ペースを取り戻すこと/占いの使い方:4種のタロットカード/定点としての神保町/福の神と貧乏神

Posted at 12/12/25

【ペースを取り戻すこと】

昨夜は10時に寝た。だいぶ疲れが蓄積していたらしく、朝6時過ぎまで一気に寝て、だいぶ疲れは取れた。いろいろなものを取り入れすぎだったんだなと思う。食べ物も、見るものも、読むものも、その他もろもろ。もともと必要以上のものを取り入れようとしない体質だから、少し取り入れすぎていた、ないしは取り入れようとし過ぎていたことがかなりの負担になっていたように思われる。もともと何もなくても生き残れるように自分の能力を最大化しているのが動物というものだから、必要以上のものが入ってくることに慣れていない。好きなものもそれほどでもないものも含めていろいろなものが入りすぎて、ちょっと一杯になっていた。こういう時には頭も体もとにかく休めて寝るのがいいみたいだ。

昨日の夕方神保町に出かけたのもよかった。クリスマスの喧噪のなか、新お茶の水から神保町は自分のペースを守っている感じで、なんだか楽になった。特にがいあプロジェクトの前を通りかかった時に、いつもののほほんとした感じの音楽がかかっていてすごく癒された。

今ふと考えていると、忙しすぎて今月は整体の活元の会にも愉気の会にも行ってなかった。日が決まっているから曜日的に行ける月は限られているのだから、こういう月は行きたいのだが、年賀状のことなどもあってどうもまったくそんなことは失念していた。やはりまったくペースを見失っていたんだなあと思う。

ペースを見失っていたと言えば最近ブログの更新回数も落ちている。まあ一日に起こることが書けることばかりではないし、書いても仕方ないこともあるから毎日更新すればいいというものではないけれども、やはり自分のリズムという点ではなるべく更新はしたい。特に8月から書いていた小説を書きあげてしまってからはそういう意味では余裕があるのだし、もう少し書いた方がいいなと思う。

頭痛のもとになるところを愉気しながら書いている。

日曜日に見た清盛の感想は、もう少ししてから書いた方がいいかもしれない。ノートにはかなりたくさん思ったことを書いているのだが、せっかくだからもう少しまとめて気合が入るときに書こう。ペースを取り戻すには、よく休んで頭も体もリセットすることが必要だと改めて実感した。


【占いの使い方:4種のタロットカード】

幸せをつかむタロット占い―天野喜孝オリジナル・カード78枚
成美堂出版

タロットカードの方は今4種類持っていて、まあそれぞれに特徴があって面白い。諏訪に置いてあるのが二セットとも大きいサイズのもので、東京においてあるのが両方とも小さいカードになったのはまたそれも何かあるのかも。全部日本人の作ったものだからまたそれはそういうバイアスもかかっているのだろうけど、それぞれの一つ一つの違いや癖のようなものを呑み込んで使ってみると面白い気がした。

はじめてのタロット
鏡リュウジ監修
ホーム社

タロットを使うようになってからしばらくは22枚の大アルカナだけでやっていたのだけど、最近は56枚の小アルカナも入れて78枚で使った方がやはり表現が立体的になって面白いのだということが分かってきた。易も最初始めたころは64の卦だけで見ていたが、やはりそれぞれの6つずつの変化(爻)まで見たほうが面白いのと同じだ。

アルケミア・タロット ― オリジナルタロットカード78枚セット
実業之日本社

私は考え方が固いというか、想像力が足りないというか、考え付くバリエーションに偏りがあるというか、まあそういうものは誰でもそうなのだろうけど、占いというものの面白いところは自分では考え付かないアイデアを提供してくれるというところにあると思う。人生なんてどうせわからないものなのだし、自分で考えてやることが出来る範囲というものはある意味たかが知れている。カードに示されたものが偶然なのか宇宙の意思であるのかはともかく、少なくとも自分の考え付かないことが示されることは確かで、そこに示されたストーリーから自分の在り方を振り返ってみることが大事なのだと思う。

運命が見えるタロット占い―神秘のカードでしあわせになる
成美堂出版

まあそういう意味で易も面白いのだが、やはり『易経』に表現されている殷周時代の貴族の生活を反映した言葉よりも、タロットに示された考え方の方がどうも現代の自分には伝わってくるらしく、今のところはタロットの方が面白いなと思う。まあ4つのカードの4冊の解説書はそれぞれに表現していることが微妙に違うし、カードの並べ方なども4つとも違う(笑)ので、何が標準なのかわからないけど、とりあえず使うカードの解説を採用して並べ、解釈することにしている。

