紀伊國屋書店「ほんのまくら」フェア/高野竜君主催『平原演劇祭第二部』:演劇とは何か、と考えたり

Posted at 12/08/27

【紀伊国屋書店「ほんのまくら」フェアとシュペルヴィエル】

昨日。先週会った友人に新作を読んでもらった感想を聞くために11時の待ち合わせで新宿へ。少し早く着いたので紀伊国屋へ。一部で評判になっている、書き出しだけ明かして中身を見せずに本を選ばせる『ほんのまくら』フェアを見に行った。割合こじんまりした空間に表に書き出しだけ書かれたビニール入りの文庫本が並んでいる。ちょっと読んでみたい気になったのは「ブルース・リーが武道家として示した態度は、「武道」への批判であった。」という書き出し。これは面白そうだ。難だろうと思ってネットで調べると阿部和重だった。くそう、阿部和重にやられるとは。(笑・※ネタバレなので白抜きにしました。)まあとりあえずそれは買わず、文庫コーナーでシュペルヴィエル『海に住む少女』(光文社古典新訳文庫、2006)を買った。まだあまり読んでないが、寓話体?の短編小説集。あまり知らなかったがこの人、堀口大學や澁澤龍彦が訳しているらしい。まあしかしあまり先入観を持たずに読んでみよう。

海に住む少女 (光文社古典新訳文庫)
シュペルヴィエル
光文社

友人とカレーを食べながら小説の話など。いろいろ参考になる話を聞けたのだが、冷房が直撃するところに座ったためにちょっと調子を崩してしまい、早めに切り上げる。


【是政線と言いたい元地元民】

中央線で武蔵境まで行き、ものすごく久しぶりの西武多摩川線に乗って是政へ。是政には私の通っていた小学校と幼稚園がある。清水ヶ丘には7歳の時までしかいなかったのだけど、いろいろ思い入れもあり、時間があったら帰りは東府中まで歩いて往時をしのぼうと思う。多磨墓地前の駅は多磨と改称されて外語大の最寄駅になっていた。私は一時紅葉ヶ丘に住んでいたこともあるので、その当時は京王線でなく是政線も時々使っていた。正式名称は西武多摩川線だが是政線と小学生当時の私たちは呼んでいた。何ともローカルな感じがいいんだけどな。次の白糸台なんて駅あったかなと思ったが、昔の北多磨駅らしい。競艇場前でいかにも競艇場へ行く人たちはだいたい降りて、是政まで行く人は子ども連れ、部活の中学生たち、という感じだった。昔は本当に田舎だった是政のあたりも、駅前に大きなマンションが出来てあたりは住宅街になっていて、東府中と是政の中間あたりがぽっかりと取り残された感じにこの間来たときはなっていたのだけど、今はどうなのだろうか。


【高野竜君主催『平原演劇祭第二部』:演劇とは何か、と考えたり】

高野竜君主催の『平原演劇祭 第二部』を見に行ったわけだが、早めについたので場所だけ確かめて少し散歩でもしようかと思ってうろうろしたらマンション横で高野君がゆらゆらしていたのですぐ場所はわかった。少し話をすると私の芝居仲間だった林君も来るとのことでせっかくなので先に店内に入った。

こじんまりした喫茶店で、すでに何人も客だか出演者だかわからない人たちが入っていたけれども、全員で20人も入れば満員という感じだ。私は一応最前列だと目される場所に座ったが、いろいろ微妙だった。やがて林君も来て最近どうしてる的な話を少しし、高野君の口上があって開演。演目は高野竜作「詩とは何か 第一幕」、生田粋ライブ、高野竜作「音信不通の姫」の三部構成。口上で3時間か3時間半とか言ってるのでおやおやとか思いながら見始めたが、実際には2時間で終了だった。

「詩とは何か 第一幕」。出演は現役高校生・斎いおりさん。トイレの入り口に近いところに座っていた彼女が立ち上がり、芝居が始まった。私の位置からはずっと横顔が見えた。構成はずっとモノローグ。高野君が宇野重吉賞を取った『アラル海鳥瞰図』と同じく、聞き書きを基にした構成。もちろん中身は全然違うが、村上春樹『アンダーグラウンド』を芝居にしたらどうなるかということを少し想像した。しかし村上は小説家で高野は劇作家。声に出される言葉がいのちという点で、小説家の表現とは根本的に異なるものがある。

モノローグということはつまり一人芝居なわけだが、斎さんの芝居はとてもよかった。セリフを口に上らせた後でそれをもう一度自分の中で確かめている、ように見える。それは演者としての彼女が、というよりも、その声を発している劇中人物が自分の中でその言葉を確かめている、という感じ。世界に初めて発せられた言葉。それに対する戸惑い。それを一つ一つきちんと確かめながら、言葉への確信が役者の中で、または作中人物の中で徐々に深まっている。その「確信」は蓄積していくというよりは、というかそういうものではなく、「中」を広げ、深めていくようなものとして「彼女」自身に働き、彼女自身の中で響く声がどんどん大きくなって、それが観客にいたいほど伝わってくる。その世界の新しさ、みずみずしさ。

それはある意味、この年代の、おそらくはある種の女の子にしかない世界での存在の仕方で、たとえば原田知世や薬師丸ひろ子の刹那の輝きに共通し、私たちと一緒に芝居をしていたTさんのことをすぐに思ったのだけど、全世界が味方にならずにはいられない何かだ。その反響の仕方で彼女は空間を演劇と呼ばれる何かに変えた。

