自分を知ることの難しさ/何かを完全にわかるときなんていつになっても来ない/何でもやりたい人間の生きにくさ/慈しむ力と悲しむ力
Posted at 12/06/05 PermaLink» Tweet
【自分を知ることの難しさ】
自分を知るということは本当に難しいことだと思う。自分の中をたどっていくだけではわからないことが多い。今回三連荘で祖父の法事・高校の同級会・父の出版記念会と直接間接に自分の過去やルーツに触れるようなイベントが続いたために、自分自身をだいぶ見直しやすくはなったと思う。自分がつらくて仕方がなかった中学時代、大人からは変わっているけど優秀な子だと思われていたという指摘があって大分見方が立体的になったし、辛かったのは自分の内面だけの問題ではなく、優秀である(言葉を変えていえば頭でっかちである)ことと流れに協調しない変わった子供であるであるという二点においてやはり周りからあまりいい目では見られていなかった(その発言をした人と違う、その当時属していた集団の主流派から)ということが、その当時は明確に意識していたのだけど今はもう朧気になっていたことが、再確認できて当時の自分の辛さの本質がわかった。もちろんこちらの我が強過ぎる(根性としてはへな猪口な癖に)ために軋轢を生んでいたということはあるのだけど、やはり周りの白い目というのは相当応えていたのだと思う。中三になって進学を意識してからすごく楽になったのも周りの見る目が少し緩んだということがあるし、高校に進学して閉鎖された集団から離れ、自分一人で田舎の進学校に通うことができたということでものすごく自由を得たのだということが再確認できてよかった。結局高二になったころからまた迫害が違う路線で押し寄せてきたのでそれに抗しきれず、高三になるときにちょうど両親も少し前にその場を離れたこともあって父の実家に引っ越すことになり、10年に及ぶ「わが闘争」は終わったのだけど、そのことの相対化がずっとできないままでいた。
私は正直というか、自分が辛いのはこちらが悪いのだというマインドコントロールが自分の中で強く植え付けられていて、そのあたりが後々まで辛くて仕方なかったのだけど、あるときその当時のその集団内部の内幕について聞く機会があって、私の人生で初めて心の底から憤慨し、涙を流したことがあった。あれは20代前半の、いつのことだっただろうか。
それから世の中の救済を目指すような社会団体や宗教には明確に線を引き、近寄らないようにしてきたのだけど、でもそういうものでない社会の向上とか、少しでも、特に私自身が、暮らしやすい世の中にするためにはどうしたらいいのだろうということは心のどこかで考え続けていたのだろう。演劇活動も身体性の方面からそういうことを追求するというところが自分の中でかなり含まれていて、まあ無自覚的にそういうことをしていたことに問題があるなと今では思うのだけど、結局劇団主催者が商業性・芸術性を追求する方面に舵を切った時に離れることになってしまった。そのあとも、まあ自分にとって楽にできそうな仕事だと思って選んだ高校教師も、現場のあまりの体たらくに何とかしなければいけないという義憤を感じてしまって改革の動きに首を突っ込んでしまい、もともと向きでも好きでもなかった方面で身も心も削ってしまうという失敗をしでかした。何をやりたいという明確な意識・方向付けがないままに難しい局面に突っ込んでいった、無謀な行動が多すぎたなと今では反省できる。結婚生活の破綻も結局はそういうことと軌を一にしていたなと思う。
私は自分の好きなこと、やりたいことをしていれば幸せで、基本的に世の中の動きにかかわりたいと思うタイプでもないのだけど、やはりなんだか過剰なエネルギーに満ち溢れていて、考え過ぎて、食べ過ぎて、おしゃべりしすぎて、動きすぎて、ケンカを売りすぎて、本を買い集めすぎて、と何もかもやりすぎてきた。そういう過剰なエネルギーを自分では全然コントロールができず、心を定めることができず、意思を定めてある方向に強力に推進するということが出来ないで来た。それが本当に問題だったと今では思う。
【何かを完全にわかるときなんていつになっても来ない】
