片づけの魔法/魔導師が出てきた/滅びゆく者たちと勃興する者たち

Posted at 11/09/01

近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』(サンマーク出版、2011)を読んでいる。現在134/270ページ。面白い。これを読んでいると、片付けをしたくなって来る。考え方とか、具体的な方法とか、なるほどと思うことが多い。洋服をかけるときは左に重いもの、右に軽いものという感じはやってみると確かに軽快感がある。ものが喜んでいる感じを大事にする、というのはやってみてわたしに向いているなと思う。ただ感受性が研ぎ澄まされて、自分の洋服の扱いのひどさに胸が痛んだりしてしまうが、基本はこういう感じで片付けをしたら部屋の中にリズムが出てきて、行動を起こしたくなる感じになりそうだなと思って実際胸がときめく。若い人だが「片付けに半生を捧げてきた」という言葉は伊達じゃないという感じ。そういう言い方をすると大げさな感じがすると思うけど、それが大げさではない。これからはそういう人がたくさん出て来るのではないかという気がする。今までは見過ごされてきたことを専門にする人たち。今までの片づけ本と一線を画している部分を感じる。誰にでも合うかどうかまでは分からないけど、私としてはお勧めできる一冊だと思う。

人生がときめく片づけの魔法
近藤麻理恵
サンマーク出版

宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』上(角川文庫、2006)。現在168/460ページ。魔導師が出てきてようやく話が動き出した。ここまではかなり難行苦行ではあったが、ここから先は何とか読めそうな感じになってきたのでほっとしている。何というか、ここまで自分が大事にしているものが無神経に扱われ、自分としてそこはあまり子どもには踏み込ませたくないと感じるところにどんどん踏み込んで行き、子どもの心理を大人目線で分析していて、そういうところがすごくいやな感じがしていたのだけど、逆に自分がどういうものを大事にしているのかとかおそらくは男と女の目線の違いとか、そういう部分が見えてきて彼女と自分のスタンスの違いとかあるいは自分の中でのいろいろな判断基準とかがはっきりしてくる感じがあった。

特に感じたのが、というかここから先を読んでどう思うか分からないから今の時点での暫定的な感想と断っておかなければならないけれども、宮部が「子どもの純真さ」とか「子どもの感性」とか「子どもにしか見えないもの」を信じていないように見えるということだ。わたしは夢見がちな(いい夢ばかりではないが)子どもだったから、子どものころの自分はそれを信じるしかないところがあって、自分の子ども時代を否定されているような不愉快さがあるのだと思った。こういう感じというのはリアリズムでこの時代の子どもを書いた作品にはいつも感じられることで、ああそうかなるほど、子ども時代というのは自分にとっては『聖域』なんだなと思った。まあ嫌なら読まなければいいのだけど、まずは自分の『聖域』をもっと表現して行く必要があるんだなということは思う。まああたりまえなのだけど、成長過程というのはどの人間にとっても完全に一回性のものであって、それをやり直すことは絶対にできない。むかし「育て直し」とかいう心理プログラムを読んでなるほどと思ったことがあるけれども、正直それはかなりヤバいところに踏み込むことで、その方法論を確立することは並大抵のことではないと思う。だからその人にとって自分の成長過程は意識はしなくても無意識の中では『聖域』になるのだし、その時代の描き方に対しては評価がはっきり好き嫌いが分かれるのも無理のないことなんだなと思った。

ブレイブ・ストーリー(上)
宮部みゆき
角川書店

塩野七生『ローマ人の物語 41 ローマ世界の終焉・上』(新潮文庫、2011)現在62/258ページ。テオドシウス帝死後の蛮族出身の将軍スティリコと蛮族の西ゴート王アラリックとの戦いの描写が続くが、スティリコにとってはアラリックだけでなくコンスタンティノープルの宮廷との戦いもまた重大な問題になっている。アラリック率いる女子どもを含めてのゲルマン族たちの戦いの野蛮さもどうも読んでて胸糞が悪くなるようなところが多く(塩野はだいぶオブラートに包んではいるのだけど、十分伝わるようには書いている)読んでいると辛くなってくるようなところがある。毎年夏にこのシリーズの文庫本が出版され、夏の終わりを待ち続けて、発刊以来15年かかってようやく完結した。単行本の終結は2006年だからそれに5年遅れての完結となり、私は文庫派として待ち続けたわけだ。

わたしはもともとこのヨーロッパ古代後期というか中世前期に関してかなり興味があって、『メロビング王朝秘史』とかいろいろ読んではいた。まあそれはゲルマン人の文明の未生時代というかこれから勃興して行くものの描写として読んでいるとそれなりに面白いのだけど、しかし滅びゆくローマに視点をあてるとこれはかなりきついんだなと思った。滅びゆく種族にとって滅びは当然だが決して歓迎すべきことではない。これから成長して行く者にとっては、その滅びは単なる一過程に過ぎないわけだけど。いつも毎年夏に一気に読んでいたのが嘘のようで、今年はなかなか読みが進まない。歴史から心が離れかけているということと、物語にどんどん入れこんでいるということの両方があって、民族や国家の興亡の心理的な側面の方にどうしても思い入れが強くなって行ってしまうからなんだろうと思う。まあこういうのはやはり読むべき時期はあるんだなと思う。

ローマ人の物語 41 (新潮文庫 し 12-91)
塩野七生
新潮社


今日から9月。8月はだいぶ新しいところに足を踏み入れている実感がある。何でもそうだが、それは楽しいことばかりじゃない。でもまあ、道が続く限り(つまり生きていてものが書ける間は)前へ進んで行こうと思う。

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