雨の朝/能力を磨くということ/私にとって「書くこと」の意味/ヤマザキマリ『地球恋愛』/青空文庫版『星の王子さま』
Posted at 11/08/19 PermaLink» Tweet
【雨の朝】
今日は朝から雨が降っている。寝床の中でうとうとしているくらいの間はすごい降りだったのだけど、ここしばらくはだいぶ落ち着いてきた。と、書いているうちにまた少し強まってきた。今日は一日雨だろうか。天気予報のサイトを見ると、夕方まで雨とのこと。落ち着いてじっくり過ごせる一日になるだろうか。
ネットに接続できない環境で書いているので、iPhoneでいろいろ情報を調べるのだけど、やはりPCに比べるとはかが行かずちょっと考えていることも中断してしまう。集中力がそがれるようなことは避けたいところだけど。
ここのところ読んではいるのだけど、書く時間がないというか、やはりある程度集中できる時間がないとものを書くことはしにくいということがあり、というよりも多分集中できる精神状態になってなかったということの方が大きいな。いろいろな精神状態を全部紙に書いておきたいのだけど、「書きたくない精神状態」というものを素直に書こうとすると結局あとから思いだして書くしかなく、その時にはその状態のことはけっこう忘れているので書くのは難しい。一瞬前の自分も今の自分とは違う自分だなあといつも思う。
私にとってものを書くことは大事なことなのだけど、どんなふうに大事なのかということを考えていて、ああ何かするするとそういう考えもいつの間にか二階に上ってしまって今書きたいことはまた別のことになってしまっていたりすることはよくある。取りあえず一階に下りてきてもらうことにするが、つまり私には書かずにはいられない、「表現衝動」のようなものがある。書いていると安心するというか。
【能力を磨くということ】
ああそれ以前にもっと書きたいことがあった。いろいろな表現について考えていて、自分はその表現の能力を磨いているかなと思ったときに、ちょっと不思議な気持ちにとらわれたのだった。能力を磨く、という響きが何となく懐かしいことのような気がしたからだった。
人というものは、若い頃はその人の持っている能力で評価されるけれども、だんだん年をとって来ると今まで何をやってきたかという実績で評価されるようになる、というところがある。まあ私は若いころもそんなに能力を磨こうとガツガツしたところはあまりなくて、というか若い頃は特に能力信仰の風潮に斜に構えていたところがあったから、あんまり頑張らなくても身につくようなことだけを身に着けていた、そうだな逆にいえば「能力」信仰でなく「才能」信仰があったということだな、という傾向があった。
能力というものについて本気で考えるようになったのは多分社会に出てからで、世の中には能力差というものが想像以上に隔絶した差があるということが分かり、そのことは実はかなり深刻な問題なのだということに気がつかざるをえなかったということ、また自分の(関心とか好き嫌いとか才能らしきものとかに任せて)身につけてきた能力がほとんどが中途半端なものだったということに気がついたことが大きかった。
それから今度は仕事をはじめると何ができるかという能力(つまりポテンシャルというか、canという助動詞=仮定法的な世界)よりも何をやったかという実績(つまり結果、直説法過去形の世界)でその人が評価されるようになるということに気がついて、実績を上げることに力を傾けるようになってしまったということがあったのだった。結果を出すため、実績を上げるために必要なのは必ずしも能力ではない。少なくとも能力だけで実績を上げることはできない。誠実さがいる場合もあるし徹底的にコミュニケーションをとることが必要な場合もあるし礼儀をわきまえている必要がある場合もあれば相手の懐に飛び込んで行く必要がある場合もある。そういう力をよく「~力」と、たとえば「コミュニケーション能力」とかいうけれども、でもそういう力があろうとなかろうと粘り強くやってやり遂げることが必要だったりするわけで、能力はひとつの要素にすぎなくなってしまうわけだ。もちろんその比重が高い分野はあって、そのためには能力を磨かなければいけないわけだけれども。でも仕事の上では「ある作業のための能力」は実績を出すための『実行力』を構成する一つのアイテムに過ぎない、間接的なものになって行くわけだ。
