聖と俗の間の不思議な坂道

Posted at 11/12/18

昨日。朝は寝坊してしまったが、さっぱりした目覚めだった。金曜日の夜はセブンイレブンの冷凍うどんにしたが丸々食べられたのでだいぶ回復してきた感じ。8時間以上寝たし、久々にゆっくり寝られたという感があった。

生ききる。 (角川oneテーマ21)
瀬戸内寂聴・梅原猛
角川学芸出版

瀬戸内寂聴・梅原猛『生ききる。』(角川Oneテーマ21、2011)読了。読む前の予想よりずっとよかった。日本の文化、文明の豊かさが素直に思い出されて、二人の会話の中に、華やかな語りの絵巻が繰り広げられているように感じられた。教養とはこういうものなんだなと久しぶりに思った。最近は若い人たちのものばかり読んでいたのだけど、そういうものだけだと心が痩せて来るのだなと感じた。年寄りの話もたまにはいい、というか年寄りの話の方が艶やかで豊穣で光に満ちているように感じられるのはなぜなんだろうと思う。彼らが日本文化のいいところをちゃんと知っていて、それを自信を持って語っているからなのだろうと思う。私くらいの世代になると、たとえ伝統を受け継いだ人たちでも、もう一つ広がりに欠けている気がする。光源氏の世代と匂宮・薫の世代の差くらいはある気がする。

印象に残ったことをいくつか書くと、桑原武夫が言ったという「詩は東北、批評は関西」という言葉。批評は関西なのかどうかはともかく、「詩は東北」という言葉はちょっとはっとさせられた。批評はつまり手にか以来の伝統的美意識を背負っての批判作業だから関西だという意味のようなのだけど、宮沢賢治、齋藤茂吉、太宰治、寺山修司、確かに東北には東北にしかない詩魂があるかもしれないと思う。今回の震災でも和合亮一が震災・原発の詩(『詩の礫』)をツイッターで書いていたが、ああいう発信は阪神のときにはなかった。東北にしかない、ないしは東北に一番色濃く残っている言葉の原始性とでも言うべき詩魂、日本人の魂の基層にある言葉を一番掘り起こせるのが東北的な感性なのではないかと思った。

二人ともあるいは仏教者でありあるいは仏教への造詣が深い人であるからこそ、最澄が唱えたという山川草木悉皆成仏(あるいは草木国土悉皆成仏)のこの日本の国土を取り返しがつかないほど汚染させた原発への怒りは凄まじい。原発は人災だと言い切っている。この辺、私も中途半端に原発の発電力に未練を持つのは将来にとって決して得策ではないと思う。もうなかったことには出来ない原発の歴史ではあるが、これは何とか安楽死の方向へ持っていくべきだろうと思う。この期に及んでもまだ原発維持に未練を残す人たちは、基本的にはやはりお金にとらわれすぎているのだと思うし、ここまでやれてたんだからまだやれるのではと思う人には、日露戦争の成功体験に味を占めて太平洋戦争でもパナマ運河も通れない大艦巨砲を作って大敗した歴史を味わいなおしてみるのも一策ではないかと思う。

日本文化の魅力というものには、何年かに一度大きく惹かれる時期がある。思えば白洲正子の魅力というのもそういうことだったのだ。定期的に日本文化の魅力の蓋を開けに来てくれる人がいるのはうれしいことだなと思う。

ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー
Yellow Magic Orchestra
ソニー・ミュージックハウス

昨日は9時過ぎに家を出て病院へ向かう。母と一緒にソーシャルワーカーの話を聞いて退院後の母の家出の生活上の問題点を洗い出して検討。一つ一つのサービスに介護保険がどう適用されるかなど、細かいところもいろいろ聞いてみた。まあこんな感じで行くかなという話をして、また車を飛ばして帰宅。時間がなかったので途中のセブンイレブンで親子丼を買って暖めてもらってそれを昼食にする。食事を済ませてすぐ職場に出て、6時半まで仕事。いろいろと処理があって7時過ぎに職場を出、ディスカウントスーパーに回って夕食の買い物。うどんとおでんにしてみた。夕食を食べながら漫才の勝ち抜き合戦みたいな番組を見る。優勝したのは私が面白いと思った組ではなかったのでちょっと残念。それから坂本龍一の『音楽の学校スコラ』を見た。イエローマジックオーケストラの「ビハインド・ザ・マスク」という曲がエリック・クラプトンやマイケル・ジャクソンにカバーされているということを知ってへえっと思った。

今日はまた朝起きたら7時半。ここのところ朝寝坊ペースが続いている。だんだんシンプルな感性に戻っている気がする。なんというか16歳のころの、すべてがしらけて見えていた時期の感覚が戻ってきた気がする。高校生くらいのみずみずしい感性(笑)。しらけてるってあんまりいい言い方じゃないけど、素直にしらけることができるというのはけっこうシンプルなことで、何かにのめりこみたいとかの変な野望とか、それによって何かを達成したいというようなスケベ心がまだなくて、世の中を自分にとって生理的な間合いでもっと客観的に見れて、その実社会とか世界とか宇宙とかがきらきら見えていた時代の感覚が蘇って来たような感じ。もちろんあのころそのままではないにしても、あのころのあの感じ自体を理解できるような感覚が戻ってきたといえばいいのだろうか。

