私の愛と使命、みたいな話/過剰な人々との付き合い方/今の希望/理系のひとびとの限界
Posted at 12/02/11 PermaLink» Tweet
【私の愛と使命、みたいな話】
昨日からいろいろ考えていて、昨日は自分の使命はなんだろうというようなことを考えて書いた。しかし何というかあんまりそれでやる気が出るというわけではなかったので、つまり今いちやる気が出ないので、何でなのかなあと思っていたのだけど、それはつまり自分の『愛』というか、何をどうすることが好きなのかということとしっかり結びついてないからだなあと思ったのだった。自分の『愛のありよう』みたいなものを考え出すとすぐ分からなくなる、というか自分にとって『愛』というのは不可思議なもの、というか人が『愛』って平気で口に出してそれを論じているのが不思議な感じで、『愛って何?』みたいな感じを強く持っていた。というか、『愛』って自分が関心をもつことがらの"The Last Word"みたいな感じがしていたのだった。
でもなんというか、『愛』について語れないと何となく村八分にされるというか、よそよそしく扱われる感じというのが今まで世の中で生きてきてあったので、何だかめんどくさいなあというところがあった。いま、少し前の自分を考えてみると、恋愛をしているときの、相手を求める気持ちというのはあるけれども、相手に何かをしてあげたい気持ちとか、何かを引きだしてあげたい気持ちというのが、ちょっと思い出せなくなっていたなあと思う。
考えてみると自分はこうだった、というのは、つまり恋愛している相手であるとかないとかに関わらず、私はその人が生き生きと生きてるというか、「その人らしさ」が全開で生きてる感じが好きだ。それは表面的なことではなくて、その人が無茶苦茶をやればいいというものではない。やっぱり人間が生きているステージというのはあるので、そのステージの中で自分が百パーセント発揮されてるなあ、というような感じで人が生きているのを見るのが好きなのだ。その人が生きるべきステージが完備されてないなあということも多いし、そういうときにはその人の人生はいばらの道だなと思うけど、でもそのステージを作ること自体がその人の良さを引き出しているような、そういう感じがあればいいなと思う。
まあそんなことを考えていて、ああそうだ、私の『愛のかたち』というのはそういうものなんだと思った。それが『愛』だ、ということ自体をあんまりまともに考えたことがなかったから、『愛』という言葉の一般的な意味に変にこだわってよくわからなくなっていたのだけど、結局自分がやりたいというか、やれるといいなあと思っているのはそういうことなんだなと思った。
もちろん、それは私以外の人だけでなく、私自身もそうして生きたいと思っている。私が一番生き生きして、一番私の良さが発揮できるようなステージを自分で獲得したいと思っているのだけど、まあなかなかうまくはいかない。どうも何というか、私の表現って届きにくいところがあるんだなあと思う。それをどうしたらいいのか、ということもこれからは考えて行かないといけないんだけど。
まあとりあえず、『愛』と『使命』とがつかめたら、まあ自分のやりたいこと、自分のやるべきことは理解できるわけで、まあそんだらこったらでぼちぼちやりたいと思う。
【過剰な人々との付き合い方】
生きることの過剰な部分、というのをどういうわけだか私の周りの人たちはたくさん持っている人が多くて、父も母もそうだし友達や元カノ、前の嫁さんなんかもそういう人が多い。何というかそういう過剰な部分というのはめんどくさくもあるのだけど、やっぱり面白く魅力的なところもたくさんあって、そういうところをつい面白がってしまうので離れられないということはあるんだろう。でも父や母、嫁さんみたいな距離の人が朝から晩まで過剰だとちょっと私には大変すぎるということがあって、正直楽しみ切れない。全然ゼロだとだめだけど、過剰率100パーセントみたいになるとちょっと辛い。父が絶好調のときとか母が飛ばしているときなどはこっちの元気があると大喧嘩になるし元気がないと凄いストレスが溜まった。そういうときの私というのは自分の身を守るためには全く容赦をしないから、相手をぶった切るようなことをする。何というか生きるためにはこうせざるを得ない、というような感じになる。なんか私にはそういう氷の刃みたいな部分があって、でもそういう部分があるからこそ生き残れてきたのだろうなと思う。