能力の高い若者が社会に出てなかなかうまくやれないというのは特定の能力に優れていても仕事全体をやり遂げる力に欠けるというまさにそういうことが起こる理由でもあるわけだけど、逆にいえば仕事を実現する力、全体を見通していろいろなものを使いこなす能力が身について来ると個々の能力は落ちて来るということでもあるわけだ。
小説を書く上で自分が大事にしたいことの一つはやはり一つ一つの言葉の表現力なのだけど、まあそういうものを組み立てて一つのストーリーにしていくということは表現力だけでなくて、一つの仕事を仕上げる力に似ている。だからそちらばかりを意識するようになると個々の言葉の表現力が落ちてくる可能性がある。どうも自分の言葉にはそういう面があるなとうすうす思っていたのだけど、今日そういうことを考えてそういえば個々の言葉の表現力を磨く練習を怠っているなあということに気がついたのだった。
まあこれも昔はあるかなきかの「才能」に身を任せて思いつくまま書きしるす程度のことしかやっていなかったけど、でもこの文章はいいなと思った文章を書きうつしたりはしていた。一時期河合隼雄の朝日新聞に連載されていたコラムにいつも感心していたので、毎週それを原稿用紙に書き写して、(確か)すべて1200字に収まることを発見し(当たり前なんだけどよく考えてみれば)、とても感動したことがあった。私の文章が曲がりなりにも形になっているとすれば(結構滅茶苦茶な構成だけど)、このとき河合隼雄の文体を吸収したことが大きいと思う。20代後半だっただろうか。これはそういうことを意識してやった事ではないのだけど、「書き写す」という作業の侮れなさをその時は強く感じた。なにしろ、読むだけでは全然感じ取れないようなことが自然に自分の中に入って来る。書いているとある言葉を「全然」にするのか「まったく」にするのか、ひらがながいいのか漢字にするのか、というようなことを否応なく考えるわけで、そのときに河合隼雄がどう考えてこの言葉を選択したのかというようなことを自然に考えるし、そうかなるほどと自分なりに納得したりする。作家志望の人に一番勧められる練習法の一つは、文章が上手いなと思う人の文章を書き写してみるということだと思う。そこで何が発見できるか、が大きな財産になる。昔の人たちだってそのようにして文章を覚えたんだと思うな。
ああ、まあそれは文章の練習法の一つだけど、書き手はまあ色々な方法で常に表現の力を磨いてなければいけない。作品を作ることとは別に、練習が必要なんだと思う。能力を維持し、向上するために。何かその辺は、昔より素直にそう考えられるようになったな。
才能というものは明らかにあるけど、でもそれをちゃんと発揮するためにはやはり練習は必要だと思う。昔は飲み明かして二日酔いでバッターボックスに入ってホームランを打つようなタイプが憧れだったけど、今はそうは思わなくなった。ほんとうに天才だなと思うのは江口寿史と長嶋茂雄とモーツァルトくらいなものだけど、ああいう人たちは根本的に創作というものに対するメンタリティの構造が全然違うなと思う。メンタルと作品との有機的な構造が彼らの中には全然見えない、異次元な所で創作が行われている感じがする。理解を隔絶したところで行われている別の惑星の出来事のようなものだ。そこに至る梯子はないのだから努力では何ともならない。モーツァルトの悲しみ(創作)は疾走してしまうわけで、涙(メンタル)は追いつけないのである。
まあそうなると部分を作る才能や能力を磨いて全体を組み立てる建築家の能力も実際に作品を作ることで磨いて、より良い作品をつくっていくしかないという極めて常識的な線しか自分にはないわけで、まあここの表現のポテンシャルを上げて行くということの重要性を改めて感じたということなのである。
私は基本的に自分の中に「絶対」というものをもたない人なので、それは表現者としての弱みでもあるし柔軟性という意味では強みでもある部分もあるかもしれない。このことは絶対誰にも負けない、ということをもっている人は表現においても強いだろうということは容易に想像がつく。まあ絶対負けない、というのはある意味思いこみだから、若い頃はそういう思い込み、つまり自信をたくさん持つことで世に対処していた面はあるのだけど、今になってみると「誰にも負けない」なんてことがそう沢山あるはずはないということはよくわかる。逆にいえば、すべての能力が二流であっても結果として全くオリジナルなものを作ることは可能だと思うし、何かそういう意味では能力絶対主義でもないのだけど、でもやはりこのことについては自分では自信があるというものについて書いているときの方が自分としては楽に書けるということはある。独りよがりにならないように表現を磨かなければならないのはいうまでもないけれども。またそういう自信のあるもの、言わば「ウリ」がある方が仕事を頼む方も頼みやすいということはあるだろう。だからまあ比較優位であっても一応このことについてなら書けるというものをもっていたほうが自分のペースで書けることは確かだ。でもそれがいい加減なものだとやっぱり何となくあいまいな感じになってしまうわけだけれども。
