『もののけ姫』をもう一度見直してみる/いじめが凄惨になったわけ

Posted at 12/07/27

【『もののけ姫』をもう一度見直してみる】

少しずつ新しい物語のアイデアが出てきているのだけど、まだ物語を成立させるための決定的な要素が足りないなあと思っている。この物語は形にしたいと思うのだけど、出来るまでにはしばらくかかりそうだ。

もののけ姫 [DVD]
宮崎駿監督作品
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント

少し勉強しようと思ってTSUTAYAに出かけて『もののけ姫』を借りてきて、最初の30分ほどを見た。だいたい覚えていたつもりだったけど、自然描写の部分はこんなだったかなあと思う部分もあり、このあたりの開放感があると覚えている印象と全然違うなあと思った。それからアシタカがはじめてサンを見る場面。モロの傷口をすすり、こちらを振り向いたときに血まみれの口。その厳しいまなざし。このあたりの胸に突き刺すような感じを、あまり覚えていなかったなあと思う。

それから養老孟司との対談『虫眼とアニ眼』を読み返したり。これは『もののけ姫』後の対談。「人が自然に関心が行かず、人間どうしのことばかりに目が行く社会」は間違っている、というようなことを言っていて、それはそうだなと思った。私も子ども時代のことを考えると、子どもたち同士で遊んだことだけでなく、さまざまな自然に対する記憶、あるいはいたずら、野犬に追いかけられて怖かったこと、野山を走り回って穴に落ちて腕を折ったこと、みんなで泳いだ山間の淵の水の青さ、そういうものがいろいろと思い返されてくる。それは一人で、あるいは子どもたちだけで経験した自然だ。今はそういうことが、田舎の子どもたちの間でもなくなってきているだろう。

虫眼とアニ眼 (新潮文庫)
養老孟司・宮崎駿
新潮社


【いじめが凄惨になったわけ】

私はあまりそういうことをした覚えはないけれども、蟻を殺したり、蛙に串を突きさしたり、道に落ちている犬の糞を割り箸で突き刺して遊んだりといったバカげた野蛮な遊びを田舎の子どもたちは平気でやっていた。その馬鹿さ加減というのは、考えてみると大津のいじめ事件の中学生たちが被害者の子どもにやったこととどうも似た次元のことのような気がする。昔の子どもたちが蛙を被害者にしてやっていたことが、今の子どもたちは人間を相手にしてやるから大変なことになってしまうのだ。こういうバカは普通大人になれば治るのだが、人ひとりを死に追いやってしまったらもう治りようがないかもしれない。そういう意味でこういう子どもたちも都市化の犠牲者といえるのかもしれないなとこの対談を読んで思った。

人間関係だけに関心が集中してしまう社会は、ロクなことがないということは事実だと思う。私もあまりそういう付き合いは好きな方ではなかったから、変に関わり合わないでも過ごせる環境の整備こそが大事なことなのではないかと思う。もちろんそれは言うは易しであるのだけど。

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