サポセンという構造欠陥/懐かしビデオとSM入門/自己プロデュースとは自分を前に投げ出すこと

Posted at 11/07/03

【サポセンという構造欠陥】

昨日帰京。PCが故障しているのをどうしようか考えていて、とりあえず3万円台で代わりのPCを買っておこうという結論に達する。ということで今朝はアリオ北砂のノジマ電気に開店と同時に出かけてACERのEL1352-F-22Cというタイプを買った。Officeのソフトのプリインストールはないのでまあ何とかしないといけないが、それ以外は特に問題なし。

今もうすぐ6時だが、ようやく前の機械の環境を必要な部分は調えられてきたかなという感じ。いやあ大変だった。まず一番手間取ったのがネットへの接続。Bフレッツ接続の際、XP時代のCD-ROMが使えなかったのでサポートに電話したらいくつものところにたらいまわしにされ、最初に電話してから1時間以上かかってようやくつながった。もうだいぶ収まったけどかなりいらいらしてしまった。サポートセンター担当者の愚痴というようなサイトが昔あったけど(今でもあるのかもしれないが)、実際にはサポートセンターにつながるころにはいろいろなところで不十分な対応をされて多くの客が腹を立てている状態になっているという構造上の問題なのではないか。サポセンは怒った客の対応に疲れ、客は待たされて怒りのlose-lose関係。人を幸せにしないシステムだ。改善の余地は大いにあると思う。少なくともサポセンの充実した企業に投資したり商品を買ったりしたいとこのときばかりは思う。

まあ逆に言えば、こういうときくらいしかサポセンと連絡を取る必要がないくらい、普段は不都合が起こらないとも言える。それが企業努力の成果であることは確かだが、一朝ことあるとでろでろというのはまさに政府や東電の原発対応と同じ。もともと、新しいパソコンを買うというのはうきうきすることのはずなのに、わからないことが起こったときの方々への連絡や電話ということを考えると面倒だなあというほうが先にたってしまう。今回調べたり設定しなおしたパスワード情報などはもう紙で書いて本体に貼り付けておいたが、次に問題が発生する数年後までちゃんと貼ってあるかどうかが問題。だいたい、今まで使っていたXPのマシンではパスワード情報を全部ファイルにして保存しておいたので、起動しなくなってしまった今では参照の仕様もないのだ。まったくばかばかしい。

結局文系にとってはパソコンというのは基本的には「紙と鉛筆」なので、なるべくシンプルなほうがいい。いろんなことができる鉛筆というのがちょっと重過ぎるんだろうな。まあいろいろできて便利なのは確かだから、その便利のお代をこういうときに払っているんだと思っておこう。

それにしても東京は暑い。30.1度というのはそんなにすごく暑い気温でもないと思うのだけど、湿度が高く風もあまりないからだろうか。不快指数は80を超えているようだ。私は何年か前にエアコンが壊れてからずっと扇風機だけでしのいできているが、今年の夏はいっそのことエアコンでも買ってしまおうかという気もしている。きっとみんな節電しているからエアコンの工事もあまり待たなくていいのではないかな…と。もともと私は冷房嫌いなのでそんなにつけることはないだろうし、この気持ち悪い湿気を除湿するだけでもぜんぜん違う気がする。からっとした暑さなら耐えられそうなんだけど。

【懐かしビデオとSM入門】

昨夜はそういうわけで帰宅後まったくネットにつなげなかったので本を読んだりDVDを見たりして早めに寝た。しばらく前に手紙を出して、返事がなかなか来なかった友達から返事が来て、私が昔書いて上演した芝居のビデオをDVDに落としてくれたものを同封してくれてあり、それを見ていたら、なんと言うか今だとかなりこっぱずかしいせりふが満載でどきどきしてしまった。ちょうどチェルノブイリ後で、大地震で東京湾岸の原発が事故を起こして人類滅亡、みたいなまあタイムリーなネタの芝居。懐かしいが、23年前の自分の動きがシルエットでもすぐわかるというまあその辺もやや恥ずかしい、芝居であった。まあある種のタカラモノではあろう。

台本を読み返してみると、まあ恥ずかしいせりふは恥ずかしいのだが、リリカルなせりふはまあ私が結構好きな感じで書けている。今書いているようなものの方がいいと今の自分としては思うけれども、ひとつの自分の原点のようなものでもあり、送ってもらえてよかったなと思う。

ナナとカオルBlack Label 1 (ジェッツコミックス)
甘詰留太
白泉社

帰りに書店によって何か読むものないかなと思って買ったのが甘詰留太『ナナとカオルBlack Label』1巻(白泉社、2011)。中身はよくわからないが最近よく見かけるので買ってみたのだが、なんというか昭和の正統派縄での縛りSMの高校生向け入門書?みたいな内容のマンガだった。萌えるかというと、うーん、どうだろう。全然こういうものを知らない人ならある程度知らない世界を垣間見るどきどき感とかがあるのかな。私だって実際には知らないが、アート系の友人が10数年前にSM専門誌で絵の連載を持っていたことがあり、その関係で何冊か買ってそれなりに読んでいたのだ。荒木経惟さんなどが精力的に発表していた雑誌でもあり、もちろんもろにその筋の雑誌でもあるがアーティスティックな一面もある。その内容に比べると、まあなんというか本当に入門編という感じ。懇切丁寧にSMの意味や意義を説明していて、わかりやすく場面も解説しているのだけど、自分がもし高校生としてその場面に立ち会っていたらこういう感じ方はしないだろうなとかそういうことを考えてしまうのