裏切り

Posted at 12/05/13

【裏切り】

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)
ダンテ
河出書房新社

裏切りという話の続き。明智光秀が主君の織田信長を急襲したとか、ユダがイエスを密告したとかいう少なくとも見かけ上はわかりやすい話として「裏切り」ということは語られ、絶対悪のように言われるのが普通だ。ダンテの『神曲』でも地獄の最下層でサタンに苛まれているのはイエスを裏切ったユダとカエサルを裏切ったブルータスとカシウスであり、裏切りがいかに重い罪かということについて語られている。仏典にも仏陀に背いた提婆達多が無間地獄に落ちたという話がある。いずれも裏切りを重い罪とし、それには最も重い罰によって報いられることになっている。

これは自然な人間感情に即してもそうあるべきだと思われるだろう。最も信頼していた人に陥れられるというのは人間感情としてプラス無限大からマイナス無限大に叩き落されるようなものであり、絶対に許せないと思うのも当然だろう。

しかし多くの人がそう思うのになぜそういう現象が起こるかと言えば、それはそんなに簡単な問題ではないように思われる。先ず第一にプラス無限大の信頼というのが怪しいということはあるだろう。人を見たら泥棒と思えというわけではないけれども、百パーセント完璧に信頼できる人間、というのがいるということ自体がまず幻想だろう。「走れメロス」でさえ途中で何度も挫けそうになる。あの話が感動的なのは困難を乗り越えて約束を果たすからであって、困難を乗り越えられずに約束を果たせない、結果的に裏切ることになってしまうことが起こり得るからこそ緊張感のある話として成り立っているわけだ。『美味しんぼ』で海原雄山が弟子にもし裏切られても「私の器量がそこまでだっただけのことだ」と言っているけれども、裏切りは人と人との問題だから、どちらか一方だけに100パーセントの責任があると考えるのも妥当でない場合もあるだろう。

しかし河合隼雄もいっているが、だからと言って裏切りという行為を正当化していいというものではない。やはりそれは『悪』だと考えるべきだし、裏切った人間はそのこととそれがもたらした結果についてきちんと受け止めなければ前に進むことはできないし、場合によってはその事実の重さによって前に進むことが不可能になることさえあるだろう。

「正しい失敗」の法則 (PHPビジネス新書)
堀紘一
PHP研究所

堀紘一『「正しい失敗」の法則』を読んでいて出てきた話だが、堀氏は自分の経営するコンサルタント会社を立ち上げてから、会計責任者に八千万円持ち逃げされたり、出資したベンチャー企業の社長に三億円持って逃亡されたりもしているのだという。もちろんそれは大損害で大赤字を蒙り、高価な授業料を払ったと考えて経営に生かしているそうだが、その話があるだけに挑戦するときに侵してはいけないリスクは「人を裏切ること」だ、というのには説得力がある。裏切られた方は確かに痛いし場合によっては再起不能になることだってあるだろうけどもっと痛いのは裏切った方であり、「たった三億円ですべての信頼を失った」ということになる。人にかけた迷惑以上に自分が取り返しのつかない痛手を蒙ることを自覚していなければいけない。

まあ最初から裏切るつもりで人に近づいてくるなどというのは論外だし、それこそそういう人間を見抜けるかどうかというのはこちら側の人を見る目の問題であるということもあるのだが、そうではなく裏切るつもりではなかったのに裏切ってしまった、ということの方が問題だろう。

明智光秀の場合は『へうげもの』などで「正しい世を作るための蜂起」だった、という解釈もあるし、提婆達多もまた釈迦の作った教団に飽き足りず、さらに良いものを作ろうという意欲があったとみることもでき、またブルータスも共和制の理想を実現するために独裁者を倒した、と正当化することもできる。彼らが裏切り者と断罪されるのはその後結局敗死したということもまた大きい。主筋である豊臣家を滅ぼした徳川家がその後二百数十年の平和な時代を実現しなければ家康だって何を言われていたかわからない。いや、十分言われてはいるが。しかしそのあたりになると、単純な裏切りというだけでは話が済まないということにはなっている。たとえ「裏切り」と見える行為によって政権をとっても、そのあとにりっぱな治世を実現すればその罪を償って余りあると判断されるのが歴史というものでもある。唐の太宗李世民もクーデターで兄弟を排し、父の皇帝を引退に追い込んでいるわけだが、それを主導したであろう魏徴は五言詩で「人生意気に感ず」とうたったことが知られ、よりプラスの面で評価されている。

そういう意味で裏切りという現象は、裏切る方が相手に対して「力を示そう」というときに無意識の行動として現れたと言ってもいいだろうと思う。力を示そうとしたのが結果的に裏切りという形になってしまった、ということは実際にはよくあるのではないかという気がする。あるいは感情的なものがうまく相手に通っていかなくなったとき。こういうケースで裏切りが起こるというのは、良く言えば相手が心を許しているとき、悪く言えば裏切られた方が相手に対して心の向け方が怠慢になっているときだと思う。油断と言ってもいいし、相手にどこか淋しい思いをさせているとき、という言い方をしてもいい。そういうことが起こるのはまあ男女関係で言えば浮気ということになるが、浮気までは行かなくても何か相手の気を引こうとする形で無意識の中に何かをしてしまうということはあるだろう。またそれを認めたくないがために余計変な形での爆発になることもあり、それが裏切りという取り返しのつかない形になることもあるのではないかと思う。

こころの処方箋 (新潮文庫)
河合隼雄
新潮社

河合隼雄が『こころの処方箋』で裏切りというテーマで次のような話を書いていた。二人の仲の良い文学青年が一方は道をあきらめて堅実に暮らすようになり、もう一方の青年が相手に頼りつつ文学の道にしがみついて、ついに小さな賞をもらうがその時描いた作品が、相手の青年とその妻をカリカチュアライズして、すごく俗物的に描いたものであり、そんなモデルにされて怒った男が作家の男に絶交を申し入れ、作家の男は悄然と彼のもとを去る、という例である。

この話は「裏切られた」方の悲しみもよくわかるが、「裏切った」方の書かずにはいられない気持ちもまた理解できるところがある。彼の中には仲のいい友人だから多少悪く描いても許されるだろうという甘えもどこかにあっただろうし、この作品で世間に認められたら友人が喜んでくれるだろうという気持ちさえあったかもしれないと思う。制作に没頭しているときは世間的な善悪というものを超えた精神状態になっているし、私などもそういうときに周囲の人に自分では意識せずにものすごい悪印象を与えているときがままあったように思う。(大体そういうことはちゃんと自覚できないのだが)

この場合は書いた方が悪い気がするだろうと思うのが、次のような例はどうだろう。昨日上京してテレビをつけたらちょうどテレビ東京で『美の巨人たち』が始まり、セザンヌが描いた『サント・ヴィクトワール山』が取り上げられていた。私は知らなかったが、彼はエクサンプロバンスでリセに通っていた時、一年下にエミール・ゾラがいて、パリから来たことでいじめられていたゾラと仲良くなって、二人で毎日のようにサント・ヴィクトワール山に登ったという思い出の山だったのだそうだ。仲良くなった最初の時に、ゾラがセザンヌにくれたのがリンゴだった、という話もある。セザンヌの芸術家としてのありように、ゾラがいかに大きな影響を与えたかということがわかる。

制作 (上) (岩波文庫)
エミール・ゾラ
岩波書店

その後ゾラとセザンヌはパリで活動するが、セザンヌは父の死後莫大な財産を相続してエクスに引き籠り、新しい絵画の創造に没頭する。ゾラは様々な小説に取り組んでいくが、その中で画家を主人公にした『制作』という小説を書いた。この主人公の画家はセザンヌにとてもよく似ていた。もちろんゾラ自身が画家を主人公とした小説を書くのに、親友セザンヌの影がそこに忍び込まないなどということはむしろ不自然だろう。私はたまたまこの小説(岩波文庫で上下巻)を持っていた(読んでない)ので解説のところを読んでみたのだが、この小説の主人公クロードにはマネとセザンヌの要素が入ってきていると解釈されているようだ。

ゾラはそうした印象派系統の画家たちとの交流が多かったようだが、ゾラ自身はむしろモローのような神秘的幻想的画家に魅かれて行ったようで、このストーリーの前半はゾラと印象派の画家たちとの交流を通じたゾラの自伝的な性格が強い話になっているのだそうだが、後半になると主人公のクロードは妻のクリスティーヌの献身よりも自分の描いた絵の中の女に執着していき、ついにはクリスティーヌが絵の中の女性に嫉妬するような状況にもなっていった挙句、絵の女の前でクロードが首を吊って死ぬというエドガー・アラン・ポーかと思うような展開を見せる。

そういう意味で言うと主人公のクロードは前半はセザンヌ的な要素が強いのだそうだが、後半になるとちょっとセザンヌ的とは言い難いわけだが、セザンヌはそうは思わなかったらしく、自分がモデルの画家がついには破滅する話を親友だと思っていたゾラに書かれたと考えて、ゾラと絶交してしまった。ゾラはその後もセザンヌを擁護するような発言を続け、またセザンヌはこのことで腹を立てるべきではないというようなことを言ったときのうの番組では言っていたが、結局死ぬまで二人は会うことがなかったのだそうだ。そして1902年のゾラの死の報にセザンヌは深い衝撃を受けたのだという。裏切られたと感じ、絶交して二度と会うことはなくなっても、ゾラがセザンヌにとって何ものにも代えがたい存在であったことは変わらなかったのだろう。

小説のモデル問題というのはすごく難しい問題で、一族から小説家が出ると三族が迷惑するとか言われたりする。柳美里がモデル問題で訴えられたことも記憶に新しい。書いた方は普遍的なテーマに昇華している、つまりは最終的にはだれか特定のモデルがいるわけではなくて自分の創作した人物を描いていると考えていても、「書かれた」方は自分が書かれたということを絶対的な事実と受け止め、批判的なことや揶揄されたと感じるようなことが書かれていたらひどく敏感になることはまあやむを得ない。書く方は覚悟をもって書いていても、書かれた方にその覚悟を求めるのは無理だからだ、相手が政治家でもない限り。

そうなるとここでは、書いた方は裏切りだと思っていないが書かれた方は裏切りだと思っている、というすれ違いが生じることになり、がっぷり四つでないだけに余計話が難しくなってしまう。

裏切りという話は難しい。誰でも裏切られた記憶も裏切った記憶も、いや自分自身では裏切ったつもりではなくても相手から見たらそう見えるだろうなと思って自己嫌悪に陥るというような話も、考えると嫌になってくるような話を、私自身もたくさん持っている。人間にそういう現象が起こるのは、結局は弱さの故だとは思うのだけど、アートのように人間の弱さもまた抉り出すのがテーマであるような営みが絡んでくると、また話は一筋縄では行かなくなってくる。失敗を失敗とする、それを失敗という、というような話で、どんな失敗でもそこから何を学べたかということをきちんと踏まえていくことしか、前に進む道はないのだろうと思う。どちらが「前」なのか、それもまた一筋縄では行かないのだけど。

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