豊田徹也『アンダーカレント』
Posted at 12/01/14 PermaLink» Tweet
【豊田徹也『アンダーカレント』】
アンダーカレント アフタヌーンKCDX | |
豊田徹也 | |
講談社 |
豊田徹也『アンダーカレント』(講談社アフタヌーンKCDX、2005)読了。この作品はネットで見つけ、アマゾンで注文して数日前に届いた。誰か、確かとある女優がこのマンガのことを好きだと言っていて、その人が一緒に挙げていたもののセンスがよかったから、きっとこのマンガも面白いだろうと思って買ってみたのだけど、想像をはるかに超えていた。
いや、こういう表現は難しいなと思う。私にとって、これだけ心の中に入ってくる作品、というか心の奥深いところに流れるもの、からだの奥にある鈴を鳴らしてくれる作品はここのところなかった、というべきだろう。私にとってこれはものすごくいい作品なのだけど、誰にとってもそうかとは言えないだろう。客観的に見ても素晴らしい作品であることに間違いはないが。
昨年もいろいろなものを読んだり見たりした。そしてそのたびに心の中のいろいろな部分が震えたりするわけだけど、この部分を震わせてくれたのは、そう、たぶんおととしに読んだレベッカ・ブラウンの何冊か以来ではないかと思う。
何度も何度も反芻する。一度読み終えたあとも、何度も場面を振り返る。最後まで読み終えた後、意味が分からなかった場面の意味がわかって来る、それはいい映画を見たときによくあること。アマゾンに乗せられた評価で谷口ジローが映画を超えた、みたいなことを書いているけど、確かに映画的でもある。しかし単に映画的なだけではなく、印象的なダイアローグが多いことから演劇的でもあるし、そしてやはり漫画的である。ギャグの使い方はマンガの王道を行っている。ドジョウの場面などサザエさんだ。
ある意味フランス映画みたいでもある。「あの人は、本当は私のことをどう思っていたんでしょう。」失踪した夫への、その問いかけを軸に話は進む。私はあの人のことを分かっていたのだろうか。あの人は私のことを分かっていたのだろうか。年間10万人も失踪するというこの現代において、人が一人いなくなるということはどういうことなのか。ぼんやりして行く記憶。そしてその記憶はさらに深いところにしまわれたいなくなってしまった少女の記憶に結び付き、物語はその少女の不在をめぐるところで展開していたことが徐々に明らかになってくる。アンダーカレント、心の底を流れるもの。
主人公は二人いる。夫に失踪され、経営していた銭湯を休業していた女。再会を決意して組合に働き手を依頼し、紹介されてきた無口な男。近所のじいさんばあさんたちの噂話の場面と、営業終了後黙々と浴場を掃除する二人の場面が繰り返し現れる。
誰かと一緒にいて、特に好きな相手と一緒にいて、でも相手が何を考えているか、本当のことは分からない。相手も自分も好きだと思っている、そのことは分かっていても、それ以外のことは分からない。でも、好きだから大丈夫なんだ、と思う。思ってしまう。確かに自分も、そんなことで何度も失敗した。好きだから大丈夫、何て神話か伝説の類なんだろう。でも信じてしまう。そんな幼稚なところが、たぶん今でも自分にある。
このマンガの登場人物たちは、たぶんもっと大人だ。現実を知っている。好きでも許せないことは許せないし、でも許せなくても好きであることに変わりはない。そしてそれから距離を取る男も。一歩近づきたいと、一度も思わなかったわけではないだろう。でも。
あの人は本当は私のことをどう思っていたんだろう。その問いを軸に話は進む。私はもっと幼稚なので、私の苦しみはそういうところではなかった。私をそう思っている、そのことが分かってからの苦しみの方がずっと私には生々しい。だから私のことをどう思っていたんだろう、という苦しみは私自身の苦しみではない。でも深く、心に沁み込んでくる。夫の不在、少女の不在。その二つの不在をめぐって二人の主人公が交差する。男は不在の少女の面影を女に見、女はその問いの彼方に男を見る。
狂言回しとして二人の男が現れる。半ば3枚目の、伝統的な役柄。ひょんなことから夫の探索を依頼された探偵は女に夫との関係を問い直させる。結末に関しては、このマンガはある意味ミステリーでもあり、展開の意外さがこの作品の求心力の一つでもあるので書くのは自重するけれども、実はラストの回はなくてもいいのではないかとさえ思う。本当はかなり明晰な筋立てなのだ。
私はそういう明晰な筋立てがあまり好きでないところもあるのだけど、これだけ鮮やかに構成された作品を読んでいると、むしろ私はそういう明晰さから逃げているところがあるんだなということも気づかされもする。そういう意味でも、いい作品は心に食い込んでくる。
探偵と、最初は喫茶店で、次にはカラオケ屋で、最後は遊園地で会う。遊園地の場面は『第三の男』を思い出させる。というかさすがにこれはそのオマージュではあるだろう。カラオケ屋の場面は、私が見た中では『台風クラブ』の三浦友和を思い出させられた。彼もしぶとく生き残っている。蛇足だが。
怪しげな老人が現れ、男に女の過去を語り、とんちんかんな事を焚きつけ、二人の関係を近づけたり遠ざけたりしながら不在の少女の記憶が明らかになる。男は女に、不在の少女の面影を見ていた。女もまた心の奥底にある暗い部分でその少女の記憶を抱えて生きていることを男は知る。
物語は二つのさよならで終わる。一つのさよならは未来につながる感触を残し、一つのさよならは過去を振りきる感触を残す。「それもまた人生」老人の重いせりふで物語は終わる。
アマゾンの作品紹介がいろいろなことを考えさせられる。「本当はすべて知っていた。心の底流(アンダーカレント)が導く結末を。」
本当は、どうなって行くのか気づいていた。
でも、今は。だから、今は。
そう、それもまた、人生。
(やっぱり、フランス映画だ。)
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