図書閲覧室と土蔵の中の江戸時代/トランストロンメル『悲しみのゴンドラ』と「つよい詩」/タブッキ『遠い水平線』を少しだけ
Posted at 12/02/24 PermaLink» Tweet
【図書閲覧室と土蔵の中の江戸時代】
2月は何かと忙しいのだが、昨日もいくつかの理由が重なってとても忙しかった。実家には父の残した本や書いた書類があふれているのだが、日当たりのいい洋間を母の寝室にしようということになって洋間と洋間の前の廊下においてある本や書類を年末以来片付けていたのだが、祖父の代から親しくしている人に手伝ってもらい、雨の中、昨日一気に収納場所へ――私の暮らしているところの1階だが――運んだ。スチールの書棚を三つ、木の書棚を四つ並べて、段ボールが数十箱。どのくらいかかるかと思ったが、午前と午後で計3時間くらいだろうか。私はあまり腰がよくないので極力運ばないようにしていたのだが、立ち会わないわけにはいかないのでだいたい付き合ってこうしてくださいという話をしたりして、まだ段ボールに入ったままではあるけど、取りあえず部屋に収まっている。まるで図書閲覧室のようになったが、うまく使えるとなかなかいい部屋になりそうだ。実家の方も洋間と廊下がかたづいて嘘のように広々とし、逆にいえばここに父が書棚を置きたくなるのも分からなくはないなとは思った。邪魔だけど。
廊下には土蔵に入る入口があるのだけど、入口の前に荷物がたくさん置かれていて邪魔だったが、それも片付けた。お蔵にはまあなくてもよさそうなものもたくさん入っているのだけど、昭和初期の和箪笥とか食器棚とか、古道具屋に来てもらったら買ってもらえそうなものもあるのだけど、自分の部屋が片付いたら自分で使うのもいいなと思い、そのままにしてある。江戸時代の終わりころの法事のときの記録などもあって、今なら金三千円とか書いてある所に大根何本とか菜三把とか書いてあって、興味深い。年号はペリーが来航した年、嘉永七年だったと思う。その頃から(もっと昔からだけど)私の血の源流となる人たちがこの土地で暮らして来ているのだと思うと何だか変な感じもする。お蔵には、先週やった初午のときのお稲荷様の土人形(つまり狐の像)や、獅子舞の獅子頭や太鼓など昔はお祭りで使っただろうものも仕舞ってあって、普段は忘れているけど自分たちがそういう歴史の上に立って今ここにいるのだということを思い出させてくれる。いや、普段は全然忘れているのだけど。
今朝はそういうことで頭脳的にも肉体的にもわりと疲れていたので、まあそのせいだけかどうかはわからないが、あまりいろいろはかどらなくて、モーニングページも少ししか書けず、少し早めに朝食を取り、リハビリに行く母を駅まで送り、ゴミを捨ててから職場に出たら、近所のお店のおじいさんの告別式の段取りの中の町会のお見送りに行きあたって、職場の前の路地の入口で霊柩車に向かって手を合わせた。それから職場のゴミを捨ていろいろ用意して、今日は処分してしまえと思ってパソコンのモニタを車に乗せ、そのまま業者に持っていった。
【トランストロンメル『悲しみのゴンドラ』と「つよい詩」】
悲しみのゴンドラ 増補版 | |
トランストロンメル | |
思潮社 |
自室に戻ってモーニングページの続きを書き、会計計算を少しして、さてどうしようかと思い、トマス・トランストロンメルの詩集『悲しみのゴンドラ』増補版(思潮社、2011)を読み始めた。トランスとロンメルと言ってもぴんとこないと思うが、昨年、つまり2011年のノーベル文学賞を受賞したスウェーデンの詩人だ。芥川賞とノーベル文学賞はなるべく読むことにしているのだが、「スウェーデンの詩人」だという時点であまり興味がなくなってしまい、それはどうも日本の出版界も同じだったらしく、検索してもこの一冊しか日本には出回っていないようだった。この本は1996年に描かれ、1999年に日本語に翻訳されたもので、ノーベル文学賞の受賞を受けて昨年それに関連する「栞」が付されて増補されたものだ。思潮社は『現代詩手帖』を出している詩の専門出版社だが、こんなことでもなければ詩集の増刷などほとんど考えられないのだけど、こんなことがあってもこの一冊しか出回らないくらいにしか、現代日本において詩というものは関心を持たれていない。
しかし読み始めて、というか朗読をはじめて、この人の詩の持つ圧倒的な「つよさ」にすごく気持ちのよい、嬉しい、わくわくするものを感じた。私はこういうのが好きだ。
詩の「つよさ」と言っても分かりにくいかもしれないが、日本で人気のある詩というのは基本的に「よわい」詩だと思う。日本人はそういう詩の方が好きだし共感する、それはもちろん私もそうなのだけど、それは多分「自我の殻」があまり強くないということとも関係しているのだと思う。「よわい」詩というのは例えば石川啄木であり、中原中也であり、谷川俊太郎の多くの、抒情的な詩だ。「つよい」詩というのは私のイメージでは例えば宮澤賢治なのだが、その違いは世界が外に開いているか、内に開いているかの違いといえばいいだろうか。
詩の世界というのはまた複雑で、啄木にしろ中也にしろ谷川にしろ詩の主流から見れば異端、傍流なのだけど、しかし人気があるのは圧倒的にこういう人たちなのだ。しかし主流の人たちの詩が「つよい」かというと必ずしもそうだとは思えない。「蝶々が一羽韃靼海峡を渡っていった」なんていうのはつよい方だと思うのだけど、だから何、という感じがする。強さというのはたとえばダンディである、つまり「かっこいい」ことがい必要だけどそれだけではなくて、ユーモアとか諧謔性を感じさせ、そして自分のことだけでなく世界のことをうたっていなければならない、と思う。日本の詩人で世界のことをうたっているというのは、少々これもまた異端、というか仏教的な観点から世界をうたっている宮澤賢治くらいしか思いつかない。そして言うまでもなく宮澤賢治もまた、詩の世界では本流とはいえない。
トマス・トランストロンメルの詩はそのすべてが含まれていて、つよい。ユーモアや諧謔性というのもある意味かっこよさの条件だから、そして世界へのアプローチが、現代ヨーロッパの教養人のものなのだけど、今までそういう人というのはどうしても鼻につくものを感じていたのだけど、トランストロンメルの詩を読んで理解できる、共有できるものがあるんだということを強く感じた。私はもちろんヨーロッパの教養人ではないけれども、日本の無教養人であっても共有できる要素があるというのは心強いことで、つまりはこういう人たちと連帯して世界を変えていくということは案外可能なんじゃないかと思えるということだし、大江健三郎や村上春樹みたいな人たちだけでなく、私みたいなバカでも共有できる世界が広々とあるなら、案外何かをしかけることは可能なんじゃないかと思ったのだった。
まあ世界を変えると言ったら大げさだし、昨日も書いたようにアンガージュマンが自分のやるべきこととは思えないからほんの少しのことなのだけど、自分が存在し、何かをやることでほんの少しだけ世界がましになるのなら、まあ存在した意味、やった意味があるというものだと思う。
トランストロンメルの詩は朗読したくなる詩だ。つよい、ということはワンフレーズワンフレーズの意味が取りやすい、ということでもあると思う。詩と言っても私はやはり今までは抒情詩的な方面に偏っていたから、言葉の意味というより何かの発露としての表現という方に鑑賞の重点があったわけだけど、トランストロンメルの詩はむしろ意味を解読して行くことでより深く理解できる、そういう詩だ。そこにヨーロッパの重層的な教養がある。だからと言ってギリシャ悲劇からすべてを理解していなければ手も足も出ない、というようなものでもない。ちゃんとそういう知識の足りない無教養な私であっても十分楽しめるような意味構造を用意してくれている。
「悲しみのゴンドラⅡ」という詩は1882年末にリストが娘婿のワグナーと娘のコジマをヴェネツィアに訪ねた時のことを題材にしていて、ワグナーはその数か月後に亡くなっているのだそうだ。そしてリストはこのときのことを題材に二つのピアノ曲を書き、「悲しみのゴンドラ」と名付けて発表しているのだそうだ。
私が強く引かれた一節を抜き出してみよう。
「
リストが書きとめる和音の重さは途方もなく
分析にパドヴァの鉱物試験所に送るべきほど。
まさに隕石群!
休止するには重すぎて ただ 沈みに沈み
未来の底まで抜け通る
」
和音の重さ。リストが書きとめるその重さ。パドヴァの鉱物試験所。そこからの連想だろうか、リストの和音は隕石群に比されている。「隕石群!」というフレーズは吉増剛造を連想させられたが、その言葉のおさまり具合からもトランストロンメルの方がかっこいい。
休止するには重すぎる和音。それが沈みに沈んで、未来の底、引用はしなかったが1930年代のムッソリーニの台頭期にまで沈んで行く、というわけだ。
こういう一節からもこの人が世界をどのようにとらえているかがうかがえるわけで、おそらくはヨーロッパ教養人の多くが共有している世界認識と言っていいのだろうと思う。それがトランストロンメルの詩の言葉の形を取ると衒いもなく、または何もつかず、とてもかっこよく、自分から進んでその価値観を共有したいと思うようになる、そんな力を持っているわけで、この人がノーベル文学賞を取った理由はとてもよくわかるなと思った。単なる地元びいきではないのだ。おそらくはこの受賞はそのように多くの国で解釈されているだろうけれども、それだけで終わってはつまらない。特に日本人にはこの人の詩をもっと読んでもらえるといいなと思う。
この詩は八つのパートに分かれ、ページ数で15ページにわたっているのだが、朗読してiPhoneのボイスメモに録音してみたら4分余りになった。声に出してみると、目で読んだときには気がつかなかった意味に一つ一つ気づいて行き、読むたびに加わって来るその意味を加えて朗読しなおさなければと思う楽しみがある。
【タブッキ「遠い水平線」を少しだけ】
遠い水平線 (白水Uブックス―海外小説の誘惑) | |
タブッキ | |
白水社 |
興に乗ってきたのでまだ読み始めていなかったアントニオ・タブッキの『遠い水平線』(須賀敦子訳、白水Uブックス、1996)の最初の1章を朗読してみた。これもいい。
死体置き場で働く主人公は、無味乾燥な数字で呼ばれる死体たちに共感し、あだ名をつけたりする。
「
たとえばマルセリーノは、子役のパブリート・カルボにそっくりだ。丸顔で出っ張った膝の骨、くろい、つやつやしたおかっぱにそろえた髪。13歳、工事現場の足場から墜落、不法就労だった。父親は行方不明、母親はサルデーニャに住んでいて、来られない。それで、明日、転送されることになっている。
」
気のいい主人公に共感し、死体たちに対する即物的な感想に少しわらいまで感じながらも、いきなり粛然とさせられる。その手法。タブッキはやはりいい。
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