占いというのは、それに縛られるものではなく、そこでクリエイティブな想像力を働かせて、人生の彩りを増やすとともに、偶然か宇宙の意思かは知らないが、何か自分とは違う、人間とは違う何かと会話して、自分のあり方やペースを調整して自分らしく生きるために使うべきものなんじゃないかと思った。


【定点としての神保町】

Landreaall 21巻 (ZERO-SUMコミックス)
おがきちか
一迅社
冷食捜査官(1) (モーニングKC)
とり・みき
講談社

昨日は夕方神保町に出かけた。おがきちか『ランドリオール』21巻の限定版を発送したというメールがamazonから来たので通常版ももう売っているだろうから買おうと思って出かけたのだ。整体と同じでどうも神保町というところは自分の人生においての定点になっていて、時々行くことで自分を見直すことが出来る場所になっているようだ。書泉ブックマートの2階でランドリを買って3階に上り、物色してとり・みき『冷食捜査官』1巻を買い、自分へのクリスマスプレゼントだ、と思って階段を降りようとしたらそこにあったポスターで小路啓之『ごっこ』3巻が出ていることを知り、慌てて買おうとしたが売り切れだった。そこで三省堂に走ったがここでも売り切れ。もう店は閉まっているかと思って慌ててコミック高岡に走ったらまだ開いていて、お店の人に聞いたら『ごっこ』3巻だけでなく『来世であいましょう』4巻までそこにあったので嬉々として2冊とも買った。そこには『かげふみさん』もそろっていたのだが、とりあえず買うのはやめておいた。また探すのが大変になるかもしれないのだが。

ごっこ 3 (ジャンプコミックスデラックス)
小路啓之
集英社
来世であいましょう (4) (バーズコミックス)
小路啓之
幻冬舎

というわけでほくほくしてコミック高岡を出たら、隣がディスクユニオンで、ちょっと覗いてみることにした。ツイッターで読んだカエターノ・ヴェローゾという人のCDを買ってみようと思って探したら、地下にワールドミュージックのコーナーがあり、カエターノのCDもブラジルのコーナーに何枚もあって、どちらにしろよくわからないので「Fina Eatampa」というアルバムを買った。ききやすい音楽だが、どうもそれだけではない何かがある。南米という世界はマルケスやバルガス=リョサなど文学を読んでいても、音楽を聴いていてもどうもよくわからないところがあるのだが、何かヨーロッパにもアメリカにも中国にも日本にもないものがあるなあと思う。その魅力が本当にわかっているとは思えないけど、ちょっと聞いてみることにした。

Fina Estampa
Caetano Veloso
Polygram Records

外に出るとそこに欧風カレーの看板が出ていて、よくわからないけど入ってみると、広々とした店内に親子連れとかおじさん一人の客とかがぽつんぽつんといてなんとなく落ち着くなあと思い、ポークカレーを食べた。途中でカップル客が何組か入ってきたが、何というか真面目そうな学生っぽい客が多くて、やっぱりこういう世界が落ち着くんだなと思った。

家へ帰ってシャンパーニュのミニボトルを開け、ネットをザッピングしていたら米長邦雄さんの追悼番組をニコ生でやっていたのでそれを見てしみじみして、風呂に入って10時には寝た。

何十年も神保町に通っているのに、新しい発見というのはあるものだなあと思う。


【福の神と貧乏神】

今朝起きたときに、人の欲しがるものを欲しがる必要はないが、私は人生において無駄を嫌いすぎなんだなということも思った。無駄だと思うから無駄なので、余裕だと思えばそこが余裕になる。無駄を省こうとし過ぎないで、少しそういうものを抱えておくのもまた惜福というものだし、そういうところから新しい展開が生まれてくるものでもあるだろうと思う。そういう目に見えないところに神というものはいるのかもしれない。こんなのかけておく必要があるのかよと思う保険が思わぬ時に役に立ったりするように。一見無駄と見えるところに福の神はいるのかもしれない。逆にあまり無駄を嫌いすぎる気持ちに貧乏神がいるのかもしれないな。

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