愛情を与えるタイプと受け取るタイプ
Posted at 11/08/29 PermaLink» Tweet
【愛情を与えるタイプと受けるタイプ】
いろいろ考えたんだけど、これだけは書いておこうかな。
人には大まかに言って愛情を与えるタイプと愛情を受けるタイプの人がいるなと思った。もちろん完全に一方通行ということはそうはないのだけど、愛情の流れる方向みたいなものはあって、やはりそういう流れがあるからこそ人の世が回っているという側面はあるのだと思う。愛情を与える側は与えたいという欲望が満たされるとすっきりするし、受け取る側は受け取ることによって満足する、というか。もちろん与えっぱなしで全然返ってこないと枯れて来てぎすぎすしてきてしまうし、与えられっぱなしでそれに甘んじているだけみたいな人間ではろくなものにならないわけだけど。
私はどちらかというと愛情を受け取るタイプなんだなといろいろ考えていて思った。他人のことが気になるというより自分のことが気になってしまうタイプというのは多分そうなんじゃないだろうか。愛情を与えるタイプというのはマザーテレサではないがもう本当に愛が溢れていてどこかに届けないと持たないという感じの人があるし、逆に愛情を受け取るタイプの中にはそういうタイプなのに全然人から愛を注いでもらえないで本当にいじけてしまっているみたいな人が多い。後者が暴走するから秋葉原みたいな事件が起こったりするわけだろう。
愛とか愛情の表現の仕方、いやそれ以前に発現の仕方というのは本当に難しいというか、いろいろとデリケートな問題が多く含まれているから一筋縄ではいかないなと思う。愛情の捌け口に苦労しているタイプというのがモーニングの『レンアイ漫画家』に描かれていて、ああこういう人っているなと思うけどあまりピンとは来ていなかったのだけど、やっぱり自分の身の回りにもそういう人はけっこういて、そういう人はやはりちゃんと愛情を注げる対象を獲得することによって安定する。まあそれも(お互いに)誰でもいいわけじゃないから難しいわけだけど。
愛情を受け取る側のタイプというのは、若いころはあまり苦労しなくてももてたりして愛について深く考えないまま年をとり、そういうものから縁が遠くなっていることに気がついて愕然としたりするわけだが(誰のことを言っているのか・笑)受け取っていればいいというものではなく、そんな風にして周りから湯水のように注がれた愛情を栄養に何かをクリエイトしていくからこそ存在価値があるのだと思う。作家にしろ画家にしろ周りの人間に貢がせるタイプが多いというのはそういうことだろうと思うし、逆に言えばそれで何かを作り出せなければただのヒモだ。ヒモも若いころはそれなりに楽しい気がするが、年老いたヒモというのは惨めなものだろうなと思う。何かを作り出す力を年相応に持っていくことによって、まあいわばファンをひきつけ、世界をつなぎとめる引力を持つからこそ存在価値があるというか、その存在によってブラックホールのように宇宙を安定させる力を持つ、みたいな感じがする。爆発して広がる力だけでなく、吸収して収束する力があるからこそ世界は更新され、新しく変わり、そして維持されていくのだろう。
話を急にでかくしてしまったけれども、まあつまり愛情を受ける側のタイプというのは何かを作り出すことはその人の欲望とか自由とか言うだけではなく、ある種の義務でもある、ということを言いたいのだった。まあその和む場を作り出すだけで十分、みたいな人ももちろんいるんだけど。
まあいろいろな意味で自分のことを考えていると私は人にはけっこう冷たい人間だと思うし、でもだからこそ礼儀正しくしないといけないなと思ったり人としてやらなければいけないことをやらなければいけないなと思ったりする。あんまり人に愛情を振りまくタイプじゃないから、人として存在する価値があるためにはそれだけのことをしないとねと思うということなのだけど。
人というもの、命というものは何か理由があって生きているわけではなく、何も分からないまま生まれてきたものなのだから、何も分からないまま死ぬまで生きるしかないのだと思う。エネルギーを持った生命体として生まれてきたのだから、エネルギーが枯渇して死ぬまでは何がどうあろうと生きるべきものだと私は思う。でもやはり生きているうちは人に必要とされて生きているほうがいいなと思うわけで、じゃあ何ができるかというと、その人だからこそできることを目一杯やるということになる。一般論で言えばそうなるけど、それを自分にとってわかりやすくいえば何かを作り出す、表現するということになるのだと思う。