今でもそうなのだけど、自分では何もわかってないという気持ちが強くて、もう少し世の中が分かってから、情勢を見極めてから一歩を踏み出したい、とつい思ってしまっていたからだと思う。しかし結局、何かが完全に「わかる」なんてときはいつまでたっても来ないのだから、あるところで決断して前に進まないといけない。上にも書いたけど私のエネルギーというのはある特定の方向に噴出するものでもなかったので、何をしたらいいのかも皆目見当がつかないところがあった。高校時代の友達に将来の希望を「万能の天才になりたい」と言ったことがあるけど、これは今でも正直な気持ちだ。今や万能どころか一能も怪しいわけだが、まあ何でもそこそこはできる。苦手な人から見ると、適当に人あしらいもできるし(学生時代からタクシーの運ちゃんと話を弾ませたりすることが出来て同乗の友達に感心or嫌味を言われたことがあった)人前でしゃべることも苦にならないし、どんなことでも適当に教えられるし、好きな絵や映画についても語れるし、いざとなったら我慢して耐えることもできるし(したくないけど)、昔に比べて力仕事や運動能力が相当落ちていることは確かだが、まあ結構何でも適当にできないことはない。万能になれなかったら器用貧乏になりたい、というのが私の第二希望だったが、それは結構実現している。まああんまり素敵な希望実現ではないが。
【何でもやりたい人間の生きにくさ】
正直何でもやりたいんだと思う。こうしてものを書くこともできるし(質は別として)、パソコンも自分が使える程度には使える。何かを売り込むこともそんなに嫌いじゃないし、できないわけでもない。まあいろいろな意味で平均点はそれなりに高いとは思うが、どれもまあ十人並み程度ではある。この分業制社会において何でもそこそこできるということは大したことは何もできないということと同じであって、そこらへんがやはり自分としては忸怩たるものがあるんだな。でもまあある意味、この年までそういう調子で生きてきた以上、そういう意味では人間の全体の幅を広げることによってよりたくさんのことが少しずつ出来るようになっていく、という方向性でやってくしかないのかなとも思う。
そうなると大事なのは、なんにでも興味を持つことなんだろう。いやそんなことは言わずとも昔からそうなのだけど、最近はそれではいけないという自己規制を相当強くしていたので、いわばもうそういう人間なのだという覚悟を決めて、様々なものにトライして行くしかないのかなと思う。こういう人間は、やはり組織には向かないし、相手を操作するようなタイプの人との付き合いもむかない。
【慈しむ力と悲しむ力】
傷つかないようにするためには、第一撃を軽々といなす運動能力とより広範で深い注意力と洞察力をもって人を見抜く観察能力を高めるしかないけれども、自分自身が何かを実行することによって人に役立てる力を強めていくことがさらに大事なのだと思う。慈悲というのが慈しむ力と悲しむ力から成っているなら、人の悲しみを悲しむ共感力は、人を慈しむ力よりも強くてはいけないと思う。人の悲しみを本当になんとかする力は神でも仏でもない身には限りがあることではあるけれども、何かが一つ一つできるようになることによって、少しずつ人の助けになることはできなくはない。実際、世の中にはお金で解決できることは結構たくさんあるので、お金をきちんと稼いで誰かのためにもきちんと使うことが出来れば、それだけで世の中を少しだけでも良くすることが出来るということもある。まあでもそういうことをコントロールするにも、かなりのしたたかさが必要にはなってくるのだけど。
やはりまあ、組織というものが鬼門の人はいるなあと思う。河合隼雄氏も文化庁長官なんて役職を引き受けなければ高松塚古墳の壁画の問題であんなに叩かれたりせずにもっと生も学問も臨床心理士の国家資格化の問題もやりきることが出来ただろうにと思う。自分の生をどう生き切るかは結局自分だけに課せられた最大の、あるいは唯一無二の課題であって、それは世間的な成功だとか世間的な幸福だとかとまた違った問題なんだろうと思う。私も結局、自然体でどこまで大きくなれるか、そこに賭けてみるしかないんだろうと思う。
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