自分を救ってくれるもの/『2cellos』/古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』

Posted at 11/10/14

【自分を救ってくれるもの】

頭の中がまだ整理されたとはいかないが、からだの底の方からの整理は少しは進んでいるように思われる。しかし問題は運動不足。もう少しからだを使わないといけないな。これからの季節、大分冷え込んで来るのでまた体が硬くなって腰痛や首痛、肩痛や背中痛、腕痛指痛いろいろ起こってきそうだ。問題は下半身を使っていないので上半身に力が変に入ることにあるんだなと最近感じている。まずは歩くことだと思うのだけど、敢えて歩かないとなかなか歩かない。特に田舎にいるときは。

気持ちの整理というか、自分の人生のとらえ直しを子どものころのことから系統的にではないけど思い出したりしていて、何かもやもやの海に沈んだところがあったけど、まあそういうときも昔のように這いあがれないような、コールタールの海ではなくて、もっと澄んだ流れのあるきれいな水の中でぼーっと空に浮かぶ白い月を眺めているような感じだった。自分の中にあるトラウマがなくなるわけではないのだけど、でも傷は引きつれにはなってはいるかもしれないけど癒されているんだなと思う。

自分の創作のことについても考えていたりしたのだけど、結局一番自分にとって大事なのは生きることそのもので、その生きることが危なくなるのには二種類あって、精神的に危なくなることと物理的に危ないことがあるわけだけど、物理的に危ないのは年をとってきたり、あるいは幼くて力が十分にないとき、もちろん他にも事故にあったり病気になったりのときはあるけど、基本的にはそういう危ない時期がテーマになりやすいわけで、その中で暖かい雰囲気をもって書けそうでしかも自分にとって魅力的な時代というのが12~3歳くらいの時期なんだなと思った。

精神的な危機というのはいつ来てもおかしくないわけだし、まあ私には大波だけでも何度もそういう時期があったし小さな波では数日おきだったり一日の中でもあったりする。もちろん危機というほどのことではなくて何となく嫌だなと思ったりする程度のことも含めてだけど。

書き始めて最初のころは、そういう精神的な波の落ち切ったときのことをどう書くかというのが中心になっていて、でもそう言う状態が何によって救われるのか、ということに不連続ではあるけど関心が移って行ったのだなと思う。そうだな、そういう意味では、絶望の底にいるときには何か救いになるもののヒントのようなものが本当は見えているんだな、と思った。それは近くにいる「人」なのだろうか、それとも目に見えない何かの「力」なのだろうか、それとも自分の中にある何らかの「決意」なんだろうか、というようなことを考えるでもなく無意識の中に作品に表現していたんだなと思う。

そういうときにある日突然救世主のように現れたキャラクターがあって、それが自分の作風をがらっと変えた。それは去年の9月のことだったように思う。その短編のあと2作品、子ども時代を舞台にしたファンタジーを書いた。今度の作品は最初は大人を主人公にしたものを書こうと思っていたのだけどまた子どもが主人公になるかもしれないなという気がしてきた。まだ細かいところが詰まってないけど、運とか運命とかそういうものを話の筋に据えたストーリーを考えている。

私は子どもらしい子どもでなく、兄らしい兄でもなく、点数はとれても優等生ではなく、高校に入るまで本当に心の底から話ができる友達もなくて、特に中学生のときは考えることは実行できず、人に思いを伝えることもできなくて、病気がちで、不得意科目もできて、何かいろいろそんなだった。その頃ギターを覚えて、美術に目覚めて、歴史を好きになって、ビートルズを聴いて、子どものころとは違う思春期の憧れをもつようになったけど、半分子ども時代のファンタジーの中にも住んでて、何度も何度も繰り返してナルニア物語を読んでいた。

そうだな、私は「らしい」ことができなかったから、「らしい」物に対する反発もあるし、「らしい」ふるまいをすることへの憧れもある。自分に素直であったから、「いわゆる素直」な子どもではなかった。

ああ、何かそういうことを考えているとまた滞って来る部分があるな。まあとにかく、中学生の時期が自分にとって最大の危機、それは精神的に、だけではなく物理的にも社会的にも、だったから、どうしてもその時代の切実さに帰ってきてしまうところがある。

もう一つは世紀の変わり目前後、教員をやめる前の危機とやめた後の危機、というあたり。この時期のことはまだ生々しいので完全に突き放し切れていないところもある。今振り返ってみると、この時期の危機の最大の原因は人間不信だったなと思う。私はいろいろな場面や局面、ないしはけっこう精神的に人として大事なところまで実は人に頼っている部分がどうもあるようで、そこでいやなものを見たり感じたり、まあ他にもいろいろあるけどそういうものに出会うとものすごく大きなダメージを受けるところがある。ちゃんと観察してこの人に期待すると絶対傷つく、と分かっていても自分勝手な期待をもって何倍も傷ついてしまうというようなことがよくあったなと思う。

