節制

Posted at 13/02/13

   節制

私は滝の下にいて、轟々と落ちる水を見上げていた。青空に虹がかかっている。夢のようだ。いや、これが夢なのかもしれない。滝壺に落ちた水はしばしたゆたい、岩々の間を流れ下る。その最初のまだ勢いのない流れは、遙かな高度差を落下した後の呆然自失の体で、たくさんの空気を含み、この空間の空気の匂いを発している。

女神が現れた。後ろ姿の女神は背中に天使の羽根をはやし、水瓶を抱えている。女神が水瓶を傾けると、滝壺の水はまるで逆回しのフィルムのように、水瓶の中に吸い込まれて行った。

あの、私は女神に声をかけた。女神は振り向かずに凛とした声で答えた。何用。いえ、用があるわけでは。轟々と水音が響き続ける。あなたは女神さまですか。女神は水瓶を元に戻し、こちらを振り向いた。金色の光が背後から差し、女神の顔をまともに見ることはできなかった。

私は節制。あなた方人間が人間であるために必要な、節制の徳の化身です。滝は轟々と落ち続けた。あなたはなぜここにいるのですか。あなたが、この滝に現れたから、現れたのです。

轟々たる滝の音の中で、女神の声は不思議にはっきりと聞き取れた。ここにはあなたが必要なすべてのものがあります。だがあなたはすべてを取ることはできません。金色の光の中で女神は言った。あなたには一つだけ、ここにあるものを与えましょう。この滝の水。この滝の空気。そしてこの水瓶。あなたは何を望みますか。

金色の光の中で女神の姿が揺らめいた。

女神さま、私はあなたが欲しいのです。

節制の女神は驚愕の表情を浮かべた。人が、神を望むと言うのか。滝の音は轟々と響いている。

はい。――― 女神は水瓶を宙に浮かべ、自らも宙に浮かんだ。金色のオーラが、眩しく女神の周りを取り巻いた。

私は遥か昔、人であった。狭い道を通り抜け、人の通れぬ扉をくぐり抜けて、ついに生まれ変わらない身体となり、節制の名を得て神々の国に住んでいる。私はあなたのものになることはできない。だが。

女神さま。――― 神は人の願いに、何らかの形で答えるものだ。あなたのものになるためには、神の座を捨て、再び人に生まれ変わらなければならない。

女神さま。あなたはそれを私のためには、してくださいませんか。――― 神は人の願いに、何らかの形で答える存在だ。叶うべきことであるならば叶うだろう。待ちなさい。そして私を求めた、その言葉を忘れないようにしなさい。いつかどこかで、あなたの言葉は実現するでしょう。

――― 私は目を覚ました。裸体に、びっしょりと汗をかいている。そばでは一人の女がすうすうと寝息を立てていた。どこかで見たと思ったら、あの女神はこの女に似ているのだ。

――― 私はこの女を求めたのだろうか。私は女の髪を撫でた。女はにっと笑みを作り、またすうすうと眠りに落ちた。

                                 2013.2.13.

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