雪の朝/どんな自分でありたいか/「下流でもホリエモンでもなく」
Posted at 12/12/08 PermaLink» Tweet
【雪の朝】
今朝目が覚めたとき、あたりの音がやたらとしーんとしていて、静かな朝だなあと思った。うつらうつらしていると遠くからざっ、ざっという音が聞こえてきてはっとした。あれは雪をかく音だ。カーテンを開けて外を見ると、まだ暗いけれどもあたりは真っ白になっている。夜のうちに雪が降ったのだ。今年初めての積雪。
モーニングページを書いてから少し活元運動をし、部屋の前の駐車場へのスロープの雪をかく。一部溶けているのでどうしたかと思ったら、どうも樋から流れ落ちた水で雪が溶けていたらしい。溶けていたところと溶けていないところの境目の雪が、水を含んで重くなっていた。積雪は多い所で5センチ前後、そんなに大したことなくて助かった。一通りかき終わってから車で職場に出かけ、職場の前の路地を見たらほとんど積もっていなかった。鍵を開けてタイマーで暖房をセットして帰宅。自宅の前の雪もあまりないが、一通りかいておいた。
昨日は夕刻に地震があった。大きさとしては昨年の311以来という印象だったが、マグニチュード7.3で沖合の地震なので広範囲で揺れはしたものの津波も小規模で揺れの割には影響は少ないようでよかった。しかし阪神大震災も同程度の揺れだったということで、直下型というのは怖いなと思った。
【どんな自分でありたいか】
間抜けの構造 (新潮新書) | |
ビートたけし | |
新潮社 |
ビートたけし『間抜けの構造』読了。間抜けというより、「間」というものの重要性について説いた本なのだが、大事なことが書いてあると思うしそうだなあと思うことは多い。ただ、その説得力はビートたけしが言っているから、ということでより大きくなることはあるのだけど、基本的にオーソドックスなことを言っていると思った。まあ現在では、こういうオーソドックスなことを読みやすい語り口で書く、ということが一番求められているのかもしれないのだが。しかしこの本が面白いのはそういう一般論の部分ではないなあと思う。
たとえばアーチストと職人の違い、というような話について、「芸術家というのは簡単に理解されたらダメなところがある」と言っていて、まあそれはその通りだと思うし、理解されないことがむしろ新しさの証明だというような面はある。面白いと思ったのは、「アートというのは職人芸からの解放なんだ」というところ。それが出来るのが芸術家だが、職人は自らの職人芸でアートを封じ込めようとする、というのだ。最初は何を言っているのか分からなかったが、要は彼が映画を撮ったとき、斬新なアングル(たとえば首から上を写さないとか)や新しい光の当て方(わざと光を当てないとか)をしようとすると、職人芸に優れたスタッフががんとしてそれを許容しないのだという。そういえば一部そんなことが『デラシネマ』に書いてあったけど、スタッフたちにとってみれば自分がいい加減な仕事をしていると思われるのが許せなかったらしい。ああそういう考え方もあるんだとちょっと目から鱗だったが、逆にいえば全体像が見えない人たちを引っ張って行くことの大変さということはあるよなあと思った。
つまり、面白いのは具体例の部分で、ああなるほど、と思うようなことがある。職人たちを説得しながら自分の取りたい絵を撮って行くということは、相手が自分の仕事にプライドを持っていればいるほど大変なことだろう。かと言って技術がない自分の仕事にプライドがないスタッフを使って荒れた画面になっても面白くないわけだし、そこは常にトライがある。そういえば芝居をやっているときもそういうことは往々にしてあった。演出プランが示されてもそれが何をやりたいのか全然わからなくて、実際に上演してみてから分かるということはよくあった。でもそのプランをよく理解できていないとキャストもスタッフも言われた通りにやるだけでそういう方向にサポートすることもできないわけで、あとで勉強になったなという感じで終わるのがちょっと残念なところはあった。
監督の個性は「間」に現れる、それは作家の「文体」のようなものだ、というのもまたよくわかる。映画の文法の因数分解というのもなるほどと思うし昔は多用されていたと思うが、最近はそうでもないのかなと思ったり。
一番おもしろかったのは大学を中退したころの話で、「大学に行きたくない、働きたくもない、けれど何かをやりたいわけじゃない。それがこの頃のおいらだった。…人生において唯一、何者でもなかったという時期かもしれない。」というニート宣言から始まって、「何とかなるにしても、普通の人になるというか、みんなと一緒というのはちょっとイヤだったのね。落ちこぼれでもいいから人と違うことをしようと思った。英語で"outstanding"という言葉があるじゃない…それに自分もならなきゃだめだと思ってはいた。…世間一般の出世コースから降りて、ちゃんと落ちこぼれたかったんだよ。」
こういうのを読むと、何にもでもありたくないと言っても、どんなふうにありたいかということはひそかに持っていて、それが実るかどうかはともかく、こんなふうに生きたいというのは持っていてそれを実現して生きてきた人なんだなと思った。この人はスピリチュアル系とか神技系というかそれぞれいろいろな人にすごく評価されている面があるのだけど、「落ちこぼれでもいいから人と違うことをしよう」という思い切りの良さが原点なんだと思う。それで突っ走り続けて、成功しても、どこかで「これは誰かと同じことをやっているんじゃないか」と思ったら急ブレーキをかけて方向を転換してしまう。というか思う前に事件を起こしたり事故を起こしたりして方向を転換してしまうという人生を送ってきたんだなと思う。そういう意味で、人生の指針が明確だということはやはり強みになることなんだなと思った。もちろん単純にそれだけでうまくいくようなことではないが。
【下流でもホリエモンでもなく】
僕たちの前途 | |
古市憲寿 | |
講談社 |
読み終えて、古市憲寿『ぼくたちの前途』を読み始める。これは若手企業家たちの話。現在36/336ページ。最初に出て来る著者が所属する株式会社ゼントの社長、松島という人は開成高校在学中から起業してすでに高校生の時にリュックに数百万入れて持ち運んでいた(高校生はカードを作れないから、ということらしい)という人物で、東大に行くために予備校に行ってたらそこで会った人たちと意気投合してさらに仕事が増えてしまって大学へはいかず、しかし同学年の大学生を見ていると金を儲けても何か足りない気がして青春を謳歌するために慶応SFCへ行ったが仕事が忙しくて卒業に7年かかったとか、淡々とした語り口でそういう感じの人物像がいくつも語られて行く。
松島は「マネーリッチであることは最低条件。しかしそれだけでは足りない、タイムリッチでありフレンドリッチでありマインドリッチであることも同じように大切だ」と言っていて、まあそれは全くそうだろうと思う。彼らの特徴は「ホリエモンは目指さない」ということで、古市はこの本で「下流でもなくホリエモンでもない」若者像というものを書こうとしているというのだけど、つまり違うところは「会社を大きくしたい」とか「社会を変えたい」とかそういういわば「大志」を持たないで、身の回りの気の合う友だちや家族たちとやりたいことをやって楽しく心豊かに過ごせればいいと考えることだというわけだ。
まあこの辺は、何というかアメリカの企業家たちの標準型というのがそういう感じだなと思った。儲けて引退して楽しく暮らす、みたいな感じだけど、彼らは仕事そのものが楽しいので引退とかは考えてはいないようだ。まだ30前だし。社員を3人以上にしないとか、そういうのも言いたいことはわかる。
まあこういう本を読んでいると、昔は若者はそんなことでいいのか、みたいなことを思ったのだけど、まあ別にそういう人がいたっていいな、というふうに最近は思えるようになってきた。まずそういうふうに過不足なく過ごせるようになってから、もっと楽しいことをしたくなったら社会に打って出ていくという考え方だってあるなあと思う。われわれの世代などはどうしてもすぐ全か無か、みたいになってしまって、楽しいことをあきらめて就職する、みたいな感じになる人が多かった。私などは中途半端にずっといろいろなことをやりながら来ているから、こういう感じでやれると楽しいだろうなとは思う。彼らの仕事自体が自分に取ってそんなに興味が持てることでもないのでまあその辺はなかなか、というところはあるのだけどね。
でもまあこういう感じで、ほとんど個人業種みたいな人たちが増えていくのは、私は悪いことではないと思うし、古典的民主主義というものはもともと8割が雇われの勤め人というような社会ではなく、独立自尊の個人業種の人たちによって成立していったものだから、むしろ先がよりひらけて行くんじゃないかなという気もする。
まあまだよくわからないことが多いけど、下流でもホリエモンでもなくて、就活鬱にもならない、そういう元気のある若者がたくさん出て来た方が、日本はより元気になるんじゃないかなとは思う。いろいろな意味で、私は日本の未来にそんなに悲観していない。
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