今回いろいろ振り返ってみて、自分は暖かい空気をつくりたい、そういう作品を書きたいと思っている、というかそれがポイントだったり持ち味に近いものだと思ったのだけど、温かくあるためには強くなければいけないんだなと思った。まあ昔から脾弱な子どもだと言われていて、それでも頑固に自分の思うところを変えないで、でもわりところっと変なものに引っ掛かったりもする、特に権威とか条理とかで説かれると弱いというところがあって、権威とか条理とか本当に信用ならないなと今でも思いつつ、それでもまあ引っ掛かったりはする。そういうものを疑える強さとか、自分が正しいと思うことを通す強さのようなものを、桜井章一を読んでいるとこういうことなんだなと思うことがわりとあって、だから彼の本に魅かれるところがあるんだなと思う。彼は本当に反権威だし反理屈みたいなところがあるので自分のような人間にはすごく受け入れにくいところがあるのだけど、でもその言葉に徹底的に付き合ってみるとああそういうことなんだなと分かり、なるほどなあと思えて来るんだなと今回思った。真剣に徹底的にその言葉に付き合わないと分からない本、分からないことというのはあるなと思う。

こういうことを言葉にして行くのはたいへんだなと思う。また少しずつ書いて行きたいと思う。


【2Cellos】

2CELLOS(初回生産限定盤)(DVD付)
2cellos
SMJ

昨日の午前中、ものを考えていてどうもうまく進行しなくなって、車で書店に出かけた。この書店には書籍・雑誌だけでなく文房具やCD、雑貨や輸入チョコレートなども置いてあって、いろいろ面白い。ドイツ製?の動物の模型なんかも売っていて、うちにはキタキツネとシマウマがやってきている。本を探したけどほしいのがなくて、今は読みたいよりも書きたいんだなということに気づいて帰ろうとしたとき、CDのコーナーで「2Cellos」というグループの演奏が流れていて、これがとてもよかったので買った。さっそくカーステレオに入れてきいてみたが、これは本当に気持ちいい。運転時はしばらくこれで行こうと思った。ブログを書くためにiPhoneで少し調べてみると、クロアチアのチェリスト二人組でロンドンに留学した本格的なチェリストたちなのだという。YouTubeに投稿した動画が爆発的に受けてすぐにレコード会社と契約してデビューということになったらしく、レディ・ガガと似たパターンらしい。インターネットではこういう衝撃的なグループはあっという間に評価されるから面白いなと思う。チェロ二本ということで言語も関係ないし、なかなか楽しみなグループだと思った。


【古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』】

絶望の国の幸福な若者たち
古市憲寿
講談社

最初は芸としては面白いが言ってる内容はどうなのと思いながら読んでいたのだが、124/301ページまで読んで「若者論の変遷」(というか何度でも焼きなおされて立ちあがってくるゾンビのようなさま)がうまくまとめられているし、現代の20―30代の若者たちについて自分が実感として持っている理解にけっこう近い線でまとまってきて、むしろ「嫌消費」であるとか「内向き」であるとかの流行りの若者批判が必ずしも的を射ていないことがだんだん見えてきて面白いなと思えてきた。左翼臭かったり大人をからかって喜ぶ悪ふざけに近いようなところは上野千鶴子や小熊英二、あと誰かな、とにかくそういう人たちの悪影響だなと思うところもあるのだけど、まあ基本そういうところはほっといていいので、集められている興味深いデータやわりと真摯で真っ当な分析の部分に着目するといいと思う。

世代別の生活満足度が2010年の20代が65%以上が満足と答えているという事実の提示がこの本を買ったきっかけになった衝撃だったわけだけど、まあ不況の先の見えない時代、将来が分からないときの方が「今は満足だよ」と考える傾向にある、という分析はまあそんなものかなと思う。

でも何となく自分の属する世代、つまり90年の20代、2001年の30代、2010年の40代、つまりほぼ1960年代生まれの世代の満足度を追ってみると、90年も2001年も2010年も55%前後でほとんど変化していないのだ。ひと世代上の80年の20代を追ってみると、最初は55%弱だったのがだんだん落ちて50%ぎりぎりになったり、さらにひと世代上の70年の20代(1940年代生まれ、団塊世代が含まれる)を追いかけてみると70年に52%くらい、30代の80年に48%と全調査年全世代中最低を記録し(革命に夢破れたということか)、40代の90年になると56%と急上昇して(バブルの夢に浮かれたか)、50代の2001年には53%に下がり(リストラの影響?)、60代の2010年には65%とわけもなく急上昇して、「逃げ切った」と思ってるのかな、みたいな感じになっている。

