『ハウルの動く城』と人生の「謎解き」「秘密の解き明かし」/魔法と操作性と構築的価値観/欲望と創造
Posted at 13/01/05 PermaLink» Tweet
【『ハウルの動く城』と人生の「謎解き」「秘密の解き明かし」】
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昨日は初仕事。久しぶりに仕事場に7時間くらい詰めていると、身体も気持ちもシャキッとして来る。午前中銀行でちょっとひと悶着したのでいまいちだったのだが、やはり仕事をすると平常心が戻って来る。ものを書くときというのはいわゆる平常心というのとは違う次元に行っているので、今のところ一番習慣が自分を我に返らせるのは仕事なのだなと思う。週五日長時間仕事をしているとだんだん気持ちもアレになって来るが、しばらく休んでから仕事に戻ると少しなまっていた自分のペースというものが戻ってくる感じが嬉しいなと思う。これは感覚的な好みの問題なのだろう。何かをしている感覚というのを感じていること自体がいいなあというときがときどきある。それは少し古い感覚が蘇ってもう一度その感覚を生きることができる、というそのこと自体を喜ぶということ。久しぶりの街を歩くときの感覚、とでもいうか。
帰宅してテレビをつけると、まだ報道ステーションはやっていなくて、チャンネルを回したら日テレ系の金曜ロードショーで『ハウルの動く城』をやっていた。ソフィーと荒地の魔女がサリマンに呼ばれて王宮の階段を上るシーンから。ご飯を食べながら最後まで見た。
久しぶりに見て、最初に見たときと同じように、何か分かりにくい話だな、と思った。それはなぜなんだろうと思ったのだけど、それは私が、その背景に描かれている戦争というものにどうも気を取られてしまって、前景が見えてないところがあるんだなあと思った。
よく考えて見ればあの場面から後のストーリーはサリマンとハウルたちの攻防と考えれば単純な話なのだ。「魔法使い」と「その弟子」たちの術比べ。そういう意味でいえばサリマンがラピュタでのムスカの役まわりになるのだけど、ムスカのように明確な敵ではなく、サリマンとソフィーの対立点は「見解の相違」「意見の相違」のレベルであって、だからこそソフィーはハウルを魔王にもせず、サリマンに従わせもしない、第三の道を探ることになるわけで、ドラマはそこにあるということになる。ソフィーの最初の敵は荒地の魔女だが彼女は王宮で無力化されてその後はトリックスター的に場をひっ掻きまわすだけになるし、そのあとのサリマンとの対決も相手が魔法使いとはいえ人間だから、なんか『もののけ姫』や『千と千尋』のようなスケール感があまりない。あまりに枠がきっちりできすぎてしまっているというか。
緊迫感のありかはハウルが魔王になってしまうのかとサリマンの攻撃をしのぎ切れるか、それにもうひとつハウルとカルシファーの秘密、その関係の秘密が明かされて行くところにある。私はどういうわけか「謎解き」とか「ミステリー」という言葉が(たぶん蛇蠍のように)嫌いなので、そういう言葉で表現したくはないのだけど、まあ意味としてはそういうことだ。
謎解き、と書いてみてまあとにかく私はこの言葉が嫌いなのでそんなのつまんねえよ、と条件反射的に言いそうになるのだけど、それをぐっとこらえて考えてみると、ストーリー展開の上で秘密の解き明かしというものはすごく重要な要素であるということはすぐに理解できる。確かにそこにあるもの、明確に提示されているものがそこにあるのだけど、それがいったい何を意味しているのか分からない。そういうものがストーリーの中盤から後半にかけて突如明らかにされる。そういうストーリーは私自身もよく書くし、そういう意味で無意識のうちにそういう構造をよく使っている。
なぜ私は「謎とき」とか「ミステリー」という言葉が嫌いなんだろうなと思う。同じ表現でも、「秘密が解き明かされる」というならわくわくするのだけど。「秘密」は好きだけど「謎」はあまり好きではないんだな。ミステリーも、別に「ミステリアス」とか「神秘的」という言葉なら嫌いではないのだけど、何だろう、その安直な何でもありの使われ方がどうにも我慢できないというか、嫌いなんだなあと思う。
ただ、人の嫌いなこと、憎んでいるところにその人の本質を解き明かす何かがあるのだとしたら、「謎」とか「ミステリー」という言葉の中に私自身の本質が何か隠されているのかもしれない。まさにそれこそがミステリーだ、という茶々を入れられそうだが。
