Do the right thing?

Posted at 12/11/01

【Do the right thing?】

ここ数日気分がぱっと晴れやかになることがなく、なんかいつでもじっと考えている感じがするのだが、それにつれてちょっと呼吸が浅くなっているような感じがし、なるべく深く呼吸するように心がけている。少し活元運動をしてみたり、導引の行法をやってみたりすると凄く体が解放される感じがするので、身体の感じ方そのものが鈍っているわけではないのだろう。つまり何というか問題にずっと取り組んでいるような感じが続いていると言えばいいのだろうか。まあ人生にはそういう時もあるだろう。明日は整体の操法を受けに行くので、身体も心も少しは楽になるだろう。

今日は朝モーニングを買いに出かけ、資源ごみの蛍光灯などを出しに行ったりしていたのだが、帰ってきてモーニングを読んで凄く感動した。というか、基本的に毎週感動する。今週は巻頭カラーの「グラゼニ」もよかったが、二つ目の「Giant Killing」、三つ目の「宇宙兄弟」で超感動し、四つ目の「ライスショルダー」でとどめを差されたという感じ。このラインナップでクライマックスがいくつも並ぶとさすがに一流誌は違う、と唸らされる。一流誌で連載しているマンガというのは何というか神がかったところがあると思った。これは単行本だけでは分からない雑誌というものの魅力だ。「グラゼニ」と「ライスショルダー」は単行本は買ってないが、「ライスショルダー」は買ってもいいかもしれないと思った。なかいま強の前作「黄金のラフ」は一時単行本を買うかどうか迷ったが結局買わなかったのだが、実はこちらの方が名作かもしれない。

ライスショルダー(13) (モーニング KC)
なかいま強
講談社

天のいと高き所にホザンナ、ではないが私はどちらかというと天上的なものを求めて行くところがあり、何か神に近いところにいるものに親近感を覚えたりすることがあるのだが、その分現世的なものとか地を這うもの、地霊の呼び声的なものに鈍感だったり敬遠したりするところがある。作品を書くときも自分の作品はリアリズムではなく、どちらかというとそういう天上的な意味でも地霊的な意味でも人と少し離れたものと人との距離、人との関係みたいなものを書いたりするところがあるのだけれども、やはりそういうものでも天上的なものばかりを追い求めていては何か足りないものがあり、地霊的なものの中に天上的なものを求める契機がある、その契機のようなものを拾い上げて書いていければいいのかなと思ったりした。

そういえば今日から11月。昨日はハロウィンの夜ということで、ツイッター上で鏡リュウジ氏がタロットを引きましょう的なイベントをやっていて、氏のタロットのiPhoneアプリをダウンロードしてワンオラクルでカードを引いてみたら出たカードは"Justice"、「正義」だった。正義ねえ。どう解釈したらいいのかなと思い、正義の女神の意匠にある天秤(弁護士のバッジでもある)にちなんで「バランスを取って注意深くという意味でしょうか」とツイートしたら、氏からは"Do the right thing?"という返信をいただいた。「正しいことをなせということでは?」と言われてはあそうかなるほどと思う。というわけで昨日から「正しい」とはどういうことだろうとか、「正義」ってなんだろう、と考えていたのだけど、自分にとって正しいこと、正義というのは、そういう地霊的なたましいを天上的な方向へ昇華していくそういう流れを作ることなのかなと思ったりしたのだった。っていうかまず自分自身をその流れに乗せるということなのかなとも思うのだが。

まあそんなことを考えたりしながら小説の続きを書く。今日はだいたいノート8ページ分を書いた。手書きで書くときとパソコンに打ち込むときはかなり書く姿勢や心持ちが違うのでノートに書くときももちろん大事なのだが、それをパソコンに打ち込むときもかなり大事な時間なのだということを改めて思った。きちんと集中できないときにやるべきことではない。ただこれで6部作中第5部の形がだいぶ整ってきた。最後の落ち着け方をもう少し考えなければならないが、広がりはだいぶ出てきた感じがする。

一休みして車を運転して隣町のユニクロに出かける。下着と靴下のいいのを探したのだが下着は思ったものがなく、靴下はヒートテックのものを4組ほど買った。帰りに書店により、いい加減積んどく本をこれ以上増やすのもいかがなものかと思っていたのだけど、結局2冊買うことにした。

最近、本当に本やマンガを読むときに細かいところを重視してしっかり読んで重要なことをきちんと受け取ろうという感じになってしまっているためになかなか読了するまで読み切ることが大変になっているのだ。それなのに書店に出かけると大事だと思われる本が必ずある。一生かかっても読み切れないかもしれない本をまたまたコレクションして行ってしまうのかなあと思わされるのだが、それもまたそういう人生なのかもしれない。


買った本は茂木健一郎『挑戦する脳』(集英社新書、2012)とマリオ・バルガス=リョサ『継母礼賛』(中公文庫、2012)の二冊。

挑戦する脳 (集英社新書)
茂木健一郎
集英社

『挑戦する脳』はツイッター上でもよく語られているけれども、確かに茂木氏の代表作の一つになりそうな作品ではある。まだ読み始めたばかりだが、学習するとは挑戦し続けることであり、脳というものは完成することはない、オープンエンドのもので、だからこそ人生は楽しいという基本的に大変開かれた明るい内容の本で、茂木氏らしさを感じた。少しずつ読みたい。

継母礼讃 (中公文庫)
バルガス=リョサ
中央公論新社

『継母礼賛』も少しだけ読んだが、昨年のノーベル賞受賞者であるバルガス=リョサがこういうエロティックな小説を書く人だとは知らなかったので大変面白いと思った。表紙は「官能的な名画」なのだが、内容もそういう感じで、ただでもポルノグラフィーそのものには陥っていかない、きちんと正統的な教養を前提とした内容(少なくとも読んだ限りでは)になっていて、ああこういうものを書く人がノーベル文学賞を取るんだなあと思うとなんだか楽しい感じがして来るようなものだった。

全く昔は多少読みにくい本でも新書などは気合で読みとおしたし、マンガを途中で放り出すなどということは面白くないとき以外ほぼ考えられなかったのだが、最近は面白い本であればある程読むのが時間がかかるようになってきた。それもまた一つの読書の形ではあると思うし、その本から得られるものはそちらの方が深いだろうとは思うが、自分の中で「広く浅く」と「狭く深く」のバランスを取ることはけっこう大変だなと思う。ただ、自分がどちらが幸せになれるかというと、やはり「狭く深く」の方だろうなあという感触はあり、まあそれがとりあえず今のところは「正義」への道なのかもしれないと思ったりした。

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