この世は残酷だ。そして、とても美しい:『進撃の巨人』7巻/マンガの前衛性

Posted at 12/04/11

【この世は残酷だ。そして、とても美しい:『進撃の巨人』7巻/マンガの前衛性】

昨日帰郷。9、10とマンガを何冊か買った。一つ目は諌山創『進撃の巨人』第7巻限定版(講談社、2012)。超大型巨人のフィギュア(作中の名が「超大型巨人」なのであってフィギュアはそんなに大きくない)付き。例によって同時発売の別冊マガジン4月号で続きが読めるということで、そちらも買った。東陽町の文教堂で。二つ目は萩尾望都他『長嶋有漫画化計画』(光文社、2012)。長嶋有の作品を15人の作家がそれぞれ漫画化するという企画。小説宝石で連載されたらしい。銀座の教文館で買った。そういえばその前に山野楽器でグレン・グールドのモーツァルトのピアノソナタ集も買ったのだった。三つ目は帰郷する前に立ち寄った丸の内丸善で買った鶴田謙二『さすらいエマノン』(徳間書店、2012)。最近は鶴田謙二の作品は見れば買っている。

モーツァルト:ピアノ・ソナタ集第1巻(第1番~第5番)(紙ジャケット仕様)
演奏・グレン・グールド
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

グールドのモーツァルトはあまり期待してなかったけど聞いてみたらすごく良くて、すぐiPhoneに落としてどこでも聞けるようにした。これにはピアノソナタ2番ケッヘル280も収録されている。この曲は『ピアノの森』でコンクールの課題曲になっていて、小学生のカイや修平、誉子が弾いている曲なので、何か特別の思いで聴いてしまうが、明るく伸びやかな曲だった。公開された映画ではなぜか曲が変えられてしまっていたけれども、この曲の方がよかったんじゃないかなと思う。

長嶋有漫画化計画
萩尾望都他
光文社

『長嶋有漫画化計画』。長嶋有の作品は芥川賞受賞作の『猛スピードで母は』と、同じ単行本に収録されていた『サイドカーに犬』の二作だけしか読んだことがなく、今考えてみればそれも図書館で借りて読んだだけで、自分では一冊も持っていなかった。ただ、この二作を教文館で立ち読みして、この人が書こうとしているのは「自由」だなと思ったから買ってみたのだった。買って読んでみると、どうもマンガそのものとしては成立しているとは言いづらいという感じの作品が多かった気がする。まだ半分ほどだけど。その中で一番印象に残っているのはカラスヤサトシ「夕子ちゃんの近道」だ。元が短編集なのだろうか、四コママンガに落としてあるのがすごくいい感じで、登場人物たちがそれぞれいいなと感じさせるキャラクターが多かったが、これもやはり自由ということについて書いていると感じた。

さすらいエマノン(リュウコミックス)
鶴田謙二
徳間書店

『さすらいエマノン』は2010年に出たほぼ(原稿の?)原寸大のロマンアルバムでフルカラーのものを持っているのだが、その内容がこの本の前半に収録されていて、後半はコミックリュウに連載されたものを加筆して収録している、というもの。鶴田謙二の絵はそれだけでも味わいたいものがあるのだけど、描かれていることと背景がマッチしているなあといつも感心する。ああ、この人の絵はキャラクターもそうだけど背景が好きなんだと今自覚した。完全オリジナルの『冒険エレキテ島』も面白いが、梶尾真司原作の他の作品もマンガ化してもらえると面白いかもしれないと持った『おもいでエマノン』の内容と少々矛盾することもある感じなのだけど、まあそれはそれでいいかとは思う。『冒険エレキテ島』についてはツイッターで背景が写真のコピーだ、みたいな指摘があったが、どうなんだろう。

進撃の巨人(7)限定版 (プレミアムKC)
諌山創
講談社

しかしいずれにしてもここ数日はまってしまったというか熱中してしまったのは『進撃の巨人』だ。『このマンガがすごい!2011』のオトコ編1位に選ばれたのを見て読んで以来単行本はずっと買っている。最近少し伏線が見えづらくなっていたのだけど、第7巻とその続きの2012年4月号を読んで、ストーリー全体、またこの巨人のいる世界のことがだいぶわかってきて、解決された伏線のもとを手繰って読み返しているうちに、この作品がもともと持っていた何とも言えない強烈なパワーに何度も当てられた。第5巻で出てきた女型の巨人の正体が4月号で判明するわけだけど、読み返してみても伏線らしいものはあんまりなかった、というかこれを伏線として展開を予想するのは無理だなというものだったのだが、まあそんなことはどうでもいいと思わせるような相変わらずの迫力で続いている。この物語の中の私の押しメンは間違いなくミカサだったのだが、ここ数巻を読んでみてアニも相当押しメンに入ってきた。

「この世界は残酷だ…そして…とても美しい」というミカサの言葉が一番印象に残るのだけど、巨人の恐怖にさらされた人間のみじめな姿は残酷極まりないが、その中にあってエレンとの心の交流、執着とも言えるほど強いエレンを守りたいという気持ちだけがミカサにとっての生きる意味になっている。このマンガは巨人への恐怖、そして巨人を恐れる民衆の兵団への憎悪など、言わば「疾走する恐怖」が読むものを不安へ駆り立てる。しかしミカサの言葉の「残酷」という単語を「苦」に置き換えると、「この世の一切は苦である…アナンダよ、世界は美しい」ということに、つまり仏教の教えになってしまうということに気がついた。『進撃の巨人』のエピソードはひとつひとつがすごくハードでまさに地獄、という感じなのだけど、このハードさはしかしたとえば仏教説話に出て来るパターチャーラーの話とある意味同じような残酷さだ。作者がそういうことを意識しているかどうかは分からないけど、世界を苦しむ、というのがどういうことかということがこの作品の大きなテーマなのではないかと思った。

それにしても、こういう作品がたとえば『モーニング』のような大人向けの雑誌に掲載できるかというと考えてしまう。これは別冊マガジンのような、載せられているマンガの傾向からして中高生向けと思われる雑誌だからこそできたことではないかと思うし、いま売り場で見てこれはラジカルだなと感じるマンガの多くがその年齢層をターゲットに絞ったものらしいということがだんだんわかってきた。まあその年齢層ならではの思春期性(つまり中二性とか性的妄想の爆発性)全開ぶりにはちょっとついて行くのが厳しいところもないわけではないけれども、マンガに前衛性を求めるなら、そのあたりの所に切り込んでいかなければならないのだろうなと思ったのだった。

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