『ダヴィンチ』などの読書雑誌を読んでいると、みんな「ミステリー」とか「謎」というものが好きだなあと思う。まあ私がその手の読書雑誌が苦手なのは、そういう雑誌にはそういう言葉が溢れているからなのだが。
しかし考えて見れば、人間は誰でも謎や神秘や秘密が好きなのかもしれない。謎というと私はどうしても表面的なものに感じてしまうだけで、秘密といった方が深さや広がりを感じるということで、だからそういう言葉遣いを好み、あるいは嫌うだけなのかもしれない。まあそういう意味でいえば、私は生きるということを愛しているのだろう。生きるということを愛していて、そんなに簡単に解き明かされるような表面的な、ちょろいものではないとと思っているのだろう。人間が秘密とか謎というものが好きなのは、生きるということが人間にとって最大の秘密であり謎であるからなのだと思う。知らない間に生まれ出て、知らない間に生きちゃって、知らない間に死んじゃった、という歌があったが人が生きるということは謎だらけだ。なぜ生きているのかなんてけっきょく誰にもわからないが、いろいろと理由を見出しながらそれを生きる糧にして行っている。これが私の使命なんじゃないかとかそういうものを見出して、生をフルに使って生きたりする。そんなふうに秘密を解き明かして行くということは、つまりは秘密を創造しているということでもあり、生きている秘密を解き明かして行くということは本質的にクリエイティブなことであるのだと思った。
私はそういう解答はそんなに簡単に欲しくないと思うから、あんまり簡単に答えを与えてくれそうな話はあまり好きではない、ということなんだろう。
【魔法と操作性と構築的価値観】
それから、私は魔法というものにどこか違和感があるなと思った。それは、技術としての魔法というものが結局は自然とか神秘の側でなく、人間の側に属するものだからだ、ということにあるのだと思う。私だって人間なので人間として自然に働きかけるための技術みたいなものが重要だということは思っているしそれを磨かなければならないなと思うけれど、少なくとも意識において私という人間の中には、もし自然と人間、自然と人工がが対峙するなら、自分は自然の側だ、という思いがあるからだなあと思った。
しかしより掘り下げて見ると、深層心理でどう考えているのかはよく分からない。いやおそらくは、美やアートなど人工の極致にしろ自然がもたらしてくれるものにしろ、もっと深いところまで掘り下げて行けばそういうものの差異はそんなにはなくなるのだろうと思った。ということは、魔法というもの、あるいは技術というものにもしいやなところがあるとしたら、それはそれを使う人間に操作的な意図があるところなんだなと思った。
操作的な意図の裏には欲望があり、人を自分の思う通りにしたい、という願望と思い通りになどなるものか、という抵抗があって、それが例えばサリマンとハウルの争いということに現れていると言っていいわけだけど、その操作性の裏にはそうなることが正しい、正しくないと言った価値観、自然観、倫理観、自分の望む世界秩序、みたいなものがある。そういう意味でいえば構築性と言えばいいのだろうか。そういう構築性みたいなものがあんまり好きでないと言えばいいのだろうか。
私は少なくとも意識の上で自然と人工なら自然を取るところがあるということは、そういう構築性というものに対して抵抗を感じるところがあるということだ。老荘的な無為自然というとそれもある意味不自然な感じがして、やはり自分自身の自然なあり方、世界の自然なあり方がどこにあるのか、決めつけないで探ること自体の方に価値を感じると言えばいいのだろうか。もちろんその探ったものを実現していく過程の中である意味での、あるいはある程度の構築性は自然に生じるわけで、それを否定しているわけではない。しかし最初からこういうものを作る、こういう世界を作るという前提で始める世界観みたいなものに対しては抵抗を感じるということだ。
たぶんそれは西欧的な価値観、世界観と日本的な世界観、価値観の違いみたいなものでもあるのだろうと思う。構築のための操作をいかに無理のない自然なものにするか、というかそれ以前にその構築が目指すべき目標みたいなものを常にカッコに入れて問い続けるみたいなところが私にはあるし、まあそれも徹底しすぎると、あるいは袋小路に入ってしまうと80年代的な相対主義に陥ってしまうのだけど、やはりより自然に生きる、という命題は持ち続けて行きたいとは思っている。その中で構築されて行くものにこそ意味がある、という価値観をやはり私は持っているのだなと思う。
【欲望と創造】
逆にいえば、私は個人的な欲望みたいなものをあまり持っていないと言えばいいのだろうか。つまり、欲望というものはないものを欲しがるということだから、ないものを欲しがる必要があまりなくて、必要ができたら自分で手にいればいいと思っているから、それを欲するという行為としての欲望する、願うということがあまり必要がないと言えばいいのだろうか。
つまり、出来るかできないかを考えて、出来るものはすぐ行動に移すから「欲望している」期間は短いし、出来ないものはできないなとさっと方向転換するからこれも「欲望している」期間が短い。たぶん欲望というものも鍛えないと強くならない。しかし多分、私の潜在的な欲望力はかなり強くて、自分でも持てあますということが分かっているから、小さいころからの訓練の結果、欲望はなるべく育てないで小さいうちに実行に移し、欲望を欲望という形としてなるべく表わさないのが慎みというものだ、という感じになっているのだなと思う。
ただ、人生を大きく転換するときなどには、出来ることだけでは人生の転換はできないわけで、やはりそこに大きな欲望力とか願いとかそういうものが必要になって来る。あまりに洗練され過ぎてしまうとそういうものが希薄になってしまうから、普段を調子よくそこそこ楽しく暮らすためには別にそういうものは必要ないのだけど、何かを大きく転換しなければいけないような時に発揮しなければならない火事場の馬鹿力とか突破力とか渾身力と言ったようなものは欲望とか願いとかいうものを鍛えておかないと出来ない部分があるのだと思う。
普段の生活を出来る範囲で美しく楽しく暮らすだけなら、欲望とか願いとかいうものはあまり必要はないだろうし、生まれてはすぐ実現するか消えていくかする小出し状態で十分であるわけだけど、何かをつくりだすとか今の何かを変えると言うようなときには十分な欲望力や願う力が必要なんだろう。そしてその欲望する力、願う力を適切に鍛錬することが必要になって来るのだと思う。
まあ私の価値観は価値観として明らかにあるし、しかしそれを表現し、創作の形に落とし込んでいくためには願望力とか望み続ける力みたいなものが少なくとも表現の初期には必要なわけで、そういうものをいかに「正しく」鍛えるかということが重要なのだなと思う。
ずっとやりたかったことを、やりなさい。 | |
ジュリア・キャメロン | |
サンマーク出版 |
そういう意味で私にあっている方法がジュリア・キャメロンの『ずっとやりたかったことをやりなさい』(原題"The Artist's way")に示されているものであり、そのパート2(原題"Walking in this world")であったのだなと思う。
ずっとやりたかったことを、やりなさい。(2) | |
ジュリア・キャメロン | |
サンマーク出版 |
紹介されて読んでいて、面白そうだとは思ったのだけど、いったい自分に何が必要なのかとか、そういうことが分かって読んだわけではなく、やってみれば何が実現するかということが分かってそのメソットを実行したわけではないし、また訓練された介添え人がいる状態でやったわけでもないから、やや暴走しがちなところもあったのだけど、自分の必要なものがそのおかげでかなり見えたことは確かだった。それがどういうことであってどういう意味で必要だったのかは、今こうして書いてみてはじめてそういうことだったのかと思う部分が大きいのだけど。
誰でもそうだとは思うが、自分の中には器用なところと不器用なところが同居していて、器用すぎるとそういう原初的なパワーが衰えてしまうし、不器用すぎては世の中と軋轢を起こし過ぎてこれもまた問題が生じる。ただ器用に生きているとそれだけでは消化しきれない何かが自分の中に溜まって来ることだけは確かで、それが創造というものに向かって自分を突き動かすものなのだと思う。
そして創造を行うことで、世界は今までとまた全く違ったように見えて来るから、生きているということの意味がまた多重化して、新たな秘密が見出されて行く。たぶん私は、そんなふうに生きたいと思っているのだろうと思う。
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