分と重なり合っているような感じがあるので、たぶん正しいのではないかという気がした。私自身が持っている「生きにくさ」というものは少女マンガで語られるような「生きにくさ」ではないから、そこで根本的に何か反発するものがあるんではないかなという気がする。そう言えば私は『赤毛のアン』も苦手なのだった。
結局、その生きにくさを「どう乗り越えるか」という問題になると、どんな生きにくさであっても乗り越えることの大変さは同じだから、そこに普遍性が生じ、それはそういう形で私にとって読めるものになる、という部分はある。そういう部分があると少女マンガでも読めるのだが、生きにくさの描写自体がメインテーマになったり、その乗り越え方が私には理解できないものであったりするとやはり読みにくいものになったりはするのだと思う。。
結局、自分の読まない作家であっても、作家は作家であるというだけで、制作上のさまざまな困難や乗り越え方を持っているので、そういう点ではあらゆる作家のいうことが参考になる、ということはある。私は萩尾望都のそんなに熱心な読者ではないけれども、制作者としての感受性のあり方とか時代の見方みたいなものはすごく参考になるものを感じることはできたなと思う。
【自分の過去をひっくり返す】
「CD付」 自分さがしの旅 | |
斎藤一人 | |
ロングセラーズ |
今日は午前中いろいろ考えながら車で出かけ、少し買い物をした後ツタヤに行って本を見て、斎藤一人『自分さがしの旅』(KKベストセラーズ、2012)と押見修造『デビルエクスタシー』2巻3巻(講談社、2013)を買って、もう3冊とも読了した。『自分さがしの旅』は結局、自分の中にある「負の記憶」みたいなものを探しに自分の記憶の中に降りて行って、その記憶をオセロの黒が白になるみたいにひっくり返すことで、周りによって否定漬けにされる前の自分に会いに行く、という話で、まあつまり結局はキャメロンの『ずっとやりたかったことを、やりなさい』と同じ趣旨なのだが、キャメロンとはまた違った持って行き方をしていたり、この人の個性や、また日本的な発想、なるほどと思う考え方みたいなものがあって面白いと思った。「過去は変えられる!」という帯がなんだか斬新だと思って魅かれるものがあり、買ってみたのだが、なるほどと思うところはけっこうあった。まあ1575円の内容かどうかは人によって意見は分かれると思うけれども。
親から受けたいろいろな否定的な影響を、親を恨んで過ごすのではなく、そういう影響を与えた親は「親として未熟だった」のだ、という大人の視点を持つことで許すことができ、その未熟な親が頑張っていろいろしてくれたことに気づいて、むしろ感謝する視点を持つことができる、という話は分かりやすかった。つまりいつまでも子供の視点に安住しているから、親を絶対の全能者と見てしまう子どもの視点を払拭できないということが問題なのであって、一人の大人として、一人の人間として親を見ることでその未熟ぶりをきちんと認識することによって、そんなに未熟な人間がよく頑張って自分を育ててくれたと思えるということが大事なのだと思った。
私も子供のころはとんでもない環境に置かれたという思いをずっと強く持っては来たのだけれども、最近ずっといろいろなことを考えていて、まあこの伝で考えてみると、そういう極めて未熟な人たちの未熟な考えによって右往左往させられてきたけれども、そういう中にあってもとにかく人として自分を自分の力で形成することができ、とにかく食べさせて生かしてくれたことはやはり感謝すべきことだなと思ったし、またそういう正義や理想といったものの脆さや不完全さということについて徹底的に考えさせられ認識させられたということについてはある意味感謝しなければならないことだと思った。今の私はどんな正義や理想も信じる気にはならないし、すべて相対的なものだと思うし、それをその場で採用し利用するのは構わないが、それを信じ込んだり依存したりする気にはならない。つまりどんな理想でも、たとえば人権思想や民主主義、愛の神話や欲望の絶対化など、すべてのあらゆる思想は相対的なものだと思うし、自分がその時とりあえず今はこれを採用すればいんじゃね?と思うものをその場で取って行けばいいと思えるのはそういうことをさんざん考えさせられた結果だと思う。
もう一つ面白いと思ったのは、自分のいいところを発見できる人は人のいいところも発見できるし、みんながダメだと思う不況下の現状や、寂れた商店街のいいところも見つけられることで、人には気づかない商売のネタを見つけることができ、それによって成功することもできるという話だった。これはたぶん商売のネタだけでなく、ものを書く上でのネタの見つけ方でもあるのではないかと思った。
あと、「怖さ」ということについて。怖かったら無理にやることはないけど、必要だったら怖くてもやればいい、怖ければ慎重にやればいい、という話が面白いと思った。『度胸がいい』ということは「怖くてもやる」ということなんだ、という話。怖くなくて出来るのは度胸がいいとは言わない、ただ鈍いだけだという話。怖がりの人に限って、怖くてもやってしまった記憶みたいなのをたくさん持っているから、自分を怖がりだと思うのではなく、怖くてもやってしまったなんて自分はどんだけ度胸がいいんだ、とオセロをひっくり返せばいい、という話は面白かった。まあこれは結局「不自由だけど楽になる方よりも、苦しくても自由になる方を取る」ということと同じことを言っているわけで、まあつまり自分の心という「すずろなる家」に自分という主をいるようにすることが大事だという『徒然草』の話とも同じことになる。自分がない、流されてしまうということは、そこで結局楽な方、怖さから逃げられる方を取ってしまうということだから、そうではなく自由になる方、素晴らしいことのある方を取れということになるわけだ。
【異様な過剰さ】
デビルエクスタシー(2) 新装版 (ヤンマガKCスペシャル) | |
押見修造 | |
講談社 |
『デビルエクスタシー』はまあ簡単にいえばチョウ下らない話なのだが、吹き抜けのホールの2階から機動隊に向かってサキュバスがどどっと飛び降りて来るシーンなど、突き抜けた場面があってこういう過剰さが押見修造という人の本質にはあるんだなと感じさせられるのに十分なものがあった。『悪の華』はシリアスであるのに異様に過剰な部分があるわけで、『デビルエクスタシー』はその部分が若書きではあるけれども遺憾なく発揮されていて、まあどうでもいいんだけど面白いんじゃない、という感じだった。3巻で終わりかと思ったらまだ先がある。新装版4巻は6月発売とのこと。
【カンの世界の豊かさ】
どうも何となく意気が上がらないところがあり、朝タロットカードで自分自身を占ってみたら、「豊かさにフォーカスせよ」というカードが出て、豊かさかあ、と思っていたのだが、さて自分にとって豊かさとは何だろう、というようなことを考えていた。
で、今日は月に一度あることを予約をしなければならない日なのだが、なかなか電話がつながらなくていつもいらいらしていて、さてこういう状態は嫌だなあと何となく思っていた。今日も電話してみると例によってつながらず、何度も何度もかけ直してもずっと話し中で、なんだか気分がテンパッてきたのだが、ここでふっと、人よりも自分が持っているものというのはカンの良さなんじゃないか、ということに思い当り、それならばこの電話もカンを養う訓練としてやってみたらいいんじゃないかと思い当った。つまり電話の受け手の対応を想像し、今ちょうど電話を切ったんじゃないか、というときをめがけて発信してみた。一度目はさすがに話し中だったが、二度目でつながったのでけっこう驚いた。先月などは9時前からかけ始めてつながったのが10時を過ぎていたと思うのだが、今日は9時9分につながり、だいぶ助かったのだけど、何かそれで嬉しくなって、そしてああ、カンの世界というのは豊かなんだなあとしみじみ思って、そうか、フォーカスすべきなのはこれなのか、と思ったのだった。
そのあと車で出かけたのだが、運転しながらカンを働かせるためにはどうしたらいいかということを考えていて、それはつまり自我を少し引っ込めて、カンを表に出して働かせればいいのだと思い当り、「何とか早くつながれ」と思う願望、欲望、自我を後退させて、今相手がどういう状態なのかというカンを働かせればふっとそれがわかる、ということなのだなと思った。(そんなバカなと思う人は読み飛ばして下さい)そんなことを思いながら運転していて、ある交差点に来てふっとここを右折した方がいい、と思ったのだけど、そんなところを右折したら変な方に行っちゃうよと思ってそのまま直進したら、角を曲がったところで凄い渋滞になっていて驚いた。逆にいえば、曲がらなかったからこそそこでカンが働いたんだということが分かってよかったのだけど、そのおかげでそういうことが働く自分というものが嬉しいなと思うことができた。
ああこれは、桜井章一が「感覚を働かせる」と言っているのと同じことだなと思ったのだけど、まあつまり私は自分を形成するのにそういうカンだけでやってきているところがあり、まあもちろん理屈も使いはするのだが、実際はそんなに、つまりそれに浸っていられるほどは好きではなく、まあいつもトライする感じで数学なんかはやっていたのだけど、うまく理屈がつかめなかった英語などは当時は惨敗していたのだが、結局やはり自分が一番豊かだと感じるのは、自我の世界でも理屈の世界でもなく、そういう感覚の世界なんだということがわかったのが収穫だったし、自分が自我をあまり表に出さない習性になっているのは、その感覚の世界を存分に味わいたいからなんだということに改めて気づくことができたのはよかったと思った。
そう思ってみると世界は確かに美しく、豊かだと思ったのだった。
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