香川照之の歌舞伎界「復帰」/アンジェラ・アキ『White』/ダルビッシュ17勝、武田久通算100セーブ/世界は動いている/作品の根本にあるもの/危ないところに
Posted at 11/09/30 PermaLink» Comment(2)» Tweet
【朝から忙しい】
朝からいろいろ忙しい。そうか今日は赤口か。坂の上に上るデイだからな。ちょっと迷惑な話があっていらいらしているところがあるが、まあ色々なことがあるよ世の中は、ということで。
朝食前に職場に出てごみを処理しに行ったときにはスムーズに運転できたのだが、朝食後少し用事を済ませようと銀行へ出かけると何箇所も工事で通行止めになっていて普段通らないルートを考えながら進む破目になる。銀行から信金へ、それからドラッグストアに行ってティッシュとゴミ袋を買う。10時前だからどうかと思ったけどもう開いていて助かった。でもずいぶん時間をつぶしてしまったな。
【香川照之の歌舞伎界「復帰」】
昨日からいろいろ盛り上がっていることがあって、今日はそれを書こうと思っていたのだけど、朝のうちにいろいろあって何だか気勢がそがれたところがある。とはいってもやはり何度考えてもすごいなと思うのだけど、香川照之が歌舞伎に進出?するというニュース。九代目市川中車を襲名するという。中車というのはいい名跡だと思っていたので襲名する人がないのは残念だなと思っていたのだが、まさか香川照之が襲名するとは意外中の意外だった。
彼は大学で、たぶん三つ下になる。猿之助と浜木綿子の息子が入って来るんだってよ、と芝居仲間の中で話題になり、後輩が「劇団に誘ってみます」と言ったりしたのだけど、図書館前で見かけた彼はクールというか、「おれには関係ないぜ」的なオーラを周りに撒き散らしているような人で、ちょっとこれはだめだなと思った覚えがある。しかし後輩がもらってきた芝居のチケットに「浜扱い」というスタンプが押してあっておお、業界人なんだなやっぱり、と思ったことがあった。
次に彼を認識したのは中国映画『日本鬼子』に日本兵役で出演したというのを『ぴあ』か何かで読んだ時だ。演技の道に入ったということが大学のときの印象からしたら不思議だったのだが、なにしろ「南京「虐殺」を悔いる日本兵」というとんでもない役であり、私の彼に対するマイナスイメージは千倍くらいに強化された。それ以来彼の活躍が巷間伝えられても「おれはいいよ」という感じでほとんど見ていない。唯一の例外が『坂の上の雲』の正岡子規役だ。緻密な演技をする、うまい役者だし、何か間違いなく天成のものをもっている人だとは思ったけれども、まあ印象があまりよくないのは変わらなかった。
次に認識したのは本屋で彼の著書を立ち読みした時だ。猿之助との間に確執がある、というのを読んで、万が一にでも彼が4代目の猿之助を継げばそれはそれで面白いのにと思っていたのが、ああそれは無理な話なんだなと思った。そんなわけで、私にとっては香川照之というのは「不愉快だけどうまい役者」ないしは「うまい役者だけど見たくない役者」という位置づけであり続けたのだった。
だから何というか、今回のニュースは何重にも自分の中では驚きがある。まず最初に、来年6月の新橋演舞場の先々代猿之助の追善興行に彼が出演するというのを読んで、一時的なものなんだろうと思ってでも見たいなと思っていたのだが、昨日ある方のブログで今年から猿之助と同居しているというのを読んでものすごく驚き、ニュースを調べて一昨日の一連の報道を知った。2003年に脳梗塞に倒れ、浜のあとのパートナーであった藤間紫に先立たれた猿之助と和解したということが最大の驚きだったが、猿之助が祖父の名跡猿翁を継ぎ、甥である亀冶郎が四代目猿之助を継いで、香川の息子が猿之助の初名である団子を継いで、香川は九代目市川中車を襲名して46歳で歌舞伎デビューをするというのだから驚いたのなんの。
さっきまでいろいろネットで公開されている情報をiPhoneで読んでいたのだが、確執のあった猿之助と香川を取り持ったのが藤間紫だったというのを読んでなるほどなあと思った。猿之助が楽屋に訪ねてきた香川を「おれの子じゃない」と拒絶したという話は香川の著書でも読んだ覚えがあるが、猿之助としても「おれの子じゃない」というよりは「お前の父である資格がない」ということもあるんじゃないかと思った。それは一人で香川を育てた浜木綿子への思いやりでもあったのではないだろうか。そして80年代から90年代にかけて八面六臂の活躍をした猿之助が、近年は立て続けに不幸に見舞われていて、ストーカーに付きまとわれたり病気で倒れたり、彼の始めたケレン重視の見た眼に面白い歌舞伎は途切れてしまうのかと思っていたが、あえて生さぬ仲である香川と猿之助のあいだを取り持とうとした藤間紫は本当に猿之助のことを思っていたのだなと思ったりする。
