エゴイストの側面/究極のエゴイズム

Posted at 11/09/04

何を書いて何を書かないほうがいいのかよくわからないのだが、昨日はわりとひどい目にあいながらとにかく東京に帰ってきた。その間自分のいやなところ醜いところとすごく対面しながらでもとにかく家に帰るということだけに専念して帰ってきて、自分のエゴイストとしての側面をすごく自覚したりした。普段いい面だけ使って生きているからほかの面がときどき反乱を起こすことは実際ある。自分には本当はいやなものや嫌いなもの、耐えられないものもたくさんあるのだけど普段それらのことはあまり意識しないようにしているのだが、でも何かの巡りあわせで本当にいやなものや嫌いなものや耐えられないものや反吐が出そうになるものに一日中つき合わされることになることが時にある。昨日がそういう日だったんだよな。何とかうちに帰ってきて、極力和んでいるうちにだいぶ回復はしたけど、でもいまだになんだかいやな感じというのは残っていて、それは嫌いなものの名残というよりは、嫌いなものによって触発されて表面に浮き出てきた自分自身のいやなところに対する忌避感みたいなものなんだろうと思う。まあそういうものがあるということは、物を書く上でうまく使えればいい材料にはなると思うのだけど、そういうものを使うような作品をあまり考えたことがなくて、まあどうすればいいものかと。いやな言葉を書き出すというのも半ば意識的にやったことではあるのだけど、なんだかそれがよかったのかどうか、ねえ。

ブレイブ・ストーリー (中) (角川文庫)
宮部みゆき
角川書店

宮部みゆき『ブレイブストーリー』現在中巻358/478ページ。昨日上巻を読みきって中巻に入ったが、この巻はわりと進む。最初の設定をこなすのが自分の中で大変だったが、展開し始めてからはつくりに曖昧さがないため読みやすい。ただ自分ならこうは書かないだろうなと思うところは相変わらずある。しかし父と父の愛人の面影を持つ人物たちとの対決の場面は、このおどろおどろしさは宮部みゆきでないと書けないんじゃないかなという感じがした。人間の、究極のエゴイズム。人が生きるということの意味。人も自分も幸せにする道がないとき、自分はどう振舞えばいいのか。この締め上げ方は、ファンタジーの世界でなら何かを提示することが可能かもしれないと思わせる。さてどういう風にそれが書かれるのか、今後に期待。

図書館へ行って、子供向けの『ブレイブ・ストーリー』の文庫本を見たら、挿絵が『おもいでエマノン』の鶴田謙二であることを知ってびっくりした。鶴田の絵は好きなのだけど、しかしカッツのイメージは彼の絵ではないな。やはりおがきちか『ランドリオール』のロックシェルト隊長でないと。鶴田の挿絵の本を買おうかと最初は思ったのだけど、やはり自分の中にもう出来てしまっているイメージを変えたくないのでやめにした。

ブレイブ・ストーリー (2)幻界 (角川つばさ文庫)
宮部みゆき
角川書店(角川グループパブリッシング)

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by Luke Peterson

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