努力を肯定するということ
Posted at 12/02/16 PermaLink» Tweet
【努力を肯定するということ】
風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡 | |
宮崎駿 | |
ロッキング・オン |
宮崎駿『風の帰る場所』を読み返している。この本はホント、自分にとってとても重要な本になりそうだなと思う。この本は、宮崎駿の人生観、仕事観、世界観、作品観などが書かれていて、そういうものをちゃんとまとめて自分のものにしたい、ということが一つあって、そういうことを今日午前中にやるつもりだったのだけど、そういうことを考えていると当然そのことに関して自分はどうだったんだろうということを考える、いやまあ考えなかったら意味ないんだけど、考えるわけで、そういうことを考えているうちに自分の中でもいろいろ思い当ることが出てきたりするわけなのだった。
この本では宮崎駿が日本のアニメ界の屋台骨をどうやって支え、支えるというより手塚治虫とかがめちゃくちゃにしてきたアニメの収益構造を支え直して、若い才能の発掘、スタジオの維持やそういう作品の制作だけでない周辺の、でも誰かがやらなければ決してできないことに爆発しながら取っ組んでよれよれになりながらあの珠玉の作品たちを世に送り出してきた過程がユーモアあふれる(そんな生易しいものではないが)語り口で語られて行く。
『もののけ姫』が公開された直後のインタビューでは「後進に道を譲る」みたいなことを言っているが、それは明らかに『耳をすませば』の監督をした近藤喜文のことだと思うのだけど、彼はおそらくはこのインタビューのあとで早世してしまっているから、そういうこともあってここで語られている宮崎の引退は実現せず、そしてそれが故に『千と千尋の神隠し』が生まれたのかと思うと感慨も無量としか言いようがない。その中で、引退するものの置き手紙みたいな感じで日本のアニメ界について語っているのだけど、何かそういうのを読んでいるうちに、宮崎は結局いつも自分がやらざるを得ないという状況にどんどん自分を追い込んで行って、それはおそらくは半分は無意識になのだけど、それでどんどんアニメ界の改革みたいなことまで力技で実現したりしてきたんだなと思った。
つまり彼はもちろん言うまでもなく天才なのだけど、ただの天才ではなくて、努力を発明するという意味で特に天才なのだと思う。いまでもスタジオジブリ以外のアニメーターがどれだけの月収があるのかと考えてみると凄い世界にまだいるわけではあるけど、凄い費用と時間をかけて劇場用のアニメを制作しそれをものすごい確率で大ヒットさせて必ず資金を回収して利益さえ出す、というパターンをつくりだしたというだけでも革命的なことは間違いない。
しかしそれは個人のレベルで言えばものすごく大変なことなわけで、そういう意味で彼はものすごく努力をして来ているわけで、そのことをはじめて「すごいな」と思った。そしてそう思ったときに何かが自分の中でベルを鳴らしたのだ。
それは自分もまた、努力してきたという事実だ。というか、私はそういうことは全然覚えていない人なので、ただ「大変だった」ということだけは覚えていても、「努力した」ということにおいて自分を肯定しようという気持ちになることが今までなかったということなのだ。
考えてみたら私はすごく努力してきた。まあこんな書き方をするのは変だというかみっともないということは分かっていて書いているのだけど、そういうふうに書かないと自分が書きたいことの趣旨を表現できないのでまあ勘弁してもらうしかない。正直才能にも恵まれないし、からだも強くないし、頭もすぐ疲れるし、好き嫌いは多い。まあだめなことを書き出したら全くダメダメ人間で、そういうことも普段は自覚してないけど、本当は自分でも深いところで自覚はしていて、何かのことで非難された時に「何をやってもだめなヤツ!」と言い放たれて本気で落ち込んだこともある。それはまあ実際、自分がだめなところを数えはじめたらどこかのがけから転落しそうになるくらいはだめなやつだということは深いところで認識しているからなのだと思う。
まあそういう人間でも何とか生きて来られたのは、何かに深く感動したり徹底的に熱中したりすることができるという性質で、何かに感動したり熱中しているときは他のことはどうでもよくなるから、そんなことでまあ何とか乗り切ってきたというようなところはある。感動がつまらない自分の状態から自分を救ってくれるものだということは、こんなにはっきりした形ではないけど、自覚はしていた。だからこそ、感動に関わるようなことに関わって行きたいと思っているわけなのだけど。
そして好きこそものの上手なれというか、特に子どもの頃は算数にしろ本を読むことにしろ手当たりしだいにどんどん読んで吸収していたから、そういうことで基礎的な学力みたいなものはそんなに苦労しないで身につけてきた。それ以外の日常は辛いことが多かったけど、熱中できるものがあり、熱中していることが許されている限り、自分自身では何とかなってきた。まあ無理やり折り合いをつけてきたというべきか。そういう意味ではかなりシニカルなところのある子どもだったし、今でもそういうところは全く払拭されているわけではない。
それが成り立たなくなった最初の経験は、大学に入ってからの失恋の経験だろうか。それをきっかけに芝居にのめり込んだ、というか芝居が上達するように、努力するようになったと言ってもいい。まあ努力は裏切らないというか、何か本気でそういう意味で背水の陣で努力したということは初めての経験だったから、それで上達するかどうかも分からずにでも自分なりに必死でやっていて、何年かして周りからもそれなりに評価してもらえるようになったのだから、自分が自分として努力しようとして努力した最初の経験はあのときだったのではないかと思う。まあ私の記憶に残っている範囲のことなのだけど。
次の経験もやはり失恋が絡んでいるのだけど、まだ学生だったけどとにかく自活できるようになりたいと思っていた。どういうわけか私は学生時代に就職しようと思ったことがこれっぽっちもなく、それでも生きていくためにはアルバイトなりなんなりで生活できるようにしなければならないと思っていた。そう、つまりそれは「好きに生きていきたかった」からで、そのためには就職なんかしたら「好きに生きていく」ことは実現できないと思っていたからだ、今思えば。(ああ、そういう意味では自分の考えって首尾一貫しているなと今ちょっと感動した・笑)まあ考えてみるとそういうのって浅はかといえば浅はかで、適当に金を稼いであとは旅行とかして暮らしていければいいと思っていた。まあなんというか全く現実感がないというか、22歳にしては豪いことだと思う。仕事というものの意味についても全く分かってなかったわけで、でもまあ金を稼がないと成り立たないということくらいは分かっていたから、アルバイトで塾の先生をして金を稼ごうとしたわけだ。
しかしこれがやってみたら全然うまく行かない。生徒は勝手に跳ねまわるし自分自身が中一の英語がちゃんと分かってないところがあることが分かって愕然とした。社会や国語は何とかなったけど、それでも生徒にちゃんとやらせることに関してはすごく苦労した。私自身が先生の言うことをあまり聞かない子どもだったし、授業中も他のことを考えていたりしたものだから、どうやったらいいのか見当もつかず、相当苦労した。
同じ頃教育実習をやることになり、母校で教わった世界史の先生についたが最初にあいさつに行ったときにあっという間に勉強不足を見抜かれてしまい(大体読んで来いと言われていた本を一冊も読んで行かなかったのだ、今考えてみたら酷い生徒だ)、そのあとは死んだ気になって二週間ほとんど寝ずに教案を用意して授業をして、何とか乗り切ったことを思い出す。「受験のとき以上に勉強した」と家族には言われたが、受験なんて自分だけのことだけど、授業が酷ければ生徒にも先生にも迷惑なわけで、またそんなことで迷惑をかけるということを自分に許さない程度のプライドはあったから、何とか乗り切ることができた。それもまあわずか二週間のことだから、今考えれば大したことではないのだけど、当時の自分にとっては画期的なことだった。
しかしまあその経験はとても役に立った。私は学校で授業していた時も恩師の先生の板書方法をそっくりいただいてそのまま授業をしていたのだけど、小学生や中学生を相手にしてもそういうスタイルでやれば生徒は十分集中してノートを書いて、集中して授業を受けるということに気づいたのだ。もともと塾に来るような生徒なのだから点数を上げたいという意識は強いのだ。だから集中できるきっかけというか理由を与えられたら十分集中して勉強できる。そういうことを一つ一つ発見して行った。
なんか学習方法とか指導方法の考え方みたいな話になってしまって変なことになってしまったが、まあ要するにそうやって何とか塾で教えてそれなりの収入を上げることができるようになり、まあある意味「好きなことをやって生きていく」ことができるようになったわけだ。
しかしまあそうやって塾の中で戦力として計算されるようになってくると、おいそれと休むことができなくなって行く。芝居は続けていたから公演のときは休まざるを得ないのだけど、代講を立てるのに結構苦労した(小学生の社会はその塾では全教室を私がやるようになってしまっていたからだ)し、責任も重くなるし特に夜の仕事なのでけっこう健康面でも負担になるようになってしまったのだ。
自分が何かをやると、周りもそれにあわせて変わって行って、そして自分がその状況の中にはめ込まれて行き、好きにやったり好きにやめたりができなくなって行く。そういうことをはじめて自覚するようになった。またその頃には芝居の方でもある程度の役割ができていて、自分の去就がすごく周りに影響を与えるようになり、「好きにやる」ことがどんどん難しくなるという感じにもなって行った。
それで結局学校に就職したわけだが、自分としてはなるべく楽な方へ、楽な方へと進路を変えて行ったつもりなのにどんどん大変な方へ行くようになっていた。まあそれは自分が世の中を知らなかったということもあるけど、まあひょっとしたらそういうことを経験しろという何かの計らいだったのかもしれない。就職したことで経済的には安定したが、「好きなこと」はどんどんできなくなって行き、また当時劇団の形が変わったりいろいろなことがあって、数年して芝居もやらなくなってしまうと、「自分のやりたいこと」を全く見失うような感じになってしまった。
学校の中でも生徒指導だとか自分には合わない、正しいと思えない、やりたいと思えないようなことを我慢してやるような時期があったりして相当消耗したりストレスを感じたりしたし、また先生という人種が自分と考えが似ているようでどこか根本的に違うと感じるところがあってそのずれがだんだん耐えられなくなって来るところがあったりして、実際のところ長く居る所じゃないなと自分では思っていたのだけど、結局ずるずると10年もいた。それは、学校現場というところにやはり絶望的な問題を感じたからで、それをなんとかしたいという思いが強く、そこで自分なりにいろいろな役割を引き受けたり背負い込まざるを得なくなったりということを繰り返し、絶望的な努力を続けた結果、結局ぼろぼろになって退職するということになったのだった。
まあそういう意味で、今まで私はこの時期を暗黒の10年間だと思っていたし、そのあとの意気の上がらない時期を含めて「失われた20年」だとか思っていた。実際、この時期の音楽シーンや映画シーン、演劇にしても小説にしても新しい傾向のもの、ビビッドな動きなどに全然触れて行かず、それこそ宮崎アニメの黄金の10年間も全く触れずに過ごしてしまった。そういうマイナスばかりをずっと見続けてきたのだけど、今日はじめて、この時期の私の努力も、結局はそうたいした実を結ばなかったし、途中でやめてしまったことによって生徒たちの中に何か花開いたかもしれない可能性を最後まで支えてやれなかったという悔いも残りはするのだけど、それでも努力したことそのものに意味があるんじゃないかと思ったのだった。
マイナス面ばかりを見ればマイナスしか残らない時期であっても、絶望的な不可能な努力をして身も心も擦り減らして、失ったことばかりが目につく時期であっても、とにかく努力し続けたことだけは確かで、その努力がどんどん裏目に出ることも多かったし、どんなにやっても報われることのない努力であることも多かったのだけど、それでも努力したこと自体に意味があったと初めて思えたのだ。そのことが私の心を鳴らしたベルの音だった。
人はいつか死んでしまうのだから、すべての努力は無駄だと言えば無駄なわけだけど、生きているということと努力をするということは多分かなり重なることなわけで、もしたとえマイナスの結果しかもたらさない努力であったとしても、しないよりはした方がよかった、少なくとも当人が生きる上ではそうであったのだと思う。
それは一つは昨日友人とメールでやりとりをして、綱渡り状態でないと本当には学べないという話をしたことを思い出したり、宮崎が引用している堀田善衛の言葉、それは旧約聖書からの引用なのだけど、「お前の空なる人生のあいだは自分のパンを喜びをもって食い楽しみながら酒を飲んで、額に汗流して尽くせるだけのことを尽くして生きるのは神様もよしとしてる」ということを読んだこともヒントにはなったのだろう。自分が努力をしているという実感が今まで持てていなかったから、こういう言葉もずっとスルーしていたのだけど、「額に汗流して尽くせるだけのことは尽くす」ということは、何に対してに関わらず、またどういう成果を出せるかに関わらず、「努力する」ということそのものなんだなと初めて思ったのだ、ようやくだけど。
まあそういうふうに考えてみると自分というのはけっこう努力する人で、というか努力する人になっていて、まあ無駄な努力とか方向性の間違った努力も多い気がするからそこら辺は何とかして行かなければいけないにしても、努力すること自体は人が生きるということにおいて間違ってはいないことなんだ、と思った。いまさらだけど。なんていうか私は努力というものをカッコ悪いものだと思っていて、少なくとも自分に対しては自分が努力しているということを隠してきたような気がする。けっこう人にはそういうものを意識して見せていたこともあって、全然矛盾しているんだけど。本質的にカッコつけたい相手は他人ではなく、自分に対してというまあめんどくさい人間なんだなと思う。
まあそれは、いろいろな過程の中で人のする努力を正当に評価することができるようになったということも大きいなと思う。ちゃんとそういうことに感謝したり尊敬したりすることができるようになったからだ。それでようやく自分の努力も見えるようになったしともかく肯定は出来るようになったのだと思う。
「努力すればいいってもんじゃない」ってよく私は思ったし口にも出してきたけど、でもそれはある意味間違ってたかもしれないとも思う。その言葉は多分人間の言い草で、たとえば神にとってはその努力が真摯でありさえすれば同じことなのではないかとも思った。芝居をしていてなかなか壁が破れず苦悩していた頃、君は世界に愛されているんだよ、という言葉を叩きつけられたことがある。そのことのみが今までよくわからなかったのだけど、それは「努力を神は嘉し給う」ということだったのかもしれないなと思った。
まあとにかく、努力は人の努力も自分の努力も肯定した方がいいよ、カッコつけないで。見せびらかす必要はないけどさ。
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