そうなると一番気になるのは浜木綿子の思いということになるけれども、香川が今日あるのは両親の七光りでは全くなく(スタートはそうでもなかったようだけど)、両親の名前など必要ないくらいの実績を上げたからであり、だからこそ浜も香川の選択を受け入れる気になったのだと思う。昨日の記者会見では猿之助が「浜さんありがとう、ありがとう」と言っていたそうだけど、本当に浜の深い理解がなければありえないことだっただろう。何かそのあたりの人間ドラマを思うと目が回る感じがする。
歌舞伎は市川中車で、そのほかは香川照之で活動するというのも歌舞伎の伝統から言えば本当に異例のことだ。それはもちろん、香川が俳優として名実ともに第一人者と言っておかしくない位置にいるからのことだろう。歌舞伎俳優は日本俳優協会に所属し、そして少数の例外を除いて松竹の専属だ。香川のポジションからしてそういう形になるのは難しいだろうし、だからこそ松竹も例外を認めたのだろう。映画もテレビも今や香川がいなければ成り立たない貴重な存在だし、それが歌舞伎に「帰って」来るというのは歌舞伎界にとってもある種の僥倖であろうからだ。
それにしても四五歳から歌舞伎俳優になるというのは並大抵のことではない。猿之助を襲名しなかったというのは賢明なことだ。歌舞伎の動きの基本は日本舞踊だし発声の基本は長唄や清元だ。浜の息子として育った香川がどれだけの素養を幼いうちに身につけているのかは分からないが、他の梨園の御曹司たちとはやはり違うだろう。それに歌舞伎界独特の封建的な人間関係や制度、しきたり。なまじ外の世界から入るだけに、かなりの風当たりもあるだろう。そして多くの猿之助の一門や弟子たちとの関わり。猿之助の母・高杉早苗の墓所で偶然会ったという新・猿之助となる亀冶郎とは親交があると言うが、中車という大きな名跡を継ぐ以上、いろいろなことが要求されて来るに違いない。香川本人はともかく、彼の奥さんもまた大変だろうと思う。
今回いろいろ彼に関わることを読んで、20代の頃の彼は完全に世の中に対して斜に構えていたというか、やりたいこともなく、親もやってるんだし役者くらいできるだろうというスタンスで、生来の器用さで役をこなしていたらしいが、三島の影響で世界の破滅を信じていたというから、私が学生時代に見た彼の印象そのままで、あんな奴に芝居なんて出来るもんかと思った自分の感覚はそんなに違ってなかったんだなと思った。むしろすごいと思うのはそこからの役者としての脱皮ぶりであって、インタビューを読むと「日本鬼子」もまた大きなターニングポイントになったようだけど、『静かなるドン』に出演した時に監督に100回NGを出されたという話もなるほどなあと思わされるものがあった。緻密でありながら、演技であるのかないのかの境目を、鬼気迫る勢いで演じきるところが正岡子規役にはあって、やはり反感をもっている私ですら関心をもたざるを得ないようなところが彼の演技にはあったのだけど、それは誰が何と言おうと、やはり一つには役者の血はある。天成の演技者であるという要素が彼にはある。しかしそれがさまざまな要因によって封印されていて、しかしその呪いを彼はひとつひとつ解いて行ったのではないかと思う。
しかし面白いなと思うのは、そこに香川自身の自発的な意思があまり感じられないということだ。彼の転身は、何というかいつもとても受け身的なものを感じる。オファーがあれば、今までやったことのない役であっても、そのオファーの意味を考えて、まず断らないのだそうだ。向こうからやってくるものに対応して、それで向こうの意図以上の結果を出す。相撲で言えば横綱相撲、後の先だ。東大卒業後役者を選んだのは特にやりたいことがなかったからだというのも多くの役をもらえない役者志望の人たちから見たらふざけた話だと思うが、本人の冷笑的なスタンスや秘められた血の力に結局は見あった正しい選択だったのだろう。今回の選択や父との和解、そして歌舞伎界との和解も彼の意思というのはもちろんあるにしても何かしら運命的な色彩の方が強いような気がする。多分彼にはほかの選択肢はなかったのではないだろうか。
いろいろ書いてきたが、彼の歌舞伎界「復帰」は、歌舞伎のみならず日本の舞台芸術、映像芸術全体にとても大きなインパクトを与え、進路を変えていくほどの影響を与えることになるのではないかという気がする。とても大きな渦の動きのようなものを感じている。
【アンジェラ・アキ「White」】
WHITE(初回生産限定盤)(DVD付) | |
アンジェラ・アキ | |
