身体の共振性/電子書籍はどうなっていくか/読みかけの本
Posted at 12/10/17 PermaLink» Comment(1)» Tweet
【身体の共振性】
先日東京に帰った時に芝居をやっていた時の友人から手紙が届いて、その当時の公演のビデオをDVDに落としたものを何本も送ってくれた。手紙自体も相当に長くて、私が送った小説の感想とか、DVDに落とした芝居についてのあれこれなど、いろいろなことに触れ、いろいろな観点からさまざまなことを論じていたり思い出を語ったりしていたので、読んでいてすごく楽しくなるようなものだった。今日は午前中、その手紙の返事を書いていたら私の方も便箋14枚になってしまい、普通の封書のはずが140円分の切手を張ることになった。
その中ですごく思ったのは、自分が小説を書いたりするときに自分の中からさまざまな古代的な妄想というかそういうものを呼びだして書いている部分があるのだけど、それを作品に仕上げて行くときに段取りを立てたりしているうちに現代的なものにそのまま変化して行ってしまう面があるということだった。それは芝居を作っているときもそうで、「他の存在との共振性」というか、そういうものを脚本の中に入れていてそれが好きなのにそれを演技で表すところまで詰めてなかったり、それを芝居全体の中でどう位置付けるかが考え不足だったりしたなあと思う。それを彼は「近代的過ぎた」と表現していたのだけど、確かにエチュードをやっているときはそうした「身体の共振性」みたいなものをかなり意識してやっているのに芝居作り、公演準備のときは近代的な文法に従って作っていたなあと思うし、そういう部分がまだやはり自分の中に残っているのだということは意識させられた。やはりあのころの友だちと話したり手紙のやりとりをしたりすることはすごく刺激的だなと久々に思った次第。
(まだ残部ありますのでご希望の方はコメント欄からお願いします。表示はされません。)
【電子書籍はどうなっていくか】
『熱風』10月号掲載の電子書籍に関する対談の感想の続き。
文章コンテンツは内容以上に「読書体験」を売っている、という考え方は面白いと思った。「読書体験」とは読書に至るまでの体験もすべて含むという考え方で、買うこともその重要な一部だと。確かに全集とか百科事典は揃えた時に役割の半分が終わっていると言えないことはない。内容は大事なのだけど内容がいいか悪いかだけになっているのは問題だ、という指摘は実際に本を売った経験のある人でないと言えない言葉だなと思った。この発言はメルマガスタンドの「夜間飛行」をやっている井之上さんのものだが、元は中央公論社にいたのだそうだ。
本というのは買うのがまず楽しみで、読むのが楽しみで、いい本だとそれが本棚にあること自体が楽しみになる。そう考えてみると電子書籍というのは読書体験のかなりの部分がそぎ落とされた貧弱な体験しかできないわけだから、攻めて有料にして買ったという体験をちゃんと味わってもらうということは重要なことかもしれないなと思った。その方が絶対真剣に読んでもらえるしね。
堀江メルマガや津田マガは毎回膨大なコンテンツがあって、読み切る人はそう多くないと思うのだが、しかしだからこそ読み切れないので価値のあるなしを購読者が言う資格がなくなり、批判・否定できないのだ、というドワンゴの川上さんの指摘は可笑しかった。確かに読みきれる量を提供するという「親切」は、「もの足りない」という不満を呼びがちだということはあるんだろうなあ。読者というものは欲深で、自分が味わえる以上のものを所有したいと思うのだ。その「人間の性質の機微」というものをこの人は分かっていて、なんかその辺が末恐ろしいなと思ったのだった。確かに絵にしろ小説にしろ映画にしろ、「全部分かった」という感じがする作品はものたりない。分からない部分があるからこそ魅力的なわけで、それは本やコンテンツでいえば量的に物理的に多いということになるわけだ。小説や映画でいえば、分からないところがあると感じるからこそ批評というものが成立する余地があるとも言えるわけだし、これはものを作る上でかなり重要なことかもしれないと思った。逆に足りない感じとかちょうどいい感じとかを演出する上でも、そういう「人間の心理」を押さえておくことは大事だと思った。
あと、電子書籍の問題点というのは、ネットのコンテンツすべてに共通する問題点とかなり重なっていて、出版社の機能の本質はどこにあるか、それが電子書籍化することによってどう変化する必要があるかという問題まで考察する必要がある。この辺は別のところで豊崎由美さんが書いていて、最小の出版ユニットは編集者と校閲者と弁護士の三人で出来る、という指摘が正しいと思った。実際自分も小冊子を作ってみて思ったが、著者のレベルである程度のものがつくれれば編集と校閲をどうにかこなして、あとは法的な問題が起こった時に著者を守れる体制ができていればよい、ということになるのだと思う。この場合、編集の役割はネットの特性を理解してどのようにつくればどのように売れるかということまで考えてコンテンツを作るところまで含まれるということになるわけだが。
メルマガに関してはその役割を担うプラットフォームとして、つまり今までの出版社に近い機能が考えられているのが「夜間飛行」でありニコニコがやっている「ブロマガ」であるということらしい。「夜間飛行」は私もそこで甲野善紀氏のメルマガを取っているしePub形態のものをDLして読めるなどいろいろ工夫されているなと思う。「ブロマガ」に関してはよくわからない。「まぐまぐ」はそういう意味でのプラットフォーム的な弱さがあって、私も一時詩のメルマガを出してはいたからその経験から言ってやはり物足りないものがあるという津田さんの指摘はその通りだと思った。
川上さんは炎上することを嫌うネットユーザーには訴訟リスクはあまりないというが、井之上さんも杉原さんも無料・無制限を至高善と考えるネットのバイアスを考えると、出版社の機能としてのコンテンツの編集ないし共同制作、著者の防衛、正当な代価の受け取りという「作る・守る・取る」の多面性を理解してもらえず、ただ「不当な搾取者」として憎悪の対象にされる、ということを恐れているという。津田さん川上さんはそこを言っていかないといけないということを言っていて、
そして今後の展開としては、構成のセンスがあってネットの特性を理解している人間が出版の世界には不足しているから、逆に構成のセンスのあるネットユーザーに構成の方法論を覚えさせて方がいいと津田さんが言っていて、絶対数から言ってそちらの方が期待が持てるのだろうと思った。少ないプロの中からさらに貴重なネット理解者を探すより、膨大なネットユーザーの中から見どころのあるのを選んで育てるという方が確かに正解にたどりつきやすいだろうなと思った。まあ指導者は両方を理解している人でなければならないけれども。
実際この対談は、現場を持っている人たちの何をどうやって言ったらいいかという具体的な話で出来ていて、すごく刺激的で面白かった。これから自分がどういう形態で自作を押して行けばいいのかを考える上でもすごくヒントが隠されているように思った。
それから蛇足のようなものだが、この対談の中ではやはり堀江貴文という人のスター性を強く感じたし、そして堀江より後の世代である対談者たちから見ても、堀江という人が実に感覚的な人で、そういう意味で興味深い人に見えているんだなということも感じた。この四人は実に論理的に(いや直観に非常に優れている面はもちろん感じたけれども)仕事を進める人たちでそれはそれで頼もしい感じはしたのだけど、やはり堀江氏はビジョナリーであり先駆者であったと改めて感じたのだった。
【読みかけの本】
いろいろ忙しくて読みかけの本がたくさんあるのだけどなかなか読めない。リストだけ挙げておこう。
・松井孝典・三枝成彰・葛西敬之『人生の座標軸を持て―自分の価値は自分で決める 』(ウェッジ選書、1999)
・バルガス=リョサ『若い小説家に宛てた手紙』(新潮社、2000)
・村上春樹『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』(マガジンハウス、2012)
・蔡一藩『まさつ〈経穴〉健康法―特効をもたらす中国医学の公開 』(青春出版社、1973)
・村上隆『創造力なき日本 アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」』(角川Oneテーマ21、2012)
それぞれ全然中心が見えないが、(笑)それなりに今までも言及してあったりする。4冊目は導引術関係の本で、勧められたもの。あとはまあ、著者名と題名である程度は想像できるかもしれない。
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"身体の共振性/電子書籍はどうなっていくか/読みかけの本"へのコメント
CommentData » Posted by kous37 at 12/10/17
※堀江貴史は1972年生まれなので68年生まれの川上よりは年下だった。73年生まれの津田とはほぼ同世代、井之上と杉原は77年生まれなので少し下ということになる。