親孝行をしたいわけではないのだが

Posted at 12/01/12

昨年の11月6日、父の三回忌の直会(なおらい)を営んでいた会場で母が転倒し、大腿骨を骨折した。人工骨頭の手術を受け、市内の総合病院に20日ほど入院したあと峠の向こうの街の病院に転院してリハビリを続け、昨年の大みそかに退院した。市内の病院にいるときは一日に二度、峠の向こうに転院してからはほぼ二日に一度の割合で病院へ行ってこまごまとしたものを運んだり買い物をして届けたりしていた。

母は杖をつきながらでも歩けるようになったので、病院にいるときから一人で洗濯もするようになっていたのだが、退院後は食事もだいたい自分で作るようにしている。母の入院中は食事も私が自炊してけっこう大変だったのだが、買い物は私が連れて行くか私がしてくるかではあるが、ご飯を作るのは母がやるようになったのでだいぶ楽になった。人工骨頭はしてはならない姿勢があるのでしゃがんだり畳の上に座ったり床に落ちたものを拾ったりは出来ないし、あまり重いものは持てないのだが、なるべく今までどおりの生活をするように心がけている。

それでも私がしなければならないことはかなり増えた。目に見えて一番増えた仕事は石油ストーブに給油することだ。屋外にある石油タンクからポリタンクに給油し、屋内の廊下においておく。ストーブの灯油が切れてきたらタンクを持って行って廊下で給油する。廊下には暖房が入っていないからかなり寒いし、ポリタンクの灯油がなくなったら屋外に出て給油しなければいけないのでこれも寒い。なるべく暖かい午後のうちにその作業はするようにしている。普段使っている部屋だけで4台、自分の部屋を入れれば5台のストーブがあるので、毎日どれかの、また特に自分が留守にするときは全部のストーブに給油して行くのでなんだか給油ばかりしているなあという印象になったときがある。マンションや一戸建てでも新しい家は全館暖房になっていたり自動給油にしてあったりするけれども、昭和40年代に立てた実家はそういう設備がほとんどなく(一部屋だけ自動給油になっている)いろいろと手間もかかるのだ。

来週からは介護保険を使ってヘルパーさんも来てくれることになったし、リハビリのためのデイケアにも通うための準備を進めているので、またいろいろ変わってくることもあるだろうと思う。まだ介護保険の認定はおりていないが、医者によれば障害者の何級かの認定もおりそうなので、いろいろ便宜が図ってもらえるようになりそうで助かるなと思う。

まあそんなこんなでいろいろ母の面倒を見る機会が多くなっている。父のときは母がほとんど面倒を見て、まあ病院には毎日通ってはいたけど大変なことはみな母がやっていたから、あまり親孝行をしたという実感もない。しかし昨日、母を市役所へ送って行って用事を済ませる間に西友に回って魚を買ったり肉を飼ったりヨーグルトを買ったりしてまた市役所に車を回しているときに、「ああ、親孝行してるなあ」と思ってなんだかおかしくなってしまった。この俺が親孝行するときが来るなんてなあ、と。「孝行のしたい時分に親は無し」というが、父のときは何というか感情的な反発みたいなものが最後まで完全には消えてなくて、何かその思いが何か父にやってあげても消えなかったから孝行しているという感じでもなかったのだけど、今は母を車に乗せて介護施設に届けたり代わりに買い物に行ったりしているときに「親孝行をしているなあ」という実感がある。おそらくは実際にもっとハードな介護をするような状況だとそんな情緒的・文学的な感想は多分持てないんだろうと思う。まあ今くらいの感じがちょうど親孝行という感じなんだなと思った。別に親孝行をしたいと思ったわけではないのだが、まあおそらくは私に悔いが残らないように、なにものかがそういう機会を与えてくれているんだろうなあと思う。文学的ではあるが。

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