ああ、なんか表現のことについて書き始めるとなかなかまとまらないし書き始めると普段よく考えていないことや、当たり前すぎると感じているところも見直さなければならなかったりして、本当にきりがない。
【私にとっての「書くこと」の意味】
話を最初に戻そう。
表現衝動の理由として考えたことの一つは、自分の感覚としては、一瞬一瞬が別の自分であるように感じているのに、でも世の中にある限り「自分」というものは一貫した存在でなければならないという割り切れなさというか齟齬のようなものがあって、一瞬一瞬どんどんばらばらになってはみ出して行きそうな自分、それて行きそうな自分を書くことで結びつけ、つなげていくということを必死でしているという面があるということだ。昨日の自分が何を考えていたのかぱっとは全然思いだせないで不安になることがよくあるのだけど、思いだしながら書いているとつながりが分かってきて、だいぶ安心する。つまり書くというのは自分にとって昨日と今日をつなげる作業なのだ。だから昔のことを思い出してそれについて考えることが多い。一応自分という人間を、生まれた時から今まで全部つなげたいというのが自分のかなり大きな欲望なのだけど、けっこうまだまだばらばらなのである。(その中でも一番手ごたえのある、手触りのある作業がフィクションを書くことだ。これはなぜなんだろうな。記録だけでなく具体的な創造であるという側面が強いのだろうな。そしてそのことによって過去を過去のあるべき場所に置くことができるという感じが自分にある。やはり「自分の中が整っていく」という感じに近いんだろうと思う。)
それはある意味律儀であるということでもあるかもしれないし、「現在」というものの厚みが薄くなってしまっていて、過去の支援を受けないと自分の今現在の存在に安心していられないということもあるのかもしれない。五十嵐大介が『はなしっぱなし』のあとがきで「興味をもったらどこでもいいです気になる場所で10分間じっとしていて見てください。必ず何か起こります。」と書いているけれども、私を含めて、現在にちゃんと厚みが出るまでの10分間をじっとしていられる人はあまり多くないだろうと思う。
まあ、書くという側面からいっても、表現を磨くというのはある意味「10分間じっとしている」ことであって、つまり感覚を磨くということと同じ側面がある。本を読むということはその人の世界の中でじっとしているということでもあるわけだし。書き写せばなおさらだ。
ああ、このあたりのこと、もっと考えないといけないな。
【ヤマザキマリ『地球恋愛』】
最近読んだものの感想を少し軽く。
ヤマザキマリ『地球恋愛』1巻。中高年の恋模様、という帯のキャッチフレーズ、中身に本当にマッチしていてけっこうよかった。何か個人的には第6話のコンシエルジェが好きだな。なんとなく『日の名残り』の執事さんを思い出すし。まあ『テルマエ・ロマエ』のルシウスにも一番近いかもしれない。読了。
何か今は半分あっちの世界にいっていてどうもうまく文章にならない部分がある。文章を書くということは、少なくとも私にとって、うまく向こうの世界とこちらの世界を往復することなのだけど、向こうに行ったら行きっぱなしだし、戻ってきたらなかなか向こうへの通路を見いだせなくなってしまうし、難しいものだ。まあそのヒントは「10分間じっとしている」ことにあるんだろうと思うのだけど。
【青空文庫版『星の王子さま』】
何か書き忘れていることに気がついたが、『星の王子さま』の青空文庫訳、『あのときの王子くん』の感想を書こうと思っていたのだった。
星の王子さま―オリジナル版 | |
サン=テグジュペリ | |
岩波書店 |
私が初めて内藤濯訳の『星の王子さま』を読んだのは多分小学校低学年のことだったと思う。そのあと数回は読み返したことはあったと思うが、特にどうという印象は受けなかった。私の印象に残っていたのは最初のボアと象の絵だとか王様だとか飲んだくれだとか地理学者の星に王子様が行って会話をしたり、特急列車が行ったり来たりするところで、「ぼく」と王子様の会話とか、全然印象に残っていなかった。まあ子どもだから、抽象的なことが書かれていてもよくわからなかったんだろうし、まあ一言でいえばそういう「不思議なお話し」だと思って片付けていた。
しかし今回、青空文庫版の新訳で読み返してみて驚いた。面白いじゃないか!しかも、私の言いたいようなことを言っている。構成もしっかりしているし、伏線とその解決とかもよくできているし、最初の会話の成り立たない感じからだんだん成り立って行く感じとか、とても面白い。狐と王子のエピソードも昔は「何言ってんだこいつら?」という感じだったけど、今回読み直してみると言いたいことはすごくよくわかる。なぜこんなに印象が違うのかと思うくらい。バラと王子様のエピソードも、何が起こったのかなぜ王子さまが星を離れなければならなかったのか、昔は全然わからなかったけど、今回はなるほどこれは恋愛とかそういう人間関係の比喩なんだなということを思いながら読んだし、そういう意味ではこの話って全然子ども向きじゃない。子どもに対して「子どもの感性は大事だよ」って言ったってピンとくるわけないし、基本的に子どもは――少なくとも私は――大人になりたい子どもだったから、あんまりそういうのを押し付けられるのって迷惑というか、好きじゃなかった。
なんていうかこの話、ワンフレーズワンフレーズ、この表現はいいねとかここはこういうことを言ってるんだねとか味わい尽くしながら読んでみるといい話なんじゃないかという気がする。これ多分原書で持ってる気がするから、岩波版と青空文庫版と原書と照らし合わせながら味わい直してみるというのは意味のあることである気がするな。
今回読んでみて一番好きだったセリフ。狐の王子さまに言ったことばで、「バラのためになくした時間が、きみのバラをそんなにも大事なものにしたんだ。」そんなもんだよな、と思う。
先ほど、書くことというのは自分にとって、昨日と今日をつなげることだ、と書いたけれども、同じように昨日と今日をつなげるものが自分にとって女性なんだと思う。今は特定の相手がいないが、いるときには自分にとってすごく大事なもので、それはなぜかというと、昨日も今日も同じ人がそばにいるということが、自分の今日を自分の昨日につなげてくれ、さらには自分の明日をまで約束してくれる感じがしたからだろうと思う。
女性といるということはその人のために時間を失うということでもあり、そしてだからこそその人をそんなにも大事なものにする。それは女性にとって男性も同じことだろう。失うと言えば失う、過ごすと言えば過ごす。時間の中でそばに居続けることこそが、そのまま「かけがえのなさ」になる。
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているから」というセリフも今回はとても印象に残ったが、何だこれってラピュタの主題歌じゃん、って思った。もちろんラピュタの主題歌がこちらにヒントを得たんだろうけど。
今回これを読むことになったのは、iPhoneのアプリで青空文庫の本が読めるという豊平文庫というのがあって、その無料版でもともと読める三作品として用意されていた中にこの『あのときの王子くん』が入っていたからだ。まあ偶然の産物なのだが、今回読み直せて本当によかったと思う。
蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫) | |
芥川龍之介 | |
新潮社 |
他に入っていたのが芥川龍之介『アグニの神』と夏目漱石『三四郎』なのだが、『三四郎』は最近読んだばかりなので取りあえずいいやと思い、芥川を最初に読んだ。これは芥川らしいプーシキン『スペードの女王』みたいな伝奇的な短編だが、うまくまとまっているなと思う。大正年間に読まれた作品の雰囲気がよくわかると思ったし、また考えてみると芥川ってあまり読んだことないんだなということに改めて気がついた。芥川賞を狙うために(?)一度読破してみるという線もあるかもしれない。面白かった。
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