ベストを尽くす/ベストを着る/『灘中 奇跡の国語教室』/『魔法少女まどか☆マギカ』2巻
Posted at 11/09/21 PermaLink» Tweet
【ベストを尽くす/ベストを着る】
朝方は雨は上がっていたのだけど、今は少し降っている。弱いけれども、台風の雨という感じ。10時の気温は18.5度、西北西6メートルの風邪、時間降水量は1.5ミリ。予想最大降水量は午後6時ごろ15ミリということなので、たぶんそう大きな影響はないと思うのだが、台風は台風だ。今年は8月13日に一度増水した川が溢れて職場の床下まで来たので、警戒している人もいる。私はだいたい大丈夫だろうと思っているけど、まあいずれにしても100パーセントということはない。用心しながら日常にベストを尽くすだけ。でも寒い。一度捨てることにしてゴミ袋に入れたベストを出して来て着ている。今回の腰痛で、捨てようと思って捨てずに袋に入れていたままだった衣類が結構役に立った。そういうことがあると捨てづらくなるが、ゴムの緩い下着とか、色・デザイン的にもう一つしっくりこないベストとかでも、必要な時には必要なのだ。使いそうでないものはもう捨てればいいけれども、幅広い事態を想定して取っておくべきものは取っておけばいいなと思う。以前大量にTシャツを捨てたときがあって、そのあとしばらく肌着がわりに来ていたTシャツが足りなくなって困ったことがあった。着たい着たくないの気持ちだけでなく、自分の習慣とかも感情に入れて、もちろん捨てるべきは捨てた方がいいけど、迷うものはしばらく様子を見ておいた方がいいかもしれない。本当に要らなければその時捨てるというものだろう。まあ『人生がかたづくときめきの魔法』の趣旨とは少しずれてしまうけれども。
今日はお彼岸の二日目、水曜日。先の日曜月曜は東京に出なかったので何だか日付の感覚が変だし、自分の精神状態も普通の週とは微妙に違う。台風が来ているとか腰痛がまだ完全ではないとか特殊要素もあるからその微妙さが何なのか確定が難しいのだけど、基本的にはずっと守ってきたルーティンを崩したので気が張ってきた部分が緩んで少し頼りない感じになってしまっているんだろうと思う。新しいものは取り入れなれなかったけど、逆にある意味感覚がリフレッシュしているところもあって、新しいものをむしろ取り入れるというか、感じられるようになっている部分もある気がする。土曜の夜から火曜の午前まで、東京へ行かなくても案外あっという間に時間は経ってしまったし、これだけの短い時間にいつも自分はどれだけのものを詰め込み、ないしは詰め込もうとしていたんだろうと思うと驚きを感じもする。今回はこちらでできることがなんだろうと考えて大社に参拝に行ったりそう多くない本の中から勘を働かせて面白そうなものを(というか面白くないだろうなと思いつつとりあえず)買ってみたり、勧められていたアニメをレンタルしてみたりこちらでもできることをしていた。
まあなんというか、それが結果的には大あたりで、暇のあるときに時間つぶしに読もうと思っていた黒岩祐治『灘中 奇跡の国語教育 橋本武の超スローリーディング』(中公新書ラクレ、2011)がものすごくよくて、一気に読了した。また勧められて借りてみた『魔法少女まどか☆マギカ』も面白い面白くないとか好き嫌いとか言うのを越えて嵌ってしまった感じがあり、全12話のうちもう4話まで(つまりDVD2巻まで)見終わってしまった。いずれもツイッターにいろいろ書いているのでそちらの方でもうかなり表現してはいるのだけど。
【偶有性という言葉の重要性をはじめて理解した気がする】
もう一つ、今朝ツイッターで読んでてなるほどと分かった気がしたのが茂木健一郎が言っている「偶有性」というテーマの重要性。日本人は今まで必然性というものを大事に考えすぎていて、必然的に起こるとは限らないが全くの偶然とは言えない可能性と行ってもいいけど「起こるかもしれないこと」を重視した考え方ができなかった、という主張が今日はなんだかすごくしっくりきた気がした。物事に必然性の輪をつなげていくことが重要な局面ももちろんあるのだけど、でもそれだけでは起こりえるすべてのことのうちほんの少ししか拾うことができない。日本人は総官僚思考というか総運命論者みたいになっているところがあって、面白そうだからやってみようとか、いいかもしれないねみたいなものを採用することに憶病になっている。それに茂木健一郎は怒りを燃やしているのだが、私は今までその怒りがあまりよくわからなかった。
しかしそれをある種の思想としてとらえてみると、これはすごく面白いと思った。人間にはどんなことだって起こりえるし、起こりえた。いま自分がこうであることは必然でも運命でもなく、起こりえた多くのことのうちの一つの結果なのだということ。自分が経験してしまった過去の辛いことや理不尽なこと、トラウマになっている思い出だって、起こりえたことのうちの一つに過ぎない。たまたま(偶)あった(有)ことなのだ。自分はそうならない可能性だって十分あった。
自分がそうなったことを必然だと考えてしまうと、自分のこれからも必然の網の目から逃れられないように感じてしまう。自分がこうなったことを運命だと考えると、自分のこれからもまた運命だと思ってしまう。そうして結局、まだありもしない必然や運命に縛られて、本当に運命の糸に絡め取られて行くことになってしまうのだ。そして人は運命論者であることが常に再強化されて行く。
今の自分が納得いかないところ、おかしいと思うところが常にあって、いつもそういうものに不満を感じていた。それが必然ならあきらめなければならないわけだけど、そんなふうに納得できるものじゃないし、納得すべきものでもない。現状は変えられるし、変えなければならない。奇跡は起こさなければ起こらないのだ。
奇跡とは、多くの起こりえる可能性の中で、もっとも起こってほしい可能性のことだ、と言ってもいいかもしれない。その可能性が高いか低いかではなく、最も起こってほしいことが奇跡なのだと。そう考えれば、奇跡は起こるものだということがわかる。99パーセント受かると思っている学校にうかってもやはり嬉しい、奇跡だと思う。多分いけるなと思って告白しても受け入れられれば奇跡だと思う。そう考えれば、行動する人にとって、毎日は奇跡の連続になるだろう。
そうすると、たまたまここに自分があること、ここに自分がいることが、本当にありがたいことなんだということが分かってくる。感謝の気持ちが湧いてくる。感謝の気持ちが湧かないようなら、場所を変えた方がいい。理屈で納得してそこにいても、こころは本当には納得してないからだ。考えてみたら私の場合、学校現場というところは違和感の連続だった。違和感を麻痺させようという努力は、やはり間違っていたなと今では思う。
そういうふうに考えると、偶有性という概念は過去現在未来を通じて常に前向きのスタンスを私自身に与えてくれる。これは思想的に深めてみる価値があることなのではないかと思ったのだ。
というわけで、『奇跡の国語教室』と『まど☆マギ』(第4話まで)の感想を書きたいと思う。
【『灘中 奇跡の国語教室』:こういう教育もあり得るということを知ってほしい】
灘中 奇跡の国語教室 - 橋本武の超スロー・リーディング (中公新書ラクレ) | |
黒岩祐治 | |
中央公論新社 |
黒岩祐治『灘中 奇跡の国語教室』。読了。ここしばらく読んだ本のうち、最も感銘を受けた。教育の重要性が叫ばれて久しいが、誰もどういう教育がベストなものなのか言うことができない。それはある意味当然で、一人ひとりが必要とする教育は本来みんな違うからだ。理想は百人いたら百通りの教育が与えられることだろうけど、もしそういう方向性でないのなら、「こういう方向性で行く」と旗を上げた人に賛同する教師が集まり、そしてそれに賛同する親たち・子どもたちが集まった場でおこなれる教育が多様であることだろうと私は思う。
しかし実際に行われている教育、特に公教育はそれとは百八十度違うものだ。文部省が教える内容を決め、教える教材を決め、そのマニュアル通りに教えられる人を選んで採用して学校に集め、義務教育の場合は完全に一律に、高校以上の場合は試験の点数でう買った人、あるいは他の学校に落ちた人(受からないから受けないという人も含め)を集めてマニュアル通りに教えることを強制している。私は最初は右も左もわからなかったせいもあるけど、いつの間にか教育というのはそういうものだと思わされてしまっていた。今考えるとそんなものは本当の教育ではないと思うけれども。
まあもちろん理想論なのだが、起こりえないことではない、まさに偶有性の問題だ。どんなに現場が過酷であっても現実の場で頑張っている教師はたくさんいるし、それはある意味えらいかもしれないけれども、やはり残念な部分がある。教育に一番必要なのは教師の情熱であって、学ぶのに一番必要なのは生徒のきらきらした意欲、楽しさだ。作文とか、最初はどんなに大変でも、信頼できる教師がやらせることなら生徒は頑張るし、そして楽しさを見つけることができる。そういうふうな教育に情熱を燃やしてくれればいいのだけど、どうも間違った方向に情熱を燃やし、間違った方向に「教育に一生を捧げている」人たちがたくさんいるんじゃないかという気がする。
灘校の教育が言われているような詰め込み教育ではない、というのは、友達の友達のお父さんが灘校の教師で、その人の話を人づてに聞いて聞き知ってはいたけれども、でも本当のところはどんなものなのか全然わからなかった。しかし中学一年生に一年間かけて『銀の匙』一冊を読ませ、それを種に膨大なプリントをつくって幅広い国語の教養を身につけさせて行くというやり方は、何というか読んでいるだけで涙が出るほどうれしい。そういう教育を受けたかったし、そういう教育をやってみたかった。正直、そういう教育がおこなわれているということを知っただけで、「生きてて良かった」とさえ思ったくらいなのだ。
まあ私自身が教育というものにそれだけこだわりがあるということだし、学校教育の現場で場を得ることができなかったことにものすごく忸怩たる思いを抱いているということの現れでもあるのだけど、でもその思いもそういう教育がなされている場があったということを知っただけで昇華して行くものがある。私が教員をやめてから12年経って、その間に方向性を見出すのにすごく苦労したけれども、ようやくいま自分の進むべき方向を見定めて動き出すことができたときに、こういうものに出会えたというのは、ある意味自分のそういう意味での苦労に対するご褒美なのではなかったかなと思う。
基本的に、教師に必要なのは「教えることに対する情熱」だ。もちろん教える内容に対する幅広い知識や教えることに関する経験も大きな役割を果たすけれども、結局情熱のない教師が日本をどうにかしたいと思うような情熱のある生徒を育てられるかと考えてみればわかるわけで、やはり何より必要なのは情熱なのだと思う。
黒岩が「恩師(と言える教師)の条件」として挙げていることが6つ、橋本が人生を充実させる学びとして挙げているものが8つある。重なるところもあるが挙げてみる。「恩師の条件」は「期待に応えられる教師たれ」「労をおしまず、独創性・個性・工夫・笑い・脱線・味わいのある授業を」「常に挑戦者たれ」「自分の世界を持て」「遠回りも厭わず20年後に役立つ授業を」「確固たる信念と炎の情熱を持って生徒にぶつかれ」。まあ言い方は黒岩っぽいのでちょっとアレなところもあるが、どれもこれもその通りだと思う。8つの学びの方は、「徹底的に調べればやる気と自信が生まれる」「知りたいと思ったらどんどん横道にそれよう」「国語は学ぶ力の背骨、生きる力そのものです」「気になることは追体験――自分の記憶に強く残す」「すぐ役立つことはすぐ役立たなくなる」「還暦を過ぎても前を向いて歩いて行く」「答えは後回しでもいい。疑問を持つことが第一歩」「おしゃれの楽しみが長生きの秘訣」ということになる。どれも深い内容で、しかもどんな年齢の人にとっても自分の学びに行かせる言葉ばかりだと思う。
まあなんというか激賞ばかりでアレなのだが、教育を考える人にはこういう考えに賛成の人にも反対の人にも一度は読んでもらいたいし、こういう教育がありえるんだということを知ってもらえることが、私にとっても一番うれしいことだと思う。
【『魔法少女まどか☆マギカ』:志士とか革命家とか】
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ああ、何かこういう感想を書いたあとだと他のことは書きにくいのだけど、『魔法少女まどか☆マギカ』も第4話まで見終わった。展開に関しては丁寧にフラグが立ててあるので全く予想外という展開は今のところない。っていうかこういう展開になるんじゃないかというのが今現在でいろいろ予想があって、それがまったくいい方向に行きそうな感じがする予想がないのがすごいという感じがする。(笑)一人の死があったが、あれは結局望みがかなったからなのかな、という気がしたし、何というかオルグ側が黒くて仕方がないな。登場人物たちにはなんというか革命家とか幕末の志士みたいなものも感じさせる。幕末の志士たちも功なり名遂げて明治の元勲になっちゃったりするわけだしなあ。まあ革命家にしても志士にしても、そういうことに取り組む動機が志とかそういうパキューンとした男性的な強さからなわけだけど、ここではそれが思いやりとかホンワリした女性的な強さから発して世を救って行こうという感じが時代というものなんじゃないかなとも思う。
壊れようとするものを必死で食い止めて、その先に何があるんだろう。まだまだ予断を許さない。
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