エヴァンゲリオン:すべてを理解してくれる友人を殺すということ/筋は通っているが構造としては壊れている/最低な自分をそのまま肯定する病理:自分を肯定できない人間はヤバいが自分を否定できない人間もまたヤバい/経済的なバブルと精神的なバブル/エヴァ以前、エヴァ以後/とか
Posted at 11/11/23 PermaLink» Tweet
【エヴァンゲリオン:すべてを理解してくれる友人を殺すということ】
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今日は勤労感謝の日。昨日は仕事を終えた後、結局エヴァンゲリオンのオンエア版を最終話まで見てしまった。で、見たことがある人はわかると思うが、ほわ?っというなんだこれ?という不安な感触というか、笑うしかないという乾いた笑いの感触とか、?マークをいっぱい飛ばしたまま寝ることになってしまった。
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いや、24話・25話はとてもよかったのだ、個人的には。24話の渚カヲルという少年が正体不明のままの登場と、シンジとの深い心の交流、それから25話の自分の心の壁が作った閉ざされた世界。この辺は正直、実感としてすごくよくわかるというか、すごくリアルなものを感じた。
カヲルは一言でいえばシンジのことをすべて理解してくれる同性の友人で、それは本当に私自身の憧れでもある。夢と言ってもいい。あの存在を求めて、でも生身の人間にそれを求めることができないということも40年を超えて生きていると苦い思いとともに受け止めざるを得ないところがある。異性にはそれに近い人がいないわけではないけれども、でもフォーマットが女性というフォーマットと男性というフォーマットでは全然違うところがあって、ある部分が互換性がどうしてもない。それはもちろん男性だって生身の人間である以上フォーマットの違いから融通できない部分はどうしても出て来る。カヲルはそれを越えたすべてを理解してくれる存在で、そういう意味で求めても求められないものであるがゆえにきわめてリアルに感じられる存在だ。救世主、自分だけを救済してくれる救世主であり、自分だけを救済してくれる神でもある。
しかしそれを殺さなければ前に進めない。なぜならば、その存在は自分のうつし絵に過ぎない、コピーにすぎないから、まぼろしに、幻想にすぎないからだろう。レイはおそらくユイのコピーだと思うが、カヲルはシンジのコピーと言っていいのではないだろうか。
「誰かに認められる」ことの究極の形は「もう一人の自分」に認められることなんだろう。すべてを委ねられる祖師、ブッダ。しかし『ブッダに会ったらブッダを殺せ』という禅語の通り、その自分をすら殺さなければ前に進めない。
25話の心の壁がつくりだす閉塞した世界というのは、自分が何年もいた場所だという気がするし、そういう意味でのリアリティがすごくある。92年ごろから2007年ごろまで、仕事をやめてからは緩和はしたけれども、出たり入ったりしている感じがあった。そんなことを考えていると、あの26話、最終話のあのラストも、ある意味分かるというか何を言いたいのかわかるというところがある。
あの自己啓発セミナーみたいにみんなが拍手して祝福してくれるという演出はさすがにヤバイと思うけれども、心の世界に潜っていくとああいう感じになって出口が見つかったときの感触というのは言葉にするとけっこうキショいというか気持ち悪い感じになるのはある意味避けられないところがある。世界に理解される、というある種の悟りの境地をどう表現するかなんだけど。
【筋は通っているが構造としては壊れている】
「自分は自分だ」という結論自体は、結局それ以外にないと思うけれども、その言葉に盛られた中身は奥深くも底浅くもなりえるわけで、解釈する側の問題としてどの深さでとらえるかはすごく大きな問題だ。しかしそのことと「人類補完計画」がどういう関わりがあるのかがオンエア版ではちょっと読みとりきれない。
いままでのストーリーの意味、エヴァンゲリオンとか使徒とかネルフとかレイが作られた意味とか、いろいろな伏線が全部行き止まりのまま放棄されていて心理的な結論にまとめられてしまい、現実、つまり物語の中に存在する現実の意味が浮遊したままになってしまって、それはよくないと思う。エヴァンゲリオンは確かに作品として大きな力を持っていると思うけれども、もし作品として、ないし社会現象として「失敗」してしまっていたとしたらそこのところだと思う。
やはり物語中の現実の世界に還元されて突き抜けるべきだったというのがまあ普通の考えだと思うけど、しかしこれをもうこういうものとして受け止めて、その無限に増殖する疑問の中から新しい作品群、MADやオマージュ、スピンオフ作品を含めてそういうものを生みだす一粒の麦となった、という考え方もある。不完全であったがために、それが可能になったのだと。
たとえば『カラマーゾフの兄弟』や『ファウスト』にしても、発表された当時はきっと「そういう終わり方はありかよ!」と思った人たちは絶対いたと思う。筋は通っているにしても、作品として作りこまれてきた構造は壊れてしまっている。その構造の壊し方は、それぞれに乱暴な感じがする。寺山修司の『田園に死す』のようなラストのひっくり返し方はある種の永劫回帰になるから分かるけれども、エヴァやこれらの作品は未来に向かってひっくり返って行くので受け取る側の戸惑いは大きい。
しかし、「自分の殻に閉じこもった少年」が「殻を突き破って出て来ること」をどう表現するかというのは、そう簡単なことではないなと思う。外形的な描写は可能でも、心の内側から外へ飛び出す時の心理描写は、やはり理屈でなくああいう繰り返しだったりイメージだったり脈絡のない発想だったりそういうものがふつふつと浮いては消えるような中から突然突き抜けるイメージが出て来る感じだとしか言えないし、そうなるとああいう自己啓発セミナー的に見える内的経験がないとは言えない。だから表現はどうかと思うけどやりたいことは分からなくはない。
