ふみふみこ「ぼくらのへんたい」を読む

Posted at 13/03/05

【ふみふみこ「ぼくらのへんたい」を読む】

ぼくらのへんたい 2 (リュウコミックス)
ふみふみこ
徳間書店

東京のうちにおいてあった『コミックリュウ』(徳間書店)の3月号を読む。コミックリュウはだいたい郷里で買っているのだが、3月号が発売された1月19日が土曜日で、買い忘れたから翌日の日曜日にアリオ北砂の福家書店で買ったのでこちらにあるのだ。コミックリュウは興味深いマンガがいくつも載っているのだけど、最近一押しなのはふみふみこ『ぼくらのへんたい』だ。ふみふみこは性的マイノリティや性的な幻想、性をはさんでの愛のやり取りを描く作品が多いのだが、前作の『女の穴』をはじめとしてファンタジックではあるけれども女性の生理的な性性の吸引力が強力な作品が多く、その意味で華やかさがもっとあるといいのにと思う作品が多かった。そんな彼女の作品の中で、例外的に華やかなのがこの『ぼくらのへんたい』なのだ。

女の穴(リュウコミックス)
ふみふみこ
徳間書店

主人公は、中学1年、2年、3年の三人の少年。共通しているのは、女装をすること。最初の場面はこの三人が女装で待ち合わせて出会うところから始まる。三人が三人とも異なる理由を持って女装している。三人が三人とも個性的で美しい。その有様は、この年代特有の不安定な美しさのようなものに形を与えている。人生のあの時期に、自分の変化していく美しさ、子どもが子どもでなくなっていくときの自分の外貌をどう解釈したらいいのかわからずに、女装をしてみたくなるという気持ちは、自分にはそういうことはなかったけれども、感じとしては深く理解できるものがある。

この号では、「まりか」に手を出そうとした「パロウ」が「唯」に殴られ、三人が集まっていたまりかの家に行けなくなり、その前に付き合っていた年上の少年と撚りを戻したのだが、その少年に別れ話を切り出されるところから始まる。パロウである修が制服で家に帰ると見知らぬ中年の婦人がいて、昔を懐かしむ話をはじめ、その婦人の息子である剛士と幼稚園児の自分が映ったビデオを見せられる。そして修は、その少年こそが自分に「男の悦ばせ方」を教えた存在であることを思い出し、戦慄する。慌てて婦人にその人は今どうしていると聞くと、5年前に亡くなった、という返事が返ってきた。ビデオの中の自分が剛士に、「お兄ちゃんのことだーい好き!」と話す場面が、頭の中にリフレインする。

この話の中に出てくる「大人」は、徹底的に無責任だ。「唯」の母は死んだ姉のことばかり口にし、唯は姉の身代わりとして家の中では女装して過ごしている。唯の父は家庭を出て、姉のバレエの教師だった女性と暮らし、唯に紹介しようとする。パロウの母はそんなことが昔あったことに全く気付いていない。子どもは大人の見えていないところで徹底的に傷つき、感知されないところで傷跡を自分で癒し、そしてその刻印を受けたまま成長していく。しかしその咲く花、散る花の鮮やかさが、この年代の少年たちでなければありえない華やかさを醸し出し、この作品の大きな魅力になっている。

私自身が中学生のころはほとんど親元におらず、その中で傷つき、よりどころのないままとにかく自分で生き抜くしかない状況にあって、得るべきものを得られずにその時期を過ごしてしまったという苦さもあり、この作品には深く共感するものがある。女装であるとか、ホモセクシュアルであるとか、そうしたセクシュアリティの問題で言えば結局は私は徹底的にノーマルなのだが、この時期の不安定さにおいてそうしたものへの関心と共感を持っている面もあるのだということをこの作品を読んでいて自覚させられるものがあった。

4月号は再び三人が三人で会う、まさにその時という場面で終わっている。3月19日発売の5月号を今から楽しみにしている。

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by Luke Peterson

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