ああ、こういう一般化って若いころはよくしてたけど最近はなるべく避けて通っていたのだが、やっぱり一般化・法則化・理念化することによってあいまいになったり硬直化して来てしまう部分てやっぱりあって、何か難しい。気持ち悪い。ただこの話、すぐにフィクションには出来そうもないので取り敢えずちょっとべたな感じで書いておこうと思う。気に入らなくなったら消すかもしれない。
なんというか、私が実際に表現以外で生活を立てるのにしている仕事というのは、やはりある意味人に愛情をかける仕事で、まあ仕事である以上、仕事の範囲でベストと誠意を尽くしてやっているわけだけど、こういう仕事をしていると私という人間が本当に愛情深い人間であると勘違いされてしまうことがある。私は根本的には冷たいし意地悪なところさえある人間なのでそういう一線を越えてこられるとひどいと思われるくらい冷たくして思っているような人間じゃないんだよということを示そうとすることもあるのだけど、これはブログでもそうだけどやっぱりそういう風に勘違いされて変に頼られたりすることもあり、でも自分としてそういうことが重く感じない範囲ならその人のために何かをやってあげたりすることがないとはいえないのだけど、重くなってきたらわりとばっさりやったりすることもある。相手に頼ろうと思うなら相手がどういう人間なのかもっとちゃんと見ろよと思うのだけど、でもそういうことって自分も同じ間違いを何度も繰り返してきているのであまり人のことは言えない。というか自分の切られ方をある意味人に対して応用したりしているからけっこうヒドイ。でもそういうことってちゃんと研究して傷つけないようにしかも明確に切り捨てることって身につけなければいけないことの一つかなとは思ったりする。まあそんな機会が今後あるかどうかは分からないけど。
しかしまあ、どうしてそんな風に勘違いされてしまうのかというと、愛情深い人は自分が与えたいようなやり方で人に愛情を与えるために、与えられるほうであまり与えられたくない形を押し付けられて辟易するということがままあるからなんだろうと思う。私などは自分が与えられるほうだから与えられ方に関してはけっこう敏感になっているし、逆に仕事で与える立場になったときに与えられる側が何を必要としているかとかどういう風に与えられたがっているかとかそういうこともわりと見えてしまうところがある。見えるからといってそういう風に与えるとは限らないけど。でもここは全力を尽くさないといけないなと思うときは感覚をフル回転してその人の必要なものを探し出し、必要なやり方で与えるということはしている。
私自身もよく勘違いしてしまうのは、その与え方がきめ細かい人、与え方のセンスがいい人が「愛情深い人」でもあると思ってしまうことなのだ。かゆいところに手が届くような与えられ方をすると、この人は本当に自分のことを理解していると感激してしまう。しかしだからといってその人がそのことを本当にやりたくてやっているとは限らない。だからいろいろな理由で愛情に飢えている人、精神的に疲れていたりもう少し暗い側面が入っていて癒しを必要としていたりもっと複雑なことを求めていたりする人に、変に期待されたりしてしまうことがときどきある。昔は「よくある」という感じだったが最近は「時々ある」程度になってきてはいるのだが。
やはり病んでいる人、疲れている人というのは逆に太陽のように惜しみなく、逆に言えば無遠慮に愛情を降り注ぐ人というのはむしろ突然海に連れて行かれた病人のように耐えられなくなってしまうことがあるんじゃないかという気がする。あるいは疑いに取り付かれていたりして、そういう無条件の愛みたいなものが理解できなくなっていれば、それを恐れてしまうということも珍しくないのだろう。逆に仕事の範囲でやっててかゆところに手が届いちゃったりするとこれこそが自分の求めていたものだと勘違いされても仕方ないというか、まあその種の勘違いは自分もたびたびしていたなと顔の赤らむ思いでもある。
だからやはり、基本的には愛情を与えるタイプの人と受け取るタイプの人がペアを組むのがパートナーシップとしては一番安定するのだと思う。受け取るタイプの人のきめ細かな対応が与えるタイプからすれば自分が理解されているという安定した意識につながるし、受け取るタイプの人としたらその惜しみない愛情のシャワーに時々苦笑いしたりしながらも確かに愛されているという実感を持つことによって自己承認欲求が満たされて自分の仕事に全力で取り組めるということになるのだと思う。
とまあそんなことを考える今日この頃。
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