「今ここにいる自分」と「ものを書く自分」

Posted at 12/08/23

【「今ここにいる自」分と「物を書く自分」】

今週はなかなか先週までの疲れが取れない、というか肉体的な疲れは徐々に取れているのだけどその分また変に頭が先走る傾向が戻ってきてちょっとつまらんなあと思いつつ、気力面でうまくやりたいことを実行する方向への通路が開けられないところがあってもう一つだなと思っている。

今朝は木曜日、二週間ぶりにモーニングが出て、朝は不燃物を出しに行くついでにセブンイレブンで買った。内容的には『へうげもの』『ジャイアントキリング』あたりかな、面白いと思ったのは。『デラシネマ』が終わってしまい、かなり不満が強い。

ピアノの森(22) (モーニング KC)
一色まこと
講談社

今日は一色まこと『ピアノの森』22巻の発売日なので、10過ぎにTSUTAYAへ行く。諸星大二郎『西遊妖猿伝』西域編4巻も出ているとのことで、両方とも入手できた。もともとモーニングを読み始めたのは『西遊妖猿伝』西域編の連載がモーニングで始まったことがきっかけで、最初は掲載週だけ買っていたのだけど面白い作品が多く結局毎週買うようになった。そのころには『西遊妖猿伝』よりも『へうげもの』や『ピアノの森』の方が面白くなったのだけど。この号も『西遊妖猿伝』の単行本を買っても読むかなあくらいの危惧があったりしたのだけど、連載時よりもまとめて読んだ方がまだサソリ女に興味が持てることが分かり、西域編をもう一度最初から読み直してもいいかなと思った。いずれにしても大唐編・河西回廊編に比べてスケールが落ちる感は否めない。やはり無支奇に匹敵するような存在が出て来ないと。ああいう神や悪魔に匹敵するような巨大な妖怪を構想するのはある種の人間的なスケールが必要なんだろうなと思うけど、最近はそういうものがあまり出て来ないのが残念だ。羊力大仙じゃなあ…

西遊妖猿伝 西域篇(4) (モーニング KC)
諸星大二郎
講談社

『ピアノの森』はつい最近のモーニング掲載分まで単行本化していて、表紙は初めて阿字野先生。パンウェイの存在が大きくなると、阿字野の存在も大きくなる。『ピアノの森』も書くのにパワーを必要とするマンガだと思うし、だからこそたびたび休載になるのもファンは納得していると思う。

ああそうだ思い出した。モーニングでは『チェーザレ』と『バカボンド』もよかったなあ。『バカボンド』はもう別次元の話になっているし、いつでも準備出来ているようにする、という話は甲野善紀や桜井章一の世界になってきている。なんかすごいことになってきているんだけど、淡々と展開していてなかなかいい。こういうマンガが単行本を買うでもなく買っている雑誌で読めるということがいいなあと思うし、80年代のスピリッツもそういう雑誌だったなあとふと思った。『チェーザレ』はチェーザレ・ボルジアの話で今週はピサでコロンブスの船に乗ったりしている。ルネサンス時代の権謀術数を描く漫画家と思っていたらむしろ当時の風俗的なことの方が見ていて面白い気がして来ているのだけど、それでいいんだろうか。

日々心や体のありようは変化していて、その時その時のバランスというものがあり、物を書くということの位置づけがいったいどうなっているのか、何というか物を書くということは自分の状態に関わらない自分を貫く何かだという意識があって、そうなると「今ここにいる自分」と「物を書くこと」の関わりが分かりにくくなるところがあり、もう断絶しているものとして取り扱った方がいいのか、それとも接続を意識した方がいいのか迷ったりもする。しかし現に物を書くのは今ここにいる自分でしかないわけで、そのあたりなかなか難しい。

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