まあ結局、そういう超過剰な人たちとは、一定の距離を取って付き合う方がお互いのためなのだ。面白がって見ていられる距離にいたいというのが正直なところ。特に欠乏している人のよい部分を一生懸命引き出しているときなどすごくセンサーが働いているから、過剰なものを受け止めると電流計が許容電流を超えて壊れてしまうのだ。ああよく壊れたなあ、考えてみれば。でもまあデリケートなものに合わせ過ぎているとこっちの神経が固まって来るのでときどき解放するにはそういう過剰な人と付き合って面白がるのが一番いいんだよな。そのあたりの微妙な距離を確立するのはけっこう難しい。
【いまの希望】
いままでも付き合った人というのはあんまりまだ自分が固まっていない時期の人が多く、その人にあれこれその人の良さが引き出されるようなことを考えたりしてあげたりしながら付き合って、さなぎが蝶になる頃サヨナラ、みたいなパターンが多かった。光源氏パターンだが紫の上を自分の嫁さんにしそこなってばかりで、その辺のところに不満が残るのだが、まあまたそんな付き合いができる機会があればいいなあと思っている。嫁さんも子どもも育ててみたいというのが本当のところだ。なかなかこっちの年齢が上がってきてしまっているし、いろいろな意味でブランクもけっこうあるのでなかなか機会がつかめないのだけど、そういうことができればいいなというのがまあ今の希望。
【理系のひとびとの限界】
まあ話は全然変わるが、昨日読んだ養老猛と隈研吾の対談が面白かった。日本建築学会の部会には、地震の研究部会はあっても津波の研究部会は存在しなかったのだという。だから津波に強い建物づくり、というのは全く考えられてなかったのだそうだ。結局津波などというのは予測不可能だから考えても仕方がない、という発想で、仕方がないものは考えない、ということだったらしい。まあそういう発想自体は私もよくするので理解できないわけではないのだが、しかし建築学会にとって津波は「考えても仕方がない」対象であったというのはまずいんじゃないかな、というかもちろん結果論としてまずかったことは確かなのだけど、こういうことが起こる前に持考えていてほしいものではあったなと思う。
つまり、理系の人たち、技術系の人たちというのは、「何を考えるべきか」、つまり「どこまでが自分の仕事か」という枠を先に決めて、その中でベストを、完璧を目指すために、その枠自体を広げるということを非常に嫌がる人たちなんだ、ということを養老と隈は言っていたのだ。なるほどと思う。つまり津波にしろ原発事故にしろ「想定外」ということを平気で口に出すのは、最初っからそんなことに責任を負ってないよ、という理系の人々の正直な気持ちの表れなのだ。
しかし一般民衆としてはじゃあ誰が責任を負ってるんだということになるわけだし、そしてだれも責任を負ってないということを知って愕然として、集団ヒステリー状態になる。いまの反原発運動のかなりの部分がそうやって明らかになった「誰も責任を負ってない範囲のこと」についてのやり場のない憤りの爆発があるわけで、もともと理系とか技術系の人だけにそういうことを任せておいたこと自体に問題があるのは確かなのだ。
つまり、想定していないことが起こったときにだれが対処するのかということを誰も考えていないということなのだ。
たとえば浦安で湾岸の埋立地の高級住宅街が液状化によって一気に人の住めない土地になってしまったのに、結局このことについてはデベロッパーも建築業者も土木業者も誰も責任を取ることを拒否しているのだそうだ。つまり想定外の災害であって運が悪かったと思って下さいということで買った人の不運で片付けられているそうで、まあ結局裁判を起こすしかないということになっているらしい。これはまあ公害問題も結局はそういうことだったわけで、工場を作ったときには想定していなかったこと、つまり誰が対処するべきか誰も考えてなかったことが起こったときには、みんなが責任を取らない。だって自分が考えるべき範囲の外だったんだから、ということになる。土木業者は地盤を作るところまでが仕事で建築業者は家を建てることが仕事でデベロッパーは売るのが仕事でそれが終わったあと何が起こっても誰がケアするべきなのか全然決まっていないらしい。結局デベロッパー、つまり売り手の大手不動産会社を相手に裁判を起こすらしいけど、責任の範囲が決まっていない問題をだれが責任を取るべきか決めるのは、裁判所にとっても難しい問題だろうと思う。
