卯月妙子『人間仮免中』読了
Posted at 12/06/13 PermaLink» Tweet
卯月妙子『人間仮免中』(イーストプレス、2012)読了。大変面白く、かつしみじみした。しかしもちろん、そんなことでおさまるような本ではない。
人間仮免中 | |
卯月妙子 | |
イースト・プレス |
作者は統合失調症の症状である全能感に包まれて、歩道橋から飛び降りても平気(本人の中ではバンジージャンプ)という妄想に取りつかれ、顔面から飛び降りて瀕死の重傷を負う。この本の後半、「歩道橋バンジー編」は首から上に重傷を負って(体はなぜか平気だったという)緊急入院し、統合失調症の投薬が中断されたために完全に妄想の世界での出来事の描写が40ページ近く延々と続き、このあたりはさすがに読んでいて辛かったが、逆にいえば妄想というのはこういうものなんだなあというのが本当にリアルに伝わってきて、ある意味感動した。本当にある意味であって、普通でいえばとんでもないのだが、特に妄想上の主役ともいうべき「終花」という名の看護婦が異様にキャラが立って居て、酷いことばかり言ったりしたりする。しかしセレネースという薬の投与がはじまって頭が現実に戻って来ると終花さんは実在しないことが分かり、「妙にさびしい気分でした」と書いているのがなんだかリアルだった。だんだん薬が効いて来ると平穏な入院生活になってしまい、「妄想が起きないってすっごい退屈!」と言っていたりして、なんだか苦笑いものなのだが、そういう人って実際そうなんだろうなとは思った。
昨夜読了してから寝たが、さっそく夢の中に影響が現れた。私の場合妄想っぽいというか夢かうつつかのときに現れるものって怖い系のものが多いのだけど、何という過去のマンガを読んでから寝たせいか、怖いことは怖いけど妄想なんだろうな―とか思っている自分がいた。こういう精神病ものというのは「自分もそうなってしまうんじゃないか」という妄想が起こり、それが怖くて読めないことが多いのだけど、この本はあまりそういうことはなかった。いや、相原コージさんみたいに自分をしっかり持たないと読めないと言っている方もいるが、私の場合はなんだか妙に共感してしまうというか、クレッチマーの三類型的に私は癲癇型でも躁鬱型でもなく分裂型だなという次元だけどこの内容はよくわかる感じがした。もちろんこの作品はエンターテイメント性を相当高めて書いていて深刻な部分も笑わせてやる、みたいな非常に洗練された芸として成立している部分があるからそんな暢気なことを言っていられるのだろうけど。
ただ読んでいて思ったのは、統合失調症というのは、あるいは精神病一般というのは、要するに精神というより「感情の病」なんだなということだった。つまり、どんな人間でも感情がある以上――感情がないと感じているならそれもまた深刻な病気だ――当たり前のように感情の病になる可能性がある。男性が婦人病になることはないがそれは女性特有の臓器を持っていないからで、持っている人間にはすべてそこが病気になる可能性がある、というのと同じことだ。つまり、生きている人間は常に死ぬ可能性があるということとほとんど同じ意味だ。
感情というのはこころという巨大空間で起こる現象で、どんな人間だって複雑な現象がその空間で起こっているわけだけど、やはり統合失調症の人の心の中で起こっている現象はある意味特異なところがあるのだろう。妄想というのは何か心の隅にある消化しきれていない(成仏していない)感情のかけらが何かのエネルギーを供給され暴走をはじめるという現象なんじゃないかという気がする。というのは、今朝自分の頭の中で妄想っぽいものが起こった時に、そんな感じがしたということなのだけど。だから逆に、その妄想のネタになった感情が何であったのかが見定められたり、これは妄想だなという看破ができたりすると、わりと簡単に雲散霧消する。癌細胞は健康な身体の中でも常に発生していて、それが免疫機能によって常に死滅しているから表に出て来ないだけだ、というのと同じように、妄想は常にいわゆる健康な人の頭の中にも常に生まれては消えているもので、それが増殖したり押さえきれなくなったりすると発病する、というようなものなのではないかと思った。どこかで量が質に変化するということなのだろうけど、やはりストレスによってそういう妄想に対する精神的な免疫機構が上手に働かなくなると危ないのだろうと思う。
何というか、卯月さんという人は、私よりずっと自由な幅広い感情の持ち主なんだなと思う。だから極端から極端へ走ることもわりと平気にできるのだろう。彼女の経歴はググってもらえばわかるが本当に極端から極端に走り続けた人生だ。その割にはすごく穏やかで自然なユーモアのあるこういう作品が書けていて、そのことを作者あとがきでは「ぬるくなったと思われるかもしれません」と書いている。マンガ家としての前の作品は知らないがググれば特にAV関係の極端な事例が頻出して圧倒されるからどこがぬるいんだと思うけれども、今の彼女はこの線の上に自分を語る語り口を見出していて、それは圧倒的な説得力を持っている。とにかく感情的には本当に動きに広がりのある人で、妄想から些細な心配まですごく巨大な空間にわたって感情生活を送っているんだなあと思う。
私の感じでは、何かを認知する感覚の世界と、自分はこういう人間だという信念や覚悟の世界の間に、感情という世界が無限の広がりを持って広がっているという感じがするのだけど、私自身の感情の世界が妄想の領域からハートウォーミングな世界までずんずんと揺り動かされ、動き出した感じがした。だからここしばらくの間、自分の心の中で起こる感情的な現象についてものすごく否定的に受け取る感じが続いていたのだけど、何かすごくそういう感情自体がかわいいというか慈しむようなところが自然に出てきて、ああ怖い、うーんマンダム(死語)というような怖いという感情さえいつくしんでしまうところが出てきた。そうなると感情の動きに合わせて自然に体が反応し、身体の中の緊張しっぱなしなところが少しずつ緩んだり、跳ねたりしたのだった。些細なことにすごく怖さを感じたり、小さなことにすごくやる気を感じたり。今までそういう自分の感情の動きに対してものすごく管理的になってたんだなということに気づいた。
さっきも書いたけど私にとっての精神病の怖さというのは自分もそうなってしまう、自分の中にもそういう要素があると感じられてしまうということだったのだけど、それが感情の働きとして起こるんだと思えば、そういう要素があることは当たり前なんだと思えて、むしろ安心感さえ覚えた。
大事なことは、誰にでも感情はあるけど誰もが病気になるわけではないということで、それは誰にでも肺はあるけど誰もが肺癌になるわけではないということと同じことだが、感情を生き生きと働かせつつ自分自身はどっしりとした構えを持ってそれをセーブする、遊ばせることはできるけどそれが暴走しそうになったら止めることができる、というふうになることだと思った。私は病という方向ではないけれども感情や考え方が暴走することはよくあるので、そうできるようになることが大事なことだと思ったし、今書こうとしているのはそうできるための本なのだ、と位置付けることができるなと思った。
そのためには、まず知ることだなと思う。自分の中のいろいろな思いをつなぎとめてバラバラにならないようにし、凝縮させて一つのエネルギーとして自分の営みを前進させていく。自分をコントロールするノウハウをつかむこと。卯月さんは薬に頼ってはいるが、こうしたら自分をコントロールできる、という方法を必死になって探している。薬に頼ることはできないけど、自分の中でこういうときはこうしたらいい、という自分なりの処方箋を書くことはできる。そしてその処方箋は、自分で出来ることの範囲内で書かなければならない。出来ない、やってないことでもトライして出来るようにし、そうやってできることを増やして行く。それが人間の営みなんだと思う。
妄想は、抑圧された感情の表現形態なんだな。だからその妄想を冷静に見つめているうちに、自分がどの感情を抑え過ぎてしまっているのかということに気づくことができる。私はもともと怖がりなので、たぶん恐怖という感情を常に押さえているから、だから夢うつつのときなどコントロールが弱まった時にそういう感情に襲われるんだろうなと思う。自分の中で適当にしてしまったり逃げてしまったりしたことに気づいて、改めてそのことにどう対処すればいいのか考えなおすことができる。
感情はなるべく生き生き保ったまま、良識や信念と両立させていく。自分の中に幼稚園がある感じだろうか。生き生きと遊ぶ感情たちとそれをやさしく見守る大人。感情たちが暴走しないように見てはいるが、その感情たちが自立心、すなわち大人の感情への萌芽を見たら、それを伸ばしてやらなければならない。感情を成熟させることもまた、大人の役割だということになる。
何というか、すごく幅広いこころと感情の世界が、この本を読むことで開いてきた感じがする。そういう意味で、私にとってハードではあったけどすごくいい影響を与えてくれた本だった。上に書いたような内容なので、誰にとってもプラスの影響を与えるとは限らない、一種の劇薬みたいなものかもしれないのだけど。
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