無意識の闇の中に沈んでいったさまざまないのちの断片が土用波のように押し寄せてくる
Posted at 11/08/14 PermaLink» Tweet
【無意識の闇の中に沈んでいったさまざまないのちの断片が土用波のように押し寄せてくる】
ああそうか。今日はお盆の二日目。多分、自分がいろいろなものを呼び寄せているんだな。自分が呼び寄せているものはありがたくいただかないといけないな。恐れていてはいけない。自分が発言したこと、自分のやったこと、いろいろなものが形を変えて自分のところに帰ってくる。どうも異形のものが多いのは仕方のないことだが、異形のものの美のようなものを見出し、それを顕彰する役目が、自分にはある程度ある気がする。異形のものに出会ったとき、そのペースに巻き込まれるのではなく、その美を見出すこと。異形のものの多くは自分の中に由来するものなのだから、自分の中にある異形なものをそのことは確認する作業になる。光を当てると信じられないような美しさを見せる海の雪のような、意識されることもなく、あるいは意識されたかと思ったらすぐ無意識の闇の中に沈んでいったさまざまな自分の心の中のいのちの断片のようなものが、土用波のように押し寄せてくる。それがきっとお盆という日々なのだろう。
きっと私が田舎にいれば、私も田舎も守られたのかもしれない。先祖の功徳に。しかし私は最近、お盆の時期には田舎を離れて東京にいる。そこで異界との境目が開いて何かが向こうからやってくる。私はそれに出会わなければならない。そしてそれを、この世界に伝えなければならないのだろう。
ファンタジーを書くということは、ある意味そういうことで、自分の中にある無限の暗闇の中に光を当てることなのだ。そして光を当ててみるときらきら輝く鉱物性の壁を見つける。そこを掘り出して形にする。それは『耳をすませば』の中で雫がやっているように、見つけたと思ったら本当はつまらないものかもしれない。でも掘り続ければ何かが出てくる。書き続ければ何かが出てくる。出てくるには順番があって、いつも面白いものばかりが出てくるわけではないのだけど、それぞれに誠実に対しているうちに、大きなものに出会うのだろう。
カボチャの冒険 (バンブー・コミックス) | |
五十嵐大介 | |
竹書房 |
五十嵐大介『はなしっぱなし』と『カボチャの冒険』。最近、五十嵐を読むと瞑想状態に入る感じがして、これはこういうもの、という風にバシッと述べることができない。特に最初期の作品である『はなしっぱなし』はそういう睡眠導入剤というか瞑想導入材的な感じがある。大きなストーリーを描くのではなく、日常の中に埋まっている幻想を短くパッと表現し、それでおしまい。本当に文字通り言いっぱなし、話しっぱなしの物語、というかもっと短いスケッチ的なエピソード群なのだ。だからそれらはメモの強さ、スケッチの強さ、デッサンの強さのようなものを持っていて、タブローにはないとんがった魅力がある。完成という名の歪曲、一貫性という名の矯正を強いられていない氾濫し暴走するイメージの魅力が、まさに前半分だけある顔のようなある種のまったく異形のものとして目の前に迫ってくる。それを受け取ることで自分の心の中にある異形性が目覚め、瞑想の眠りへと落ちていく。どうもこれらはそんな危険な作品群だ。
はなしっぱなし 上 (九龍COMICS) | |
五十嵐大介 | |
河出書房新社 |
この連載が始まったのが1993年。平成5年か。ああ、なんか自分にとって痛いことの多かった年だ。月刊アフタヌーンなんていう場所で新規に連載していたこの人の作品に気がつくような余裕はなかった。「出逢いはいつでも偶然の風の中」というのはさだまさし「天までとどけ」そういう偶然の風は残念ながら吹かなかった。80年代の狂騒が終わり、就職して社会に埋没していき、90年代の混沌に入っていったとき、五十嵐を愛読書として持っていたら何かを照らす光になっていたかもしれないのになと思う。
自分を見失うということは自分にとっては本当によくあって、本当に避けたいのに、なかなか避けられないことで、そのうち本当に自分が求めているものが何なのかまったく分からなくなって行ってしまう。なんと言うか私は、子どものころから精神的にも身体的にも二重生活から逃れられないところがあるのかもしれない。より精神的な内奥の世界に生きたいと思いつつも、どうにかして実社会的にも生きていかなければならないと思っていて、自分にとっては明らかに内奥の世界の方が大切なのだけど、人から見たら何の価値もないものだろうなという風に昔から思いすぎているところがあって、そこで表現が縮こまってしまうという難点がある。そう、そういう内奥の世界のことを表現して表に出し、実社会を少しでもこっちのほうに引っ張ることができないかというのが多分私の望みなのだけど、まだまだその表現の段階で悪戦苦闘しているということなんだろうなと思う。もちろん表現に関わる人はみな、そういうところが一番大変なわけだけど。
まあそう考えてみると、表現したいもの、表現しなければならないと感じていることはいやになるほどある。ワルプルギスの夜だ、まったく。だからそういうものを表現しつくしたダンテやゲーテを私は尊敬しているんだなと唐突に気づく。ああ諸星や近藤だってそうだ。五十嵐ももちろんだし。
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