津波なんてものは私が物心ついてからでも日本の中でも世界でも何回も起こっていることだし、液状化なんてものも半世紀近く前の新潟地震で問題になったりしていることなのだからその辺の責任分担はもちろんできてると思ってたのだけど、全然できてないということはけっこう驚きだった。まあつまり問題があることは分かっていてもお互いに責任を押し付け合っているばかりで、全然そういう話し合いがつかないうちに実際に災害が起きてしまい、結局起こってしまったことについて裁判所に決めてもらうしかないというような、当事者能力のない人たちが大開発を進めていたのだということが明らかになった、ということなんだろう。
その背景として、不動産・土木・建築業界とも、とにかく大規模開発を行い続け、巨大ビル群を建設し続けていない限り業界全体の経営が立ち行かないという自転車操業的な実態があるのだと隈は言っている。すでにつくってしまった建物群をケアして行くだけでは業界が維持できないのだ。だから常にスクラップアンドビルドでまだ使えるビルを壊して再開発して巨大ビルを建てる、ということを繰り返しているのだそうで、そういう意味ではがんがん新しい書籍を売り出してがんがん廃棄することでなんとか業界を回している出版業界と同じ病巣を日本の不動産・土木・建築業界は持ってるんだなと思った。
経済を拡大し続けなければ業界を維持できない、国家を維持できないという病気が世の中を蝕んでいて、そのために起こってもおかしくない問題に誰が対処するかなんて「些事」にはだれもかまっていられない、ということらしい。こういう状態がいいことなのかどうか考えた方がいいと思うのだけど、結局原発維持派の論理と同じで「それをやめるなら、どうやって日本経済を維持して行くのか、代案を出せ」と脅迫するところに行ってしまう。私は正直、そんなことで経済を維持している水ぶくれの状態自体が問題なのだと思うし、経済構造自体をリストラクチャリングして行かないと「持続可能な発展」など不可能だと思う。しかしそれをいいだす勇気が誰にもない、というのが今までの状態だったんだろう。橋下徹が面白いのはそれを言いだして実行しようとしているところなんだと思う。まだ行政の範囲内ではあるけど。
何というか、実際問題としてやりたいことが一番やれるのは地方の首長だと思う。4年間はその地位が保証されているのだから。本当は政府もそういうじっくり腰を落ち着けた対処をしてほしいのだけど、みんな選挙のことしか考えてない。だから行政に関しては国民のリコールが可能(地方の首長でもそうだが)な条件をもたせて4年なりをじっくり政治が行える、疑似大統領制、つまり首相公選制みたいな制度を作った方がいいのではないかと思う。4年で日本の水ぶくれがリストラできるとはいえないけど、思い切ったリストラを進めることは可能だろう。それが成果が出るなら継続すればいいのだし、だめならやりなおすしかないが、なにもやらないよりはいまの状態よりいいのではないかと最近は思っている。
まあとにかく、大規模開発とかいう地域とか文化とか行政上の問題に関わることに、理系の人と商売人だけが関わるのはやはり危険だと思う。そこに政治が絡むと癒着が心配されるけれども、透明性を維持した形で何とかして行かないと、日本は危ないんじゃないかと思う。
まあ縦割りなのは理系だけでなく、文系の世界でも、西洋史の人たちと東洋史の人たちは言葉が通じにくいというような問題は実際にあるわけなんだけどね。みんな専門を決めて自分のところだけをほじくり返すのが上手い人たちばかりになって、全体が見られなくなってきてしまっているんだよな。そういう人でないと業績を上げられない、影響力を持ちえないという現状はまずいなと思う。みんな自分の掘ってる穴からちょっと出て、周りを見回してよという気はする。
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