スケジュール表に現れている「なりたい自分」と「今の自分」/五木寛之「不安の力」と「人生を深く味わいながら軽々と生きたい」私
Posted at 11/09/02 PermaLink» Comment(2)» Tweet
【スケジュール表に現れている「なりたい自分」と「今の自分」】
ここのところもう一つ精神的なバランスが取れてない感じが続いていたのだけど、今日考えていてその理由が分かった。
離婚し学校の仕事をやめてからしばらくの間はとにかくあがくような感じで毎日いろいろな予定を入れ、いろいろな資格をとったり検定を受けたりしていたのだが、TOEICを受けに行ったら途中で気持ち悪くなってトイレに駆け込んだり、大山に上ってみたら帰りに急ぎ過ぎて足の甲を亀裂骨折したり、とにかく散々な感じだった。古い友達の舞台を見に行ってもそのあと飲みに誘われたりするのが億劫でだんだん行かなくなったり、学校時代の同僚などの誘いもずっと断ったり、とにかく人間関係が自分の感情の浮き沈みによってまともにこなせない感じになっていて、何か予定を入れてもその予定が近づくとだんだん億劫になってきて前の日はそのことばかり考えて行くかどうかさんざん迷って行ったり行かなかったりということを繰り返しているうちに、予定を入れるということ自体がすごく面倒になってきて、最近ではほとんどいれなくなっていた。
もちろん仕事関係の予定や父の葬儀や法事など親族関係で避けられない予定は入れるのだけど、そういうものも基本的には極力少なくしていた。
芝居をやっている頃、一緒にやっていた女の子が「私は予定を入れない、予定を入れるのが怖い」と言っていて、それじゃ稽古日程が組めないよと言ったら、ごめん変なこと言って気にしないで、とか言ったりしていて、それはどういうことなのか不思議だったのだけど、つまりはその予定のときの自分がしっかりした自分である自信が持てない、ということだったんだなと今では理解できる。彼女も稽古に来る時には精いっぱい自分をハイに持って行って人に接していたんだろうなと思う。わたしも調子の悪いときはとにかく何とか人に接することのできる精神状態に持って行けるかどうかが分からないということが多く、結局あんまりちゃんと落ち着かないまま人に接して変なことになって人間関係を損なうということも少なからずあった。
そうなると最初から予定を入れないか入れても無理そうだと思うとキャンセルすることになる。ドタキャンというのは本人としては何とか努力した結果なのだけど、キャンセルされる方としては困惑したり不愉快に思ったりすることなので、そういうことを繰り返していると予定を入れること自体が億劫になってくる。そんな感じでだんだん予定を入れなくなってきたりしたわけだ。
まあ自分がそういう感じではあるので、大事だなと思う友達に対しては私はけっこうドタキャンに関しては寛容だ、と自分では思う。まあこちらの虫の居所が悪かったりすると怒ったりすることもないわけではないのだけど、基本的にはお互いにドタキャンありの関係の方が長続きする感じがする。お互いにそうなってしまうことに悪気があるわけではないからだ。まあ誰にでも求められる関係ではないけれども。
まあそんなこんなでスケジュール表を見ても、基本的にはやらなければいけないこと、仕事のこと、親族関係のこと、近隣関係のこと、身体関係のことしか書いてなくて、げんなりする感じになっていた。
それはつまり、今の自分を何とか最低限維持しようという努力が反映している予定であって、このスケジュール表を見ていても自分の未来が見えてこない。こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけない、めんどくせー、と思うばかりだ。
私は今ルーティンとして基本的に午前中はモノを書く時間にあてるようにしているのだけど、それはもちろんなりたい自分に近づくための努力なのだが、ないネタを絞り出すような感じが続くとだんだん辛くなってくる。こういう文章はまだ自分の中を照らし出して見えたものを書いているので書くことがなくなることはないのだが、創作を書き出すとすぐストップしてしまうことが多い。それはなぜかというと昨日も書いたが私は実は嫌いなモノが実に多いということで、書きだしていやなタイプの人間が出て来るとそれ以上書く気がなくなってしまうのだ。この人間のここの部分には深入りしたくないとか、これを書くのはこの職業について少し調べなければいけないがいやだなとか、そういう感じが満ち溢れて来る。本当に私のイヤなものセンサーは発達していて、かなり遠くでそれを探知するともうそちらの方向には行きたくなくなるので、モノを書いていても不自由で仕方がない。これは読書でも同じことで、そういう意味で宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』は読んでいて本当に苦労する。見事に私が嫌いなもの、イヤなものを並べてくれてある感じがするからだ。
まあそれでも、それではものを書くのに不自由すぎるので、もっと自由に書けないと困るから、そういうものを読んだり書いたりすることにトライして行かなければいけないと思うのだけど、それはどうしても修行っぽくなる。嫌いなものを我慢して受け入れるとか好きなものを我慢してお預けにしておくとか修行っぽくなって来るとどうも私はいらいらしてきてまた人間関係に悪影響を及ぼす。まあつまりそれでは本当の意味での修行にはなってないんだけど。
まあ嫌なものを受け入れるというのは要するに心の余裕の問題だし、余裕があるときには見える射程が長いのでそのいやなものの背後にある人間的真実が見えてまあそれはそれでそういうものなんだなという気になれる。で、心の余裕があるかないかというのは結局好きなことをしているかどうかということになるわけだ。
80年代から90年代初めにかけてあれだけ映画を見に行っていたのに最近はずっとご無沙汰なのは、ひとごみ苦手になったということとそこで体調が崩れるのではないか、二時間そのままでいられないのではないかと思ってしまうからなのだけど、最近はさすがに体調自体はましになってきているし、精神的な波も以前に比べればましになってきているから、あまりそういうことを気にしないで出かけた方がいいのではないかなと思った。
思いだしてみると、私は80年代の終わりに関係する人の舞台を見に行ってどうしても咳が止まらなくなり何度もトイレに駆け込んだり、前も書いたがオーケストラを聞きに行って調子が悪くなって途中で退出したりしたことは当時からあったので、やっぱりいろいろな意味でセンサーが敏感であることは確かなのでいろいろ人に迷惑をかけることはやむを得ないなとも思う。つまり簡単に言えば今に始まったことではない。でもアートに関係する人ってあるそんな部分がある人も多いのではないかなとも思う。だからある意味お互いさまということもあるのではないかと。映画館は周りが一般人だからちょっと迷惑かなとは思うけどまあ勘弁してもらうしかない。
とにかく、予定を入れるということは、それに向かって自分が進んで行くそのことを表現しているわけだし、予定を入れないということは『なりたい自分』のことを考えず「いまの自分」のことだけを考えて生きるということになってしまうんだなということに気がついたわけだ。「いまの自分」のままでいるのが嫌なら、『なりたい自分』に向かって行けるような予定を入れて、予定表を見るたびに自分の向かっている方向が確認できるようにして行かなければいけないなと思う。『なりたい自分になれるかもしれない』予定を積極的に入れていくことが、『なりたい自分』になるための近道なんだと思った。
特に、自分の好きなこと、やりたいことに関しては、積極的にスケジュール表に記入して行くべきだと思った。今までは何というか予定表に書いたことは絶対にやらなければならないというふうに思っていて、書いてしまうと思くなって足がすくんでしまい、だから本当に先が見通せる二三日先のことまでしか書けない、考えられないという感じがあって、まあそれは要するに今の自分を維持するので精いっぱいだったということなのだけど、人と会ったり人にスケジュールの変更を強いるような予定でなければ、自分がやりたいこと好きなことの予定はどんどん入れていくべきだと思った。それで気が変わって予定をキャンセルしても別に人に迷惑はかけないわけだし、予定を書いた時点でやりたかったことよりもっと魅力的なことが出てきたならそれは素晴らしいことだし、思ったより疲れていて休息をとることにしても疲れて無理に味わえないものを吸収しに行くよりも建設的だ。基本的には見ていてわくわくするようなスケジュールを自分で組むべきだと思ったのだった。
【五木寛之「不安の力」と「人生を深く味わいながら軽々と生きたい」私】
不安の力 (集英社文庫) | |
五木寛之 | |
集英社 |
昨日、気分転換に蔦屋に出かけてマンガを物色したり本を読んだり。奈良美智の絵が表紙になっているこの本が目に入ってきて、つい中を読んだ。わたしは五木という人はけっこう好きだなと思う。そんなにすごい人だという感じはしないけど、何というか肩の力が抜けている感じが読んでいて楽なのだ。『戒厳令の夜』とか重大なテーマにしてはけっこうえっと思うくらい軽い感じで話が進んで行ったりしてこの人何なんだろうと思ったこともあるのだけど、最近になって来るとこの「軽さ」がこの人の持ち味なんだなと思う。そして私はこの「軽さ」にけっこう救われたりするのだ。
私はこの世を軽々と生きて行きたいという欲望と、この世の面白いもの、深いもの、意味のあるものを味わいたいという欲望と、両方がある。深く味わいながら軽々と生きたい、とまとめてしまってもいい。しかしなかなかそうはいかないわけでともすれば逆に、つまり「砂をかむような思いをしながら重苦しく生きる」感じになってしまってリア充爆発しろ、とか思うわけだ。五木という人は書くことはもう一つ深みがないとむかしから思ってはいるのだけど、その存在の感じの軽さにひそかに(つまり自分の意識にも隠して)憧れているところがあったんだなと思う。何というか考えすぎてしまって面白くない感じになっているときに、五木の本を読むとけっこう脱力してああこういうふうに考えればいいんだなあと思うことがよくある。『大河の一滴』とか『不安の力』とか題名は大袈裟なんだけど書かれていることはけっこう飄々とした感じで本当に楽になったりする。ある意味で筋弛緩剤みたいなものだろうか。成仏する時には五木を読むと……と書くと危険な感じになるのでやめておこう。
もちろん五木の人生は引き揚げなど大変なことも多く、それをそういうふうに乗りきって来られた彼の生きる力の強靭さがあって初めてそういう生き方が可能になっているわけで、わりと丈の高いところでスパッと切れる、割り切って行く力というのがその根源にあるわけで、私などはなるべく丈の低いところで切りたい感じがあり、まあそこのところが適わないなと思うところもある。でも丈の低いところまで自分のものにしようというのは欲のかきすぎなんだなと何だか笑ってしまうような感じが五木を読むことによって得られる脱力感にはあり、自分をコントロールする指標になる人であることは確かだなと思う。テイストが薄い感じはするのだけどお前本当に濃い方がいいのかと言われるとどっちなんだろうと思ったりする感じなのかもしれない。
まあそんなこんなで気分転換に読むにはこの人の本はけっこう私にはいい、というものなのでした。現在42/284ページ。
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"スケジュール表に現れている「なりたい自分」と「今の自分」/五木寛之「不安の力」と「人生を深く味わいながら軽々と生きたい」私"へのコメント
CommentData » Posted by Ken-T at 11/09/03
晴耕雨読というには激しい雨が続いています。
しごとの山場を越えて、この週末はとにかく静かに過ごそうと何気にこのHPを読ませていただきました。
いろいろ考えさせられる内容ですね。
受け入れられない人をつい、「あいつ」「こやつら」と思う次第です。兄弟に対してでもそうです。(妹ですが・・)
私は、それは持つべき感情と思いつつも、その器量の狭さは良くないとの自己評価も同時にしています。
けれど、許せないものを許せる人とはこの世にいるのか疑問だったりします・・・
さてさて、ぜひ、この台風の後の晴れ渡る秋の訪れを山でも登ってぜひ感じてください。
結局心をすがすがしくしてくれるものは、人間でなく自然なのかなと思う今日この頃です。
CommentData » Posted by kous37 at 11/09/06
コメントありがとうございます。お返事遅くなってすみません。
許せないものを許せる、というのは相手と同じ次元に立っていてはできませんね。間違ったことを叱る、ということができる次元に立たないといけませんが、なかなか昨今ではそういう立ち方は難しくなってるなと思います。
そうですね。神社仏閣や自然の中のすがすがしさに触れることで、自分の中のいろいろなものを洗い流したいものですね。