「もう一人の自分」でなく「自分自身」が自分を認めなければならない。自分自身が自分を認める勇気を持たなければならない。自分自身が自分を好きになる決意を持たなければならない。そしてその時、好きになれることに気がつく。まあそんな感じにはなるだろう。
【最低な自分をそのまま肯定する病理:自分を肯定できない人間はヤバいが自分を否定できない人間もまたヤバい】
しかしまあ、ここに大きな罠があることもまた確かなんだよな。たとえばオタクである自分を認めるとかヤンキーである自分を認めるとかどうしようもないどろどろな自分を自分として肯定していいんだと人たちを超増殖させてしまった、そういう病理の出発点がここにあるのではないかという気がした。もちろんもともとあるものにそういう形を与えたというにすぎないのだろうけど。
生きようとする自分、自分を越えて行こうとする自分を肯定するのではなく、今ある、つまらない、最低な自分をそのまま肯定する。でもそれは多分上っ面の肯定にすぎなくて、その最低な自分、どうしようもない自分を明日は少しましになるようにして行こうという動機になればいいのだけど、どうしようもない苦界のうたかたに浮き沈みする醜い自分を無条件で肯定するというドグマになってしまっていないかなという気がする。
問題は受け取る側にある。でも多分、それは庵野自身の正直な部分が表出しているところがないとは言えないと思う。自分を肯定できない人間は極めてまずいということは自分の痛切な経験からよくわかることではあるのだけど、自分を否定できない人間も極めてまずいという半面の真実がきちんととらえられていない。ネットに現れている「粘着」などをはじめとする「厨」現象は、そうした病理の現れなんだと思う。
というあたりがオンエア版の最終話まで見て、寝て起きてモーニングページを書いた時点での自分の中の整理。寝たのは二時頃だった。
朝6時半ごろ妹から電話があって今日母のところに来てくれると聞く。そのあともしばらくうとうとしていたが7時半ころ起きてモーニングページを書き、朝食をとったら9時を過ぎていたので用意して病院に出かけ、母と少し話をしてから妹を迎えに行く。妹を病院に届けてから車を走らせ、湖畔のコンビニで草大福など食し、ツタヤに車を走らせて7、8巻を返却。これでビデオフォーマットの25話・26話(劇場公開)を借りればいいと思ったらそれとは別に総集編が出ていて、結局二つ借りた。
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そういえば当時、エヴァンゲリオンについてテレビ放送が中途半端に終わったからビデオで続きが出てその続きが劇場公開されるというよくわからない話を聞いたことを思い出した。これはこういうことだったのかと思う。それでまど☆マギも劇場公開で総集編と新作部分が公開されるという話を思い比べてみて、こういうのもエヴァから始まったんだろうなと思った。作品が荒削りであるためにどんどん増殖して行くこの感じというのは面白いと言えば面白いが、付き合うのはたいへんと言えば大変だ。まあこれが人間に類似した生命体の持つ力ということなんだろう。
そのあと別の書店に走ってiPhoneのマットを探したが売り切れで、ステパまで行ってエイデンでマットを二枚買って帰った。そのあと久しぶりに墓参りをし、帰ってきてこのブログを書いている。
【経済的なバブルと精神的なバブル/エヴァ以前、エヴァ以後/とか】
私もそうだが、庵野も経済的にはバブル世代といわれる世代に属している。その世代、あるいはそこからあとの人たちに見られがちなのが精神的なバブル現象というか、実態のないバブル的な自己肯定というものがあるのではないか、とこれを考えていて思った。経済的なバブルは92年には明らかに崩壊していたけど、精神的なバブルはオウム真理教や911の妄想的世界革命まで含めて、経済的なバブルより遅れてやって来たと言っていいのではないかと思う。ちょっとメモ。
もう一つメモ。文学には「どうしようもない自分を肯定する」という役割が確かにあるなと思った。どうしようもないということのイメージが「厨」現象とはちょっと異なるが、どうしようもないということ自体は変わらないだろう。エヴァも出て来る人出て来る人破滅的な生き方をしているわけで、人類の危機に自分の傷跡のことばっかり考えてて大人としてどうかと思うよ、みたいな感じはしてしまう。自分が今取り組んでいることの意味を強く肯定できる登場人物が出て来ないというその不安定感。人類は滅びるべくして滅ぶんだなという感じはそこから来てるんだろう。
もう一つメモ。この話の中には自分が自分を取り戻す(それが人類補完計画?)というテーマ以外に「愛」というテーマもあるはずで、初号機と融合してしまったシンジを帰還させたのがミサトの無私の愛であったとか、すべてを救うためにレイが行った自己犠牲とか、そういう自己を越える「愛」がちゃんと提示されているのだけど、話しの結論として落ち着きがよさそうなそっちの方へは行かないで困った子ちゃんの方向へ行ってしまったところをどう考えるかなーという感じがする。
本屋で本を物色しながら、何というか、読めそうな本、手を出せそうな本が増えたなという感じが自分の中である。これは宮崎アニメに開眼した時にはあまりなかったことで、エヴァの持つ世界観を理解することによって読めるようになる作品がかなりあるということなんだろうなと思う。良くも悪くも、それだけ影響力を持っている作品なんだなと思う。エヴァ以前、エヴァ以後で、たぶん何かが大きく変わった。ビートルズ以前、ビートルズ以後の音楽のように。
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