コンサートホール

Posted at 13/02/14

小説の習作を掲載します。昨日は何も書かずに載せたのでなんだか分からなかったかもしれないという声をいただきました。とりあえずお断りの上、今日も一篇掲載させていただきます。

   コンサートホール

しんとしたコンサートホールに、私はひとり座っていた。目の前のステージにはグランドピアノが一つ置かれていた。あれはプレイエル。ショパンが愛した、フランス製の華奢なピアノだ。ショパンは小さな音を好み、小さなホールやサロンでの演奏を好んだ。自分を本当に理解してくれる人たちだけに聞かせる、小さな音楽会を望んだのだ。

私は違う。私は多くの人に聞かせる、大きな音楽会が好きだった。聴衆を熱狂させ、拍手の海に巻き込む、そんな大きなホールでの演奏を好んだ。

だから私は今、ここにいるのだろうか。

静まり返ったコンサートホール、その静寂は、豊かな沈黙だ。舞台装置が取り外された劇場の殺風景なあり様でもなく、人いきれが残った芝居小屋でもない。何か饒舌な沈黙が、ここにはある。それはここで繰り広げられる、音楽の世界のためかもしれない。

コンサートホールは生と死のあわいにある。私はそんなことを思う。芝居小屋が朗らかに生の領域にあるのに対し、コンサートホールは生の沈黙に満ちているから、それは死の沈黙へも通じているように感じられるのだ。そこには何か音楽の持つ、硬質な力が働いているのかもしれない。

私は立ち上がった。一歩、二歩、三歩。私はステージに近づいた。空間が大きく、私の前から後ろへと移動した。私は振り返り、後ろを見上げた。二階席、三階席、小さな座席が奥の方まで続いている。そう、ここは私が愛したコンサートホールだ。私が何度も、ショパンのコンチェルトを演奏したホールだ。

いきなりピアノが鳴った。私にはそれが何だかすぐに分かった。これはショパンのピアノコンチェルト、1番の伴奏ピアノだ。オーケストラのパートを、伴奏ピアノが弾いているのだ。第一楽章、アレグロ・マエストーソ。ソリストのピアノが入るまでの4分間。オーケストラが響き続ける。

気がつくとステージ上には、ピアノが向かい合わせに二台置かれていた。そして伴奏ピアノを演奏しているのは、小さな女の子だった。凄い。伴奏ピアノをこんなに弾きこなせている。まだ小学生になったばかりに見えるその子は、ピンクのワンピースを着て、頭に大きな黄色いリボンをしていた。私は思わず、ステージに近づいた。

少女が私の方を見た。私はなぜかどきっとした。少女に、促されているような気がした。少女は無言でオーケストラのパートを弾きつづげた。もうすぐソリストのピアノが入る。ソリストのピアノには ―― 誰も座っていなかった。少女はまたちらっと私を見た。私には分かった。私がこのピアノを弾くことになっているのだ。私はステージに上り、ピアノの前に座った。ホ短調の和音。、フォルティッシモ。私は第一主題を演奏する。星のかけらが流れていく。私が演奏した音たちが、空中に飛び出して行った。目の前で伴奏ピアノを弾いている少女が、満足そうにほほ笑む。

私は無心に演奏を続けていく。ときどき空中で何かが衝突したり、爆ぜたりする音がする。何かが起こっている。でもわたしは集中し、何も気にならない。最大限集中し、ピアノと一体になる。私のピアノは少女のピアノと絡み合い、森から山へ、そして湖へ、最後にポーランドの街と野原へと吹き抜けていく。私たちのピアノは風のように、風景の中を走りぬけていく。

突然オーケストラが鳴った。驚いて見上げると、私の目の前には燕尾服を着た白髪の指揮者がタクトを振っていた。ちらっと私の方を見る。私はうなずいた。少女はどこへ行ったのだろう。しかし私はすでに、音楽の中にいた。鳴り響くオーケストラの中で、私のピアノは嵐の中の小船だった。そして嵐を吹き払う太陽だった。私の小船はオーケストラを支配し、そしてコンサートホールを埋め尽くした。

第一楽章が終わった。私はホールが満席であることに気づいた。咳払いや低い話し声が、誰もが第一楽章を反芻し、第二楽章への姿勢を整えていた。私も同じだ。始まるとも気がつかないうちに始まったこの一生のように、いつの間にか私たちはクライマックスに導かれる。あの少女はどこへ行ったのだろう。それはいつの間にかどこかへ行ってしまった大切な思い出のようだと思った。

私は夢を見ているのかもしれない。でも夢でもいい。人が生きるということは、何十年も続く大きな夢を見ているのと同じことなのかもしれないからだ。ピアノを弾き続けて、そしてこの夢の中に今いるのならば、これ以上の幸せはない。

気がつくと、少女は私の隣に座っていた。私はその子を思い出した。4歳のころ初めて行ったピアノ教室で、私と一緒に習っていた、二つ年上の女の子だったのだ。どうしてこんなところに。久しぶりね。そう、私は、その子に聞かせるためにピアノを弾いていたのだ。ありがとう。でもここから、あなたは次の楽章に進むのよ。ああ、分かっている。きみはそのために、私を案内に来たんだね。ええ。私はうなずいた。

私は指揮者の方を見、視線を合わせた。そしてタクトが振り下ろされた。第2楽章、ロマンス・ラルゲットがはじまった。

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by Luke Peterson

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