ERJ |
アンジェラ・アキのニューアルバム『WHITE』をamazonに注文してあったのが届いて、昨日寝る前に聞いた。寝る前一時間は余白の時間としてなにもしないことにしているのだけど、音楽を聴くならいいだろうと思ってきいてみたのだが、結果的にはどうだったか。
彼女の音楽は今思うと自分が一番落ちていた2006年ごろ、一つの救いになったものだった。ちょうど『HOME』でメジャーデビューするというのをamazonのサイトで読んでどんなものかきいてみようと思う気になって注文したのだが、結果的には何十回も聞くことになったアルバムだった。いまでも彼女のアルバムでは一番身近に感じるものだ。そこにあるのは「たましいの哀しみ」と言ったもので、彼女のピアノと彼女の声はそういうものを歌い上げるのに最も適したものだったと思う。「Home」「Rain」「This Love」。どれも奇跡の声のように聴いていた。その後彼女のアルバムは全部買っていたが、だんだん余り好きでないタイプの曲が増えて行った。何というか女の子向けの人生応援歌的なものが、どうしても鼻についてしまう。「サクラ色」はとても好きだったし、「モラルの葬式」は他の誰に作れるのだろうと思うような曲で、こっちの方向に行ってほしいなと思っていたのだけど、全然そうはいかなかった。彼女の曲で最後に心に響いたのは「ダリア」で、やはりこれは悲しみを歌った曲だった。彼女はそういう曲を「卒業」しようとしているのだろうか。それは聴き手にとっては残念なことだが、彼女の選択であるから仕方がないと言えば仕方がない。
「ダリア」の入った『ANSWER』は何度も聞いたが、次の『LIFE』は買ったときに一度聴いただけだ。この『WHITE』も聞き返すことはあるのだろうか。自分の曲のカバーが二曲あって、それが「HOME」と「モラルの葬式」なのだが、その評価はいいと思うのだけどなぜこの曲なのかはあまりよくわからない。他の人のカバーが「津軽海峡冬景色」と「HONESTY」で、インディーズで出した『ONE』に収録されたボズ・スキャッグスの「We are all alone」を思い出した。いろいろ懐かしい思いにはなったけれども、なぜこれなのかというのが私にはよくわからない。他の新しい曲はどうも何というか説教臭いというか、私の彼女の好きじゃない曲のパターンのものが多くて、どうもあんまり聞きたい感じがしなかった。これは「手紙」がヒットしてしまった一つの副作用なのかもしれないなとは思う。私も「手紙」は嫌いじゃないけど、そんなにすごくいいとは思わないし、彼女がこっちの方へ行ってしまったら残念だなという感じの曲ではあった。そして、どうもそういう方向へ行ってしまっているんだなあと思う。
クリエイターが新しいものを作るときの選択というのは孤独なもので、誰も結局は関わることはできない。その中で下した結論によって、今までのファンが離れて行ってしまうことは珍しいことではない。「いつかまた自分の聞きたい曲をやってくれるのではないか」という期待が彼女にはあるのだけど、それはまあほんとに長い目で気長に待つしかないんだろうなと思う。お母さんになったアンジェラがどんな曲を書くのか、また次回作に期待したいと思う。
そうだ、一つだけ聴きたい曲があった。これもカバーだけど、「Grand father's clock」つまり「おじいさんの古時計」だ。この曲はアンジェラの声で歌われるととてもいい。
【ダルビッシュ17勝、武田久通算100セーブ】
ここのところ連敗続きだったファイターズが、昨日は優勝マジック3になっているソフトバンクの本拠地福岡ヤフードームで、ダルビッシュの奪三振ショーと梨田監督が育てた若手の活躍で渾身の一勝を上げた。試合を見ることはできなかったけど、ネットで一球速報を見ながらツイッターのタグ #lovefighters を見たら、糸井の決勝打にみな叫んでいて、よし!と思った。あとで確かめると一塁に出塁した陽が二盗を決め、糸井のヒットで一気に生還したのだという。これは陽の気迫が糸井に乗り移って生んだ得点だなと思った。このところ好投しても勝ち星に恵まれなかったダルビッシュだが、これでようやく17勝目。ようやくと言っても両リーグトップなのだが。本塁打における西武の中村のようにぶっちぎりでハーラーダービーを走っていたのが急ブレーキがかかっていたけど、これをきっかけに残りは全部勝ってほしいなと思う。そしてその勢いでプレーオフでソフトバンクを倒し、梨田監督の最終年に悲願の日本シリーズ制覇を目指してほしいと思う。
【世界は動いている/作品の根本にあるもの】
