なんだかんだいってやっぱりいろいろ考えてしまうのだが

Posted at 13/03/08

【なんだかんだいってやっぱりいろいろ考えてしまうのだが】

「みだりに思うなかれ」を実行しようとしているのだが、なかなか難しい。昨日は寝る前にさっさと寝ようと思ったのにいつの間にかコミックリュウのバックナンバーに手を出し、『ぼくらのへんたい』を少し読んでしまった。いかんいかんと思いつつ寝たが、起きた時に頭の中でもうろうとしながら、新しい小説のアイデアが思いついた気がして頭の中で転がしていたのだが、どうも全然ものにならない支離滅裂な内容だった。ああいうの内容はどうして出て来るのかなあ。何と言うか、思考の澱とか滓のようなものの中から出て来るのではないかと思うのだけど、思考の世界の中だけのリアリティがあって、でも絶対にものにならないような内容なのだ。

でも今少し考えて見ると、実は円城塔『道化師の蝶』なんかはこんな感じもあるな、とか思った。あんなふうにまとめあげる力は今はない、というかそんなふうに書きたいわけでも今はないのでたぶんあまり書きそうではないのだけど、考えて見ると全然小説にならないわけでもないのかもしれないという気もした。私の書くものは磯崎憲一郎っぽい作品になることもあるし、ある意味集合無意識みたいなものがどこかで接続しているのかなという気もする。

そう言えば私はずっと芥川賞作品は読んで来ているのだけど、今回の黒田夏子『abさんご』は買ったのにまだ読んでない。まだ読む気がしない、と言ってもいいのだけど。この人の小説、前衛的だとは思うが「少し前の詩」みたいな感じがするところがあって、今いち私たちの時代、あるいはそれ以降の感性みたいなものとは一致してないなあという気がするし、そういうものを今読む意味があるのかなあという気がしてしまうところがある。まあ次の芥川賞が決まるまでには何とか読みたいとは思うのだけど、まだ読んでない。

実は、火曜日から新しい短編を書いていて、木曜日に清書していちおう脱稿した。だいたい20枚程度の短編。今回はファンタジーではなく、まあ普通の短編とでも言えばいいのか。題は「夏の雨」。それからまた木曜日に新しい短編のアイディアが湧き、今日中に書いてしまおうと思ったのだが話が思ったより大きくなってしまってこちらはまだ半分くらいしか書けていない。いずれも習作という形でなく、とりあえずは作品という形でまとまったし、まとまると思う。

習作、つまりエチュードはエチュードで面白いかなとも思う。マンガ家さんもときどきツイッターで「落書き」という形で公開していたり、『バカボンド』『スラムダンク』の井上雄彦さんなんかは震災後毎日一枚笑顔のイラストレーションを一枚アップしていて、あれが心の支えになった人も多かったんじゃないかと思う。

芝居をやっていたころ、エチュードで「個人技」というのがあり、曲に合わせて何でもいいから動く、踊る、表現する、というのがあったのだけど、時には芝居の本公演以上に感動する時間になることもよくあった。エチュード公演と称し、本当にエチュードで一本公演を打ったこともあった。それは無料だったけれども。いわゆる小説作品にはならなくても、そういうエチュード作品というのは、時に案外面白いものになると思うし、そういう方向もまた考えていくといいのではないかと思った。画家でいえば、素描を作品として取引するのようなものだろう。

というようなことを考えだすと、やはり頭が疲れるまで考えてしまうなあ。でもまあ作品として形になるなら多少はやむを得ないかと思ったり、体調と相談してあまりひどくならないようにはしようと思うのだけど。

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Title background photography
by Luke Peterson

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