まあこの本では基本的に若者論なのでこういう世代論の部分は自分の立論に有利なところしか引いてないのかなという気はするが、世代ごとの個性のようなものは割とくっきり表れているんじゃないかと思う。2010年の30代は2001年の20代から65%→59%と一気に低下しているので、2010年の20代が2020年にはどういう結果として現れているのかはわりとコワイ感じはある。

古市は「世代論が目立つようになったのは、階級論がリアリティを失ったからだ」と言っていて、これはまあその部分に関してはなるほどと思うのだけど、世代論そのものが意味のあるものなのか眉唾ものなのかについて、もう少し考察してくれるといいんだがなあと思った。自分としては、やはり戦中派だとか戦後派だとかオールドリベラリスト世代とか、そういう世代論はある程度的を射ているところもあると思う。まあ確かに古い時代になると階級的に限定される要素を加味すべきだとは思うが。世代分析についてはまだ読んでいる途中なのでこれから出て来ることなのかもしれない。2010年の20代の特徴みたいなものについて書かれてもいるわけだから、やはりこれは結局は世代論ととらえてもいいのかもしれないし、まあ読みかけで判断しても仕方ないか。

今までのところですごく印象に残ったのは、今の若者にとって「仲間」が大事だという指摘で、これもすごく自分の世代とは違うなあという印象が普段からあったのでなるほどそうなんだ、と思った。80年代の若者というのは基本的に友達はいるけど仲間との結びつきはどうか、という感じがあって、バンドなんかでもしょっちゅう離合集散を繰り返して上を目指すのが当たり前だったし、まあ仲間というよりはライバルで、相手を評価しあって友達になる、みたいな感じな部分があったような気がする。今の若い子を見てるとわりとべったりでその辺ふうんと思うのだけど、まあ仲間といるときに幸せを感じると答えた割合が高いというのは群れる動物としての人間としては生物的にも自然な感じはする。そういう意味では我々40代の方がある意味いつも肩に力が入って不自然だというべきなんだろうなという気はする。まあ我々から見ると若い子の力の抜け方は異常に見えるんだけどね。

でもなんというか、「家族」とか「仲間」というのは、多分これからの時代のキーワードになってくんじゃないかなという予感はある。アメリカ映画とかで「家族」が強調されていた時期があってあれはあれで違和感があったのだけど、「仲間」という存在がそれに加わるとわりとすんなりとくる。我々なんかは「人間は本質的に孤独だ」と思ってる世代なので(いや自分の周りの人はそういう感じの人が多いというだけかもしれないが)何というかある意味目が覚めるような感じがした。

まあそういうわけで、わりと人間というものの理解について面白いなと思うところがあって、この本けっこうお勧めかもしれない。でもわざと若者に食べやすく、上の世代に食べにくく作ってあるので、反発する人はけっこういるだろうなと思う。上にも書いたが食べにくいところはパンの耳みたいに捨てて構わないと思う。パンの耳が好きな人、書いてあることは吸収しないともったいないと思う人はもちろん食べてもかまわないけど。いや、パンの耳だともったいなすぎるかな。ナスのヘタくらいにしておくか。

というところまで書いてまた読み続け、いま176ページまで来たが、正統的?左翼的な言説の割合がかなり上がり、保守系デモに対する生温かい揶揄が続いて読んでいてさすがにそれはどうかと思いだしたが、まあでもその書き方の中に「彼の現在」の限界のようなものがあるということではあって、逆に言えば正直にそういうものをさらけ出しているところが若いということなのかもしれない。ただ、保守系デモに参加した自称普通の女性が着物を着て歩いていることに、「最近ではなかなか見かけない「普通」である」と揶揄しているが、若い人が成人式でもないのに「普通に」着物を着て歩くという風俗自体がむしろ「最近のこと」だとしか私には思えないし、なんだか60くらいのおっさんが面白がってるようなセンスを感じた。読んでるうちにかなり年寄りくさい印象が鼻についてきたが、まあこういう左翼の正統みたいな(とはいっても世代を追うごとに変なデフォルメが進んできている気はするが)ことを滔々と述べる若手学者がいるということがそれこそ65年の戦後民主主義の成果ではあるんだろうなと思う。保守系の運動もやはり二の矢三の矢や、インテリゲンチャも巻き込むような強度をもった構造を構成できる人材には不足しているので、惰性的にでもそういう人材を生みだせる左翼はやっぱ相変わらず強いなとは思う。

まあ以前は割とこういうことにも一生懸命になったが、創作という観点からするとすごく観念的でばかばかしいことがけっこう多いので、あんまり考える気はなくなってきた。そういう志をもった日本立てなおしの人材が輩出することを祈るというどうにも他力本願の姿勢は自分のやりたいことを優先するとどうしてもそうはなるなと思う。

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