腰痛物語/エッジをきかせる

Posted at 11/09/19

 【腰痛物語】

今日は月曜日。最後の更新が木曜日だったので、金土日と三日間お休みしたことになる。木曜日の夜に腰がぎっくり腰系の痛みが走って急に悪化し、金曜日は立つのも難儀なくらいになってまた松本に出かけて操法を受けた。仕事には少し遅刻したがそれで金土はどうにか持ち、日曜日の夕方に再度出かけてもう一度操法を受け、取りあえず現在に至っている。今は19日日曜日、午後3時半。普段なら東京にいる時間だけれども、今週は上京を取りやめにしたので完全に空白の時間。

とにかく日頃の生活習慣を一通り見なおして、一番頭に負担がかかっていると思ったパソコンをいじることと車を運転することを金、土、日はずっと控えていた。iPhoneにはときどき触っていたのでツイッターの方はときどきつぶやいていたが、ブログの更新は今まで差し控えていた。運転の方は昨日の夜に緊急事態が起こったので飛び乗って出かけて一つ仕事を片付けてきたが、パソコンの方は今まで控えていた。メールは気になったのでメインのニフティのアドレスだけときどきiPhoneから受信箱を見ていたのだけど。まあiPhoneから出来ることはそれなりにやっていたということだ。

さて腰の方だが、まだまだ本調子ではない。しかし昨日操法を受けた時に先生に日常通りに生活してくださいと言われたので極力そうしている。まだ寝返りを打つのがきつい感じで、これは木曜日に起こった痛みがぎっくり腰系の腰腹に力が入らなくなるいたみだったのでそれが尾を引いているのだけど、金曜日に操法を受けたときに「痛む段階になったんですね」と言われてそうかじゃあ治る途中経過なんだなと思ってだいぶ気は楽になった。昨日の操法ではかなりいろいろやってもらって腰も気持ちもだいぶ楽になった。今朝はまた起きるのがきつい感じはあるのだけど、ゆっくりとゆっくりとだが速度以外はなるべく普段通りに動くようにしていた。

普段あまり話をしない母ともいろいろ話をしたのだが、まあそれは何というか何か結論が出るような話ではないのでまあいろいろ話をしてお互いに何を考えているのか少しは分かったという程度のことだろう。金曜日が一番ひどかったので職場のゴミ捨てとか松本への往復とか運転を頼んだりして、けっこう世話をかけてしまった。

今朝も少し腰がきつい感じはあったけど思い切って車に乗って動いて、まず諏訪大社の上社の前宮に参拝した。お休みということもあって参拝客はけっこう多かったが、若い男が多いのが不思議。パワスポめぐりと思われる人たちも散見された。わたしは水からパワーをもらって、空気から力をもらってきた感じ。それからユニクロへ行って七分袖のシャツを二枚とゴムの緩めの下着を二枚買った。腰痛のときはきつめのゴムは辛い。それから帰りに平安堂によってスーパージャンプと仕事関係の本を一冊買って帰った。

パソコンに触らずブログも書かず出かけもしないといくらゆっくり動いていても時間が余る。ランドリをずっと読み返したり、ピアノの森のショパコン編を読み返したり。こういうときはあまり新しいものにトライする気にはならない。何というかなるべく穏やかに気持ちを保ちたいと思う。

腰痛の痛みというのは、段階を追って変わってくる。最初は無方向というか、四方八方に向かって痛い感じだったのが、だんだん集中して来るというか、痛みの感じ、治りつつある感じみたいなのがだんだんまとまってくる感じがする。完全にまとまったら治ったということなんだと思うけど、まだそこまでは行っていない。でもまとまって来ると力が出て来るので(だからまとまって来るのは痛みというより力の感覚なんだろうな。痛いときはその方向性がばらばらなのだ)だんだんそれまでにできなかったことができるようになってくる。少しずつ重い物や、態勢を曲げないと取れないものを持ったりとったりできるようになってきた。大きいのは車の運転の影響である気がする。ほんの少しだけ普段より伸ばさなかったりしないといけない動作とかをタイミングを間違えずにしなければならないので、痛みにあまり構うことなく動くことができる。それが金曜日の朝などはこれはそういう動き方をしたらまずい感じだというのがあったから、だいぶいい方に変化はして来ていると思う。

何かこの「まとまる」という感じが自分には大事なんだなと思った。最初は「小さくまとまる」ことが大事、というふうに考えてみたのだけど、まあ別に小さくなくてもちゃんとまとまっていればいい。大きく散らかっているよりは小さくまとまっている方が力が出る。腰にまとまりが出て来るというのは大事なことだなと思うし、自分の言いたいこと、書きたいもの、作りたい世界、そういうものがまとまって来るということはすごく大事なことだ。規模を広げる、というのが自分にはあまり得意じゃないなと思うけど、まあ自然に広がってしまうということはある。同じ密度を保ちつつ広がって行くのはなかなか骨が折れる感じもあるが、まあそれは仕方がない。何とかまとめながら大きくするということだろうと思う。

以前やはり腰痛で操法を受けたときに全然立てそうもなかった私に先生が「立てますね」と声をかけて、「はい」と言ってから立ちあがろうとしたら、相当苦労はしたがちゃんと立てたので、何かそれ以来すごく先生は信頼しているのだけど、今でも腰が立ちにくいときは自分で自分に「立てる立てる」と声をかけると、「ああ、立てた」ということになる。痛いのは経過であるなら仕方がないが、その上で立てればそれでいい。いま生死の淵をさまよっている友人に、「生きる生きる」と念を送っておいた。その年を受け止めて「ああ生きれた」と思ってくれればいいのだけど。

それにしても今回の腰痛で、自分が本当に長い間気が張ってきたんだなとしみじみ思った。もっと楽にやらないといけない。やらなければならないことはたくさんあるけど、ちゃんとまとめつつ、取り組んで行かないといけない。東京の部屋の片づけもまだ途中で、こっちは全然まとまってないのだけど、ぼちぼち腰に気を使いつつ、進めて行かないといけないなと思う。

 【エッジをきかせる】

美味しんぼ 107 (ビッグ コミックス)
小学館

 『美味しんぼ』107巻。しばらく前に読んだのだが、思い出したことを一つ。第5話の亀の井別荘の当主、中谷健太郎氏が「美味しいんだけどあまりにちょうどいいんだ。エッジがもっと立たないと。何となく美味しいというのでは物足りない。ちょうどいいでしょう、文句もないでしょう、という味に引きずり込まれないように。見たか、という迎え撃ち精神でやってほしい。」と言っているのが印象に残っていた。同じように、彼の母が「どうかな健ちゃん、今いちグツッと来んような気がするんやけど。ぼうっとした墨絵のような味では困る。どこかにきりっと際立つところがないと」と言っていたのだそうで、なるほどなと思った。

これはなるほどそうだなあと思うのだけど、確かに美味しい、うまいものを食べて満足だ、と言うだけではそんなに深く印象に残らないけど、このあとでこれか、とか出てくる料理出てくる料理に次々に驚きがある、そういう美味しい食事だと印象が全然違う。まあそんな経験は私もそうはないけど、流山の方のレストランで一回あったことは覚えている。また、近所の知り合いのおばさんが作ってくれたてんぷらなどでも驚かされて印象に残ったことがあった。エッジがきいているというのはただ教科書通りに作って美味い、ということではなくて、いやそういう美味しさも初めての経験なら確かに美味しいのだけど、一期一会の技を見せる料理ならそこに驚きや感動があってたましいが養われるということがある。これはマンガとか小説とか音楽とかそういうものすべてそうで、いわゆる「完成度」とは違う何かが人のたましいを喜ばせるわけで、そういうものこそが「美」の本体なんじゃないかと思う。

確かに「完成度」は重要なファクターではあるのだけど、やはりただのウェルメイド作品では何か物足りない。自分の作品でもまだまだ完成度も十分というところまで行かないけれども、まだそのエッジがきいた部分、グツッとくる部分というのをもっと追求する必要はあるなと思ったのだった。考えてみると、私が今まで感動した作品というのはやはりそういう意味でエッジがきいた作品が多い。そのエッジとは何だろうとすごく思っていて、ある種の未完成の荒々しさのことなのかなと思う感じがあったのだけど、それはたぶん違う。そういう場合もあるかもしれないけど、本当はそこにこそ工夫がつぎ込まれているのであって、一見円満に見える調和を絶妙に破ってそこに動きをつくりだす、それこそが「エッジのきいた部分」なのではないかと思った。

そこでつぎ込まれるものはなんだろうかと考えてみると、やはり意表をつく何かなんだろう。同じ方向の波動をさらに極端に強めるという行き方もあれば、たとえばそこに未完成に見える荒々しさをつぎ込むという手もあるかもしれない。あるいは妙なキッチュさを持ちこむという手もあり、私は80年代のそういう映画が好きだったが、あれも一つの時代の流行りだったのだろう。舞台に敢えて日常性を持ちこむという青年団的な行き方もあるし、お笑い風味だったり皮肉だったりメンヘル系のエピソードだったりどろどろだったりそういうものを加えてただの「上質」あるいは「日常的」なエピソードではなくして「一品」に仕上げる、というのはあるだろう。

しかし逆に、そういうものにこだわりすぎると変に人工的な、変にいじくり回したものになってしまう恐れもある。中谷氏は料理人たちに、「大杉の下で風に吹かれながら食べて美味しいと思うものを作れ」と言っているのだそうだ。私の書く小説もまた、そういうものでありたいと思う。

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by Luke Peterson

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