いや、舞台があって照明があって音響があって、と厚化粧した何かを演劇というのなら、これは演劇ではないかもしれない。しかし戯曲(ほん)があって役者がいて演出があって稽古と本番があれば演劇であるのだとしたら、これはまさに演劇そのもの。演劇のない演劇祭、というのが今年の平原演劇祭の第一部のキャッチコピーだったが、こういうことが高野君はやりたかったのだなと彼女の作りだす空間の中で私はすごく思っていた。こわいもの知らず、世界は自分の前にしかない、そんな言葉が思いついたりもするが、まだそんな言葉で形容するのがもったいないくらいの年代というものがそこにはあった。

第一部が終わり、高野君が出てきて帽子に木戸銭を入れ、第二部が始まる。生田粋さんのライブ。ギターの弾き語り、伸びやかな声。私はこういう系統の曲をあまり聞かないので形容が難しいが、UAとかナタリー・マーチャントとかを思い浮かべた。生田さんは一番後ろに座ってギターを弾き、歌う。もう前も後ろもよくわからないが。というか、後で高野君に聞いたら舞台があれば舞台でやる、と言っていたが舞台と客席が一体の、とか客席でやる芝居、みたいに形容されるのは心外なんだろう。そういう形容、そういうレッテルは夾雑物であって、その人がいるところ、そこが舞台なんだ、ということなんだろうと思った。曲も声ものびやかで微妙な和音、微妙な曲調、いや微妙というとあれだ、ニュアンスに富んだと言えばいいか、なんというか心の中の普段あまり癒される当番が回ってこない場所に手を当ててくれるような、と言えばいいかな、すごく大事にしているものを大事に歌ってくれる、そういう歌い手なんじゃないかなと思った。

まあこれは音楽だけでなくすべてのアートと言われるものに言えることなのだけど、坂本龍一みたいに音楽以外のこと、社会的なものや価値観的なもの、主張的なもの、なんかそういう軽石みたいに、あるいは重金属みたいに固い、あるいは古い、そういうものに関わる意思を示さなくても大事なものは世の中にたくさんあるわけで、言葉で語れないことを語るのが小説や戯曲を含むすべてのアートがやるべきことなのであるから、だれもがジョン・レノンであってほしくないしまああるのは無理でもあるが、なんというか「天地のあわいにあれば懐かしく候」というか、そのあわあわしたところを表現してほしいな、と思わせる、というかそういうものを表現してどこまでいけるのだろうと思わせるような、そんな歌でありギターであり声だったなと思ったのだった。

歌が終わるとさらに入場者あり。2歳児未満の子ども連れのお母さんたちが何組か。今まで舞台だと思っていたところに茣蓙が敷かれ、子どもの遊び場になるという衝撃の展開。(笑)はてさてどうなるかと思っているうちに第3部開幕。「音信不通の姫」。この芝居も聞き書き・モノローグ形式で三人の女性が芝居をする。

駅への通路が見える側に座っていた女性が帽子をかぶって立ち上がり、芝居が始まった。青木規子さん。彼女は風景が見える芝居をする。南太平洋の、人口37人の島で観測する「熱帯病」の女性。彼女の向こうには海が、島の空が見える。星空も。波の音も。そこが小さな喫茶店の空間であるからなおさらなのか、福井からやってきた彼女が南の島に起こった何かを伝えていた。続いて酒井春夏さん。赤ちゃんを抱えたままの芝居は、311後、そのこと抜きでは語れなくなった日本というものを語っていた。私自身は必ずしもそうは思わないのだけど、というか日本を変えたのは311だけでなく、いろいろなことでいつも少しずつ変わっているし元に戻るようでいて決してもとには戻らないし、と思うのだけど、なんというかそこにある母と子というものの絶対的存在感と言えばいいのか、があった。なんというか私の右前少しのところで芝居をしていた彼女は存在感のあるひとで、セリフもよかったのだけど、抱いている子供の魅力に私はやられっぱなしで、そのすべてがBGMになってしまったのだった。三人目は泉田奈津美さん。彼女がいなくなった姫を演じた。島を出てどこへ行くのか。彼女の芝居は不思議に静かで、他の出演者たちのようにその人の現在を伝えない。ふんわりと広がって全体を落ち着かせ、向こう側の世界へと広がりつつ、私たちをこの場に送り返す。それもまたその人の持ち味なんだなと思うけど、今回はその人それぞれの色の置き方、順番の配置の仕方が素晴らしかったなと思った。

4時には終わったのだが、終了後は立ち去りかねてしばらく林君や高野君と様々話をしたり、今終わったばかりの芝居について議論?したり。ほんと高野君が「42年の演劇人生の果てに、いちばんいい舞台をつくることができました。」というだけのことはあったなと思う。なんか久しぶりに私自身がどうも軽薄なノリが出てきて、なんかいろいろ失礼なことを行ったんじゃないかという気がしたのだけど、これは私のサービス精神の現れ方なんだなと後で思った。うざい人にはうざいだろうなといつも思うんだけどね。まあこのブログもそういう意味でのサービス精神が出てしまっているので失礼があったら乞御海容。


【平家の栄耀栄華】

6時までそんなこんなで、東府中まで歩く余裕はなくなったので是政線に飛び乗り、武蔵境・中野経由で地元に帰ってOKストアで夕食を買って帰宅。夜は『平清盛』。平家の栄耀栄華の場面。その最後に清盛が倒れる。国中をあわてさせる男の病。次回予告がまた盛り上がるものを感じさせられた。

昨日はイベントが多く、今朝起きて考えたことなどほかにも書きたいことはあるのだが、今朝はこのくらいに。

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