寝ているうちからずっと頭が動いていた。これはけっこう子どものころからずっとそうで、大学に入って芝居を始めたころまで意識的に思考を中断するとか全然出来なかったのだけど、まさに高校のころとかのそういう感じが戻ってきていて興味深かった。夢の中で1から2n-1までの奇数の和がnの2乗になることの証明をやってたりして、最近では最後まで行かないようになってたのだけど今朝は最後までやり遂げた(笑)。疲れるだけで別にメリットはないのだが、頭の動きが多少は戻ってきたのかもしれない。モーニングページを書いて朝食を食べ、職場によって用事をして職場に車を駐車して駅まで歩いて9時15分の特急で上京。特急の中でカツサンドが食べたくなり、車内販売で買ったらなんと野沢菜カツサンドというモノで驚いた。恐る恐るコーヒーも頼んでみたが、無事飲めたので、腹具合はだいぶよくなってきたといっていいだろう。

「上から目線」の構造 (日経プレミアシリーズ)
榎本博明
日本経済新聞出版社

新宿に着いたのが11時半で、途中でがいあプロジェクトへ行こうと思い立ち、御茶ノ水で下車。駅前の丸善にふらっと立ち寄って、なんとなく目に付いたのを立ち読みしてみたら面白かったので榎本博明『「上から目線」の構造』(日経プレミアシリーズ、2011)を買った。私も若いころは上からものを言われるのが苦手だったのでこういう感覚は分からないではないのだが、今では自分が上からものを言う立場になることも多いせいもあるのだろうけど昔ほどは気にならない。ただその辺はうまく立場を出し入れしないと若い子の本音は引き出せないから調節はしているが。しかし役所とか行って半端な若いのに上からものを言われたりすると「無礼者!」と思ったりはする。まあすっかり近頃の若者のふてぶてしい態度も模倣できるようになったりしているのでそういう態度で人に当たることがいかに楽でいかにコミュニケーションを拒絶できるかも分かってはいるのだが、最近それはなるべくやらないようにはしている。いい年してねえ。

テルマエ・ロマエ IV 特装版 (BEAM COMIX)
ヤマザキマリ
エンターブレイン

丸善を出ると、ニコライ堂の鐘が鳴っていた。駿台とニコライ堂の間の工事中の坂道を下っていくと、なんだか不思議な場所にいるような気がしてくる。聖と俗の間の不思議な坂道。がいあプロジェクトまで行ってうどん用のめんつゆと朝食用のパンを買った。それから神保町の方へ下っていって、書泉ブックマートとかで本を物色したあと、すずらん書店へ行ったらヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』4巻の特装版が出ていたので買った。最近こういう限定版が多いな。付録が大変なものだった。「ティンティナブラムストラップ」である。大丈夫かエンターブレイン。このポンペイ的な付録。(蛇足かもしれないがポンペイはベスビオ火山の噴火で地下に埋まった街だが、陽物崇拝でも有名だった)「古代ローマでは魔除けのお守りとして広く愛されてきた」のだそうだ。これは亜鉛合金だが、銀製のモノも24800円で特注受付中なのだそうだ。さらに大丈夫かエンターブレイン。本論に戻すと(何が本論だ)、マンガのほうのストーリーも3巻までの読み切り的な展開から、4巻では続きものになっていてルシウスがずっと現代日本の温泉旅館(伊東温泉?)に滞在している。4巻の最後は爆笑なのだが、それは読んでのお楽しみということで。読了。

数寄です! 2 (愛蔵版コミックス)
山下和美
集英社

すずらん書店でもう一冊、山下和美『数寄です!』の2巻(集英社、2011)を買う。ほかのところでは目に付かない本が必ず見つかるすずらん書店は相変わらず只者ではない(当社比)のだが、なかなかでないなーと思っていた二冊が買えて帰りに神保町で降りたのは大正解だった。マザーズでかまぼこを買って、スーパー富士屋でうどんの生麺を買って帰宅。帰りがけに、そうだ図書館で『獣の奏者』の探求編を借りてこよう!と思い立ち、iPhoneで調べるが東陽図書館所蔵のものは貸し出し中だったのでまっすぐ帰宅。それから自転車に乗って砂町図書館へ出かけて青い鳥文庫の方(上下に分かれていて上だけになってしまったが)を借りた。帰りにおはぎでも買って帰ろうと思ったのだが、貸し出しカードだけ持っていて財布を忘れたのでお金を払うときに気がついて買えなくて恥ずかしかった。

獣の奏者(5) (講談社青い鳥文庫)
上橋菜穂子
講談社

帰ってきてうどんにかまぼこを入れて昼食。何かいまひとつ。まあいいか。夕方になってから日本橋に出かける。モーニングページ用の原稿用紙ノートを買い、本を物色するが、店内の配置がかなり変わっていてなれるのに時間がかかった。物色していたら桜井章一『運を超えた本当の強さ』(日本実業出版社、2011)という本があり、よく読んでみたら羽生善治が聞き手を務めていて驚いた。そして羽生の名はクレジットにまったくない。ほんとに対談ではなく、聞き手に徹しているのだ。これはすごい本だと直感し、買うことにした。まだ少ししか読んでないけど、羽生の並々ならない意欲が伝わってくるし、またそれに桜井が誠実に答えていて、凄い。羽生の本も桜井の本も何冊も読んでいるが、これは別格の本になったのではないだろうか。

運を超えた本当の強さ 自分を研ぎ澄ます56の法則
桜井章一
日本実業出版社

帰りにプレッセによって豆ご飯とか団子汁とか買って帰宅。夜は『坂の上の雲』を見た。ついに日本は奉天会戦に勝利し、日本海海戦に突入した。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday