人生を振り返って未来を展望する

Posted at 12/09/15

今までの人生を振り返ってみるいい機会だなあと思うようなことがあって、今朝はちょっとそんなことについて考えていた。特に30代の苦しかった時代のことを考えて、また40代の地道だけど本当に少しずつ前進していた時代のことを考えていたりした。40代も最初のころは一進一退という感じだったけど、そのうち二進一退くらいになってきて、さらには半進不退くらいになり、今では一進不退くらいにはなってるかなと思う。いろいろ考えたり落ち込んだりくよくよしたりすることがないわけではないけど、そこで退くのではなく、気持ちを新たにしてまた前進するとか、そういう感じになっているというか。

落ち込むときはどうしても自分の方向性自体に自信がなくなり、そこで今までやっていることをやめて違う道に進んでみたくなるというようなことを繰り返していたのだけど、生きているうちにはいろいろ迷うこともありながら身につけていくこともあるわけで、どこで聞いたのかあるいは読んだのかもう忘れてしまったけど、今一番重要だと思うことの一つは落ち込んでいるときに重大な決定はしない、ということだ。本気で方向転換するならば大きなエネルギーがいるわけで、ある種の気の迷いから大きな決断をして失敗するということはとてもよくないことだと思う。もちろん間違っていたと気がついたことは直さないとだめだけど、それでも元気が出た時にもう一度考えて見た方がいい。

ただ、落ち込んでいるときに見えていた自分の真実みたいなものが元気が出て来ると見栄や世間体、自分に対する余計なプライドみたいなものが邪魔をして間違っているという真実を否定したくなってしまったりもするので、まあそのあたりのところはちょっと難しいところがなくはない。特に若い間は。というか自分の30代はそれで無理が無理をこじらせて大変になったというようなものではあるが。だから大事なことは、いつも本当に自分やりたいことは何なのかということをはっきりさせていくことなのだけど、これはやりたくないということを押し殺しながら仕事をしているとそういうことに鈍感になってしまうので、また話が面倒になってしまうのだった。

まあ気がついたときにはさっさと撤退する勇気のようなものも必要なのだが、まずはその見極めが肝心であって、本当に全身全霊の観察力のようなものが必要だなと思う。私のような人間にはなかなかそれもそう簡単なことでもないのだが、人によってはすごくしなやかにそういう状況を切りぬけていく人がいて羨ましいなとは思う。まあ私も苦労した分くらいは多少は出来るようになっているとは思うのだけど。

まあそういうわけで30代と40代のことを中心に振り返っていて、じゃあその前の0歳代10代20代はどうだったのか、そしてこれからの50代にどういうビジョンがあるのかということを考えてみようと思った。30代の暗い時代を振り返っているとだんだん暗く悲観的になって来るのだけど、そんなことやってもこれからを生きる力にはならないわけで、人生全体を貫くビジョンのようなものがなければいけないと思う。未来を生きる力になることでなければ考える意味がない。

さあっと振り返ってみて、自分の0歳代は何も知らずに生まれてきて(そりゃそうだ)、本と出会った。そして小学校の担任の先生に作文指導に熱心な先生がいて、私は先生に読んでもらうためにどんどん作文を書いたことを覚えている。どんな本でも手当たり次第に読んだけれども、やはり物語性のある本が好きだった。実話も含めて。だから0歳代を総括してみると、「物語と作文の幼年期」という感じでまとめられるかなと思う。

10代はけっこう波乱があって中学時代には学校や周りの環境に不適応な部分が強くなったり、逆に高校時代はすごく楽しかったりした。中学の暗い時期には歴史や美術や空想に耽溺し、一人でギターを弾いたりした。後半はオープンに人と付き合う方を覚え、女の子に何人もふられたりした。総括してみると「生活環境への適応と人間関係を学んだ少年期」というような感じか。

20代はもうガンガンいろいろなことがあったが、一番メインになるのは演劇活動にフル回転したことと、東京で生活してアートや映画や新しい知識にどんどん飛び付いたことだろう。本当にいろいろなタイプの人と男も女も含めてつきあったし、精神的起伏は激しかったけど豊かで充実した20代だったと思う。時代がちょうど80年代で消費全盛の時代だったし、アカデミズムも元気で何を勉強しても楽しかった。ただ私は芝居をのぞいてはその時好きなことをどんどん楽しんだ感じが強くて、いろいろ読んだ本も新書が中心だった。今でも講談社現代新書や中公新書が本棚には大量にあって、新書的教養からなかなか出られなかったなと顔が赤らむところがある。そういう意味ではある種の上澄みというか、世の中の表面的な部分から奥に入っていくことができない感じが自分の中にあって、それが不満だったし苦しかったのだと思う。いつでも基本的には楽しかったけど、多分本当に自分がやりたいことはそんなにはやれてなかった。でもその周りのことも楽しくて、やりたいことが分からなくなっているという面はあったなと思う。「演劇と人付き合いと都会生活の青年期」みたいな感じだろうか。

30代はとても苦しかった。公教育の仕事が納得のいくものではなく、結婚もしたが価値観の違いが露わになって、演劇も続ける先が見えなくなり、大学院に行ったものの学問も結局はやりたいことと違った。経済的には生活は安定したが仕事も私生活もむちゃくちゃだったし、昔の友達とは疎遠になり新しい知り合いとはこじれやすく、結局どれもこれも挫折して体調まで崩した、という感じだった。しかし36歳で離婚し仕事をやめて大学院も終了し、何もないところから再スタートして、ネットで詩や文章を書きはじめて新しい人間関係もできたり、39歳のときには長野県で短大の仕事をはじめて、また野口整体と再会したこともあって、30代の終わりには新しい道が、どこへ行くのかは分からないけれども始まっていたと今では思える。そういう意味では「挫折と再生への鼓動の30代」、ということになるかなと思う。まあまだ全然再生はしてないな。

40代はネットで詩を書き、それが文章になり、メルマガやサイトなどいろいろな試みをし、エッセイを書き、論文を書き、批評を書き、いろいろなものを試して、最終的に小説にたどりついた。私はもともと小説という表現形態の作品のどれもが好きだというわけではないから、物語や小説を書きたいと10歳くらいのころから思っていたけど、なかなかどうしたらいいか分からなかった。10代後半で少しずつ詩を書き、20代で芝居をやってた時に初めて戯曲を書いてフィクションの書き方を少しずつ理解して行くようになった。試行錯誤の時代はものすごく長かったが、43歳ころから小説らしいものを書き始め、45歳で一つの転機、47歳で子どもも読めるものを書き始め、49歳の終わりからまた新しい方向性が生まれている。自分の中にあるさまざまなものを昇華して行くのに小説という表現形態があってるなと思うし、村上春樹なんかを読んでそんなに共感するわけじゃないんだけど何を書いてもいいんだなという実感を持ったことがけっこう大きかったかもしれないなと思う。松本の講師の仕事から実家での塾での仕事に重点を移し、引き継ぐ形で塾の仕事を続けている。40代を総括すると、「長野県での仕事とネットでの交流と小説表現の発見の40代」ということになるか。ほんとに一歩一歩という感じの前進なのだけど。

50代はまだなったばかりだけど、どんな時代になるだろうか。これからどんどん小説を書いて行きたいし、昔の友人たちで演劇やアートや音楽や芝居に関わっていた人たちとのネットワークをもう一度作りなおして、ネットやリアルの情報手段や発表の舞台をお互いに生かすような意味でのコラボレーションを広げていきたいなと思う。最近ようやく、未来のことを考えていて光を感じられるビジョンが見えて来た。つまりは「小説とコラボレーションと明るい未来の50代」にしたいなと思っている。

今まで自分の年譜を何度か書いてみたのだけど、今回のものが自分にとっては一番大事だなと思うのは、今までは年譜を西暦で書いていた、時代の中に自分を位置づけようとしていたのだけど、今回は自分の年齢を基準に書いてみたこと。客観的にはともかく、とにかく自分にとってその自分の時代はどうだったのかということが考えられたのがよかったと思う。1992年の出来事、というより自分が39歳~40歳に起こったこと、と考えた方が自分にとっての意味が格段に分かりやすくなる。自分の中の内的なつながりを見失いやすい人には、そういう書き方もけっこうありなんじゃないかなと思った。

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