ああ、今日は人のことばかり書いて自分の創作のこととかについて何にも考えてないな。雑用もたくさんあってなかなか片付かなくて面倒なのだけど、ちゃんと時間を確保してやることをやって行かないといけないなと思う。世界は動いている。昨日はいろいろな意味で、それを実感した感じがした。
香川には受けつがなければいけないものがあり、それは多分ずいぶん前から自覚していたのだろう。自分にそういうものがあるだろうかと思ってみると、それもまだあまりよくわからないところがある。彼のような明確なものではないけれども、自分の家系のようなものに受け継がれてきた何らかの理想のようなものがやはり自分にはある感じがするし、でもそれは多分、自分の代で花開かせなければならないものだと思うので、それをどうにかしたいという感じなんだなと思う。
教育と芸術、人を育てることと感動させること、世界を大きくすること。どちらも自分にとっては「自由」が大きなテーマになることだ。創造と破壊。人を覚醒させること。自分が覚醒しているかどうかが怪しい部分も多々あるが。その人らしさを引き出すこと。その人がその人の運命に目覚めること。その人の進むべき道を自覚させること。もちろんできるのはその触媒になることくらいなのだけど、変化が起こるべき時に触媒がなければ変化が起こらないということもあるから、その触媒たろうとするのが教育であり、その触媒を作品という形で用意するのが芸術なんだと私は思ってる。
運命というのは死生に関わること。「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」と孔子は言ったが、そういう意味では死生は一体であって、どう生きるかということはどう死ぬかということでもあるし、その問いに答える何かが芸術にはある。
言葉を信じていない、と谷川俊太郎は言ったというし、私も彼の作品には本当にそういうところが大きいなと思うのだけど、というか詩において言葉を信じるか信じないかというのは作品全体をどう成り立たせるかという根本にかかわることで彼が強いのは言葉を信じてないのに言葉を書けることだと思う。というか、言葉が言葉でないものを本当には絶対に伝えきれないということを谷川という人は知りぬいているということで、逆に言えばやはりそれでも伝わってしまう何かがあるということもまた詩の不思議ではある。本当に伝わる言葉はごく少数、すごく特権的なもので、宮澤賢治が言うように「まことの言葉はここになく 修羅の涙は土に降る」のであるけれども、それでも何かが伝わってしまうからこそ谷川の詩は日本の詩人の中で例外的に「売れる」わけだ。
香川が彼の詩を元にした映像作品に出演した時、香川は谷川の言葉を「言葉にならないものを言葉という少ない情報量にいかに仕込むかという作業がいつもあったはずだ」と解釈したのだという。だからそれは俳優も同じことで、俳優が演技にあたってどういう心の作業をしているのかということを、それは詩人が言葉に対して行っていることと全く同じことなのだということを谷川に訴えかけるつもりで全開にして演技をしたのだそうだ。それが正解かどうかはともかく、それをやってしまえるのはある意味香川だけなのではないかという気もするし、ただものではない。
ああ、また何かそっちの方に話が戻ってしまったが、結局いつも「この作品の原点はなんだろう」というところから演技を発想する香川の根本主義みたいなものがやっぱりなんだかすごいなという気がするし、自分もまたこの作品はこういうもの、と一言で言いきれるような作品の方が自分としては取り組みやすいということを確認したと言えばいいだろうか。本には何でも書いてあるということを知ったときの喜びとか、自分にとっての理想の初恋とはこういうものだとか、自分が本当の自分に気づく瞬間とか、そんなことがうまくテーマとして決まるとネタは向こうから来る、と言ってもいい。そういう自分の原点みたいなことを確認しながら、毎日取り組んで行こうと思う。
【危ないところに】
このブログを書いていたせいなのかどうかは今いち定かではないけれども、書き終わって案内のはがきなどを印刷していたらだんだん頭の動きと胃の動きが変になってきてしまい、昼食をとりにキッチンへ降りたときに耐えられなくなってしまって活元運動をしてみたり脚湯をしてみたり肘湯をしてみたりして何とか昼食は食べられたが、部屋へ戻って昼食前の続きをしようとしたらまた変なものが降りてきてツイッターでそういうことを漏らしたりして御心配をかけた。
何か特効薬がないかと探してルービンシュタイン演奏のショパンのポロネーズ5番を聴いていたらだんだんおさまってきた。続いて6番、7番。出かける時間になったのでフジコ・ヘミングを一枚もってカーステレオで聞きながらまずセブンイレブンへ行って甘いものを買い、職場に出てから食べた。
ショパン:ポロネーズ全曲 | |
ルービンシュタイン(アルトゥール) | |
BMGインターナショナル |
精神的に危ないところへ行くというのは若いころから時々あったことだけど、その時その時で全然違うのが不思議な感じがする。そのことについてあとで感じる怖さというのもまた違うし、しばらく前などは危機と言ってもすごく表面的なところでのパニックという感じだったけど、今回のはだいぶ深いところに来た感じで、やはり上に書いたような香川照之の毒に充てられたというのが一番正解ではないかと思う。
精神的に追いつめられたときにどうするか、と言うので「人のためになることをしなさい」というアドバイスがあったのを思い出したけど、やってみようと思ったけど「無理」と思った。それこそ『魔法少女まどか☆マギカ』のさやかみたいになりそうな気がした。
こういうとき、わりと(生業である)仕事のことに関することをやるとしゃんとしてくることがあって、営業時間に頭が混乱するということはまずない。(難しい問題に頭がパンクしそうになることはないことはないが、精神的にはまず影響は出ない)ということを考えてみると、仕事というのは自分の生活のために他の人に役に立つことをやることであって、考えてみたら人のためになることをやっているのだなということに思い当った。
自分の中にある狂気の陰影みたいなものは、たぶん正気や集中やそういう通常よいもの、善なるものとされているものに光があたってできるもので、まど☆マギではないが希望と呪いの総量は同じ、みたいな善なるものとその陰影とは同じくらい生じているのだろうと思う。まあ私などは精神的にそういうものが出なければ肉体的にどこかがおかしいという形で出てきたりもするし、まあ人間全体としてバランスをとりながら鬱散させたり集注したり気の方向を転換させたりして、あんまり正気でありすぎたり集中しすぎたりしない方がいいのだと思う。そのあとでちゃんと鬱散させられたら別によいのだが、今のところ私はあんまり上手じゃないなあと思う。
まあとりあえず今日の一日はなるべく静かに過ごすことが希望。
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"香川照之の歌舞伎界「復帰」/アンジェラ・アキ『White』/ダルビッシュ17勝、武田久通算100セーブ/世界は動いている/作品の根本にあるもの/危ないところに"へのコメント
CommentData » Posted by Riezon at 11/10/01
こんにちは。先日の松本出のものです。。コメントありがとうございました。諏訪の方だったのですね。。勘違いというか思い込み、失礼致しました。そして又ちょっと拝読しました。私は、数年前のとある出来事から、生きること。をそれまで以上にいろいろ考えるようになってしまいました。やはり、日々の仕事がないとバランスを保てないときがあります。名前に「理」なんてつけてもらったせいか、育った環境や学んだ場所のせいか、いつものまにか何かと「理」にこだわるようなところがあり、つい万、頭のほうで受けとめがちです。最近思うのですが、言葉を得たいなら、言葉を見限らなくては得たい表現得れないような気がしてきました。こんなことを又ガチガチ頑なに確信してはいけないないのでしょうが、、、。私など例外どころではなく、まさにピンポイントなのですが・・・人の一生って、なんだかとっても滑稽であり、馬鹿馬鹿しいものかもしれませんね。それを感覚で覚っている人こそ、珠玉の光をもって輝いている、生きていらっしゃるように思えます。言葉なんかいらねぇー。ってかんじの自分の時間への向合い方が日々に馴染んできたとき、誠実な言葉が自分の中から生まれてくるというのでしょうか。。今の私には辿りつけていない領域なんですが。。言葉の力、魅力を信じてきた私ですが、丁度今こんなことをやはり出会いの中から思い巡らせております。・・・・それから多分の私のほうが、、かなり不器用です。バランスもとれてません。そういう奴もここに生存しちゃっています!これぞ生かされているというのでしょうか。。。又だらだら書いちゃいました。すみません。失礼します。
CommentData » Posted by kous37 at 11/10/03
>Riezonさん
お返事遅くなって失礼しました。
言葉を得たいのなら言葉を離れなければならないと言うのはそのとおりなんだろうと思います。いずれにしても「まことのことば」は向こうからやってくるものでしょうからね。
コメントありがとうございました。