書く理由

Posted at 11/10/23

【書く理由】

昨日帰京。夜少しアクシデントがあってからだが心配だったのだが、今朝起きてしばらくしてまあだいたい大丈夫そうなのでよかった。起きるときにいろいろなことを考えて頭の中を掘り起こしていく。自分の本心の分からない部分を掘り起こしたり、自分の決意の中身を点検したり。いつもはモーニングページに書くことをA4の普通の紙に書き出したら5枚になった。後でもう一度書き直してまとめておこうと思う。

創作のほうはなかなかその世界に入れずに困っていたのだけど、紙に書いたものをモーニングページのノートに書き直していたらものを書く世界に戻ってこれて、それで話の先を少し書けた。まあ確かにかきにくいところに差し掛かっているのであんまり進まない感じはあるが、少しずつ通過していければまあいいんだと思う。

昼過ぎにローソンへ行って明太子スパゲティとりんごを買って帰ってくる。なぜかローソンのスパゲティというのは時々食べたくなるときがある。りんごも、コンビニで売ってる105円のりんごと言うのはどんな味なんだろうと思ったけど、わりとおいしかった。

食後、本を買いに出かける。丸善の丸の内本店へ行って『ユリイカ』の「魔法少女まどか☆マギカ」特集と、鈴木敏夫『ジブリの哲学』(岩波書店、2011)、堀井憲一郎『今すぐ書け、の文章法』(ちくま新書、2011)の三冊を買った。『木造迷宮』6巻についてツイートをみた覚えがあったので探したのだが、まだ出てないみたいだった。

喫茶店に寄ろうかと思ったが、小説の続きを書きたい気持ちのほうが先に立って結局家へ戻って少し書いた。そこに友達から電話がかかってきて東京駅で会うことになり、また丸善丸の内店へ行って4階のカフェで話し込んだ。9時閉店で場所を新丸ビル地下に変えて10時まで話して、駅で見送って分かれた。

いろいろ話をしたけど、今のようにものを書くようになったきっかけを思い出した。98年に離婚して99年に仕事をやめ、そのときは今まで出来なかったことをやろうと思ったのだけど身体は変調をきたすし何をやっても身体も心も痛んでいくばかりという感じになっていて、出口が見えない状態だったころにインターネットに詩のホームページを作ると言うことを思いつき、それに打ち込んでいるうちにその関係でやり取りする人ができたり、自分の書いた詩を中学生が読んで気に入ってくれて文化祭で群読してくれたりした。すごくパーソナルなものとして書いていたのだけど多くの人に読んでもらって(とはいっても当時は一日のアクセスが30あればいい感じだった。今昔の感がある)読まれていると言うことを意識し始めたころ、書けなくなった。

パーソナルなものだからこそ、自分の心に触れる詩を書けたわけだけど、心の動く部分が変わってきたと言うことなのだろうか、詩が書けなくなった。それからもう一つは、どんなにがんばってもなかなかサイトのアクセスが伸びないということも悩みの種だった。その中で見つけたのがReadMe!であり日記猿人であったのだけど、「人に読んでもらう日記を書く」という今まで考えたこともないようなジャンルが多くのアクセスがあって、一日300とか500とか当時の私としては夢のようなアクセスを獲ているのをみて、見よう見まねで日記を書き始めたのだった。

日記は幸いなことにだんだんアクセスが伸びていき、また投票制度があった日記猿人の得票数もだんだん伸びていった。まあそのあといろいろな経緯があって今に至るのだが、日記だけでは満足できなくなっていろいろなものを試したけれども、今では小説を書くことが自分にとって最大の目標と言うか課題と言うか、として持って書いている。

今日友人と話していて思い出したのだが、離婚し仕事をやめて、本当に自分がしたいことが出来ると思ったのに、何をやっても自分の中に開いた大きな穴が塞がらずにすごくあせったのだ。まあ今考えるとそれが分かると言うことなのだけど。結婚生活は相手のことを考えるし、学校の仕事は生徒のことや同僚のことを考えながらする仕事だから、いずれにしても「自分のためだけの自分のやりたいこと」では今までやっていたことの代わりにするにはどうしても埋まらないものがあったんだなと今では思う。それをどうにかして生めようと苦しみあがき続けて、つかんだのが「書く」と言うことだったんだと。それからいろいろなものを書いたけれども、本当に没頭できるのは小説を書いているときだ。書きかたがだんだん分かってきたからそんなことがいえるのだろうけど、小説は同時にいろいろなことを考えながら書かなければいけないから、その全体性が自分の中を掘り起こし、いろいろなものを生み出しながらいろいろなものを見つけていける、そういうところが実は詩や評論よりも自分に合っているのではないかと思うようになってきた。小説を書いていると、埋まるのだ。

自分がなぜ小説を書いているのか、あれ?見たいな時があったのだけど、それはいやなことや悔しいことはあまり考えないようにしているうちに記憶がどこかにいってしまう、という訓練の結果、いやな時代に起源を持つこの「書く」という営為の「不幸な生い立ち」みたいなものを意識したくなかったからなんだろうなと思う。

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