頭は心を軽くするために使うべきものかなと

Posted at 12/07/10

【頭は心を軽くするために使うべきものかなと】

ブログを書く時間ができた。合間にちょこちょこツイッターでつぶやいててブログのネタになりそうなことも書いてしまっているんだけど、それを見直してちょっと書いてみるというのも一つの手かと。

人間は行動するときに希望とか目的とかを持っていると、取り組む姿も疲れ方も持久力も違うという話。それは本当にそうだなあと思う。あれはなぜなんだろう、と考えてみて、逆に言えば頭というものはそういうことに使うものなんだということじゃないかと思った。希望とか理想とか目的をちゃんと定めるのに頭を使って、良し、と思って取り組めばちゃんとそれなりの行動ができる。ただ頭でぐずぐず考えていてもできない理由を探すばかり。だから頭というのは、心を軽くするために使うべきものなんじゃないかなと思った。本来心配事をするのだってそれを取り除いて心を軽くするためなんだと言えると思うが、取り除けない心配事だってあるわけだから、それは思い切って捨てないといけない。いや、気配に注意しつつ取り組む必要はあるけど、余計な心配はしないようにするのが頭のよい使い方なんだよな、と思った。

冷房にやられたりしてどうも排出系の機能が弱ってる感じがあったが、左目がぱっと開かない感じがあることに気が付いた。調子がよくなったり頭の中が整理されると瞼が開く。というか、自分の中を見つめてたりすると目を開けてても瞼は塞がりがちになるんだなと思った。心を開くことと瞼を開くことはかなり近い関係がありそうだと思った。

ツイッターをやっていて、どうもフォロー数が多くてタイムラインを追い切れず、頑張って100以上リフォローして、だいぶすっきりしてきた。という話を友人とツイッター上でやってたらなぜリストを使わないのかと言われてそういえばそうだなとも思った。しかし結局、クライアントの関係上ちょっとリストは私には使いにくいところがある。結局なんでもなるべくシンプルにしておかないと後で自分で訳が分からなくなってしまうんだよな。フェイスブックでも直接誰だか思い出せない人は友だち承認しないようにしているし。あれ承認要求するときにメッセージとか書き込みとかして私はあなたとこれこれこういう関係があった誰々ですって言ってくれればいいのになと思う。そういう文化は定着しないかな。

ちょっと断片的になってきた。やはりツイッターのネタはツイッター向きだということのようだ。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday