友達の家を訪ねる/身体や場を護る言葉を書く、物語を書く

Posted at 11/10/04

【友達の家を訪ねる/身体や場を護る言葉を書く、物語を書く】

昨日。午後までかかって何とかブログを書いた後、友人の家へ出かける。ついたのはもう5時ごろになっていた。そこで友人と友人の娘と話をし、亡くなった人にお経を上げ、ご飯をいただいたりして10時ごろ帰った。

12DR-CV01-CM/2012マークス手帳【B6変型バーチカル】グラン・ド・パリ/キャメル
マークス
マークス

友人ともいろいろな話をしたが、大学生の娘と手帳の話とかヨーロッパの旅行の話とかで盛り上がって、自分の中には相変わらず20代前半くらいの人と一番話が合う部分がけっこう大きくあるなあと久しぶりに思った。デザイン重視だとヨーロッパの手帳になるのだけど、ヨーロッパの手帳は夜や土日のスケジュールを書き込みにくくなっているのだ。だからこういうのを使ってるよ、と自分のスケジュール帳を見せたり、デザインからいえばモレスキンもいいけどフランスのクォ・バディスもいいよ、と言うような話をしたり。(毎年使ってるマークスの手帳、amazonには四色しかないがほかにもあると思うのだけど)

European Rail Timetable Winter 2011/12: Special Seasonal Editions of Our Hugely Popular European Timetable
Thomas Cook Pubns

ヨーロッパの旅行の話はユーレイルパスとかトマスクックのタイムテーブルとか80年代はコンチネントの旅行に必須だったアイテムの話をしたらけっこう新鮮だったらしい。ネットは何でも調べられるけどピンポイントになっちゃうからね、とか。いろいろ質問されたりすると話すのが楽しい。

友人とは、観音経っていいお経だねとか、まあ亡くなった人に関連する話が多かったけど、でも最近思っていることとかはどうしてもそういうものが多いので、そういう話題になる。

亡くなった人にお経を読んであげようと思って十句観音経を半紙に書いてもっていって読んだのだけど、そのときに「自分で作ったお経?」と言われてそうじゃないけど、とこたえて、そうだな、自分でお経――つまり身や場を守る力のある詞(ことば)――を自分で書けばいいんだ、と思った。あるお経やある言葉に、共感はするけど完全に納得すると言うわけでもないし、また理解ができない部分もあるわけだし、もちろんそれを学びながら折に触れて理解していくことは大切なことだけど、でもやはり、自分はそういう人を救うような力を持った言葉が書ければいいなと思っているのだから、そういうものを書くことは大事なことだと思った。たとえばいろいろな学校の校歌とか、あるいは日本という国全体のテーゼであった教育勅語とか、ああいう言葉は今でも力強く人を揺り動かすところがあるわけで、自分の信じる言葉を書くことで自分の信もまた深め、強くしていかなければいけないなと思った。

亡くなった人に最後にお線香を上げてお暇するとき、俺なんかを含めて読んだらみんなが救済されるような物語を書いてくださいよ、と声をかけられた気がした。必ず書くよ、と心の中で答えた。

帰りの横須賀線の中、iPhoneでフジコ・ヘミングのピアノを聴いた。

雨だれ
フジ子・ヘミング
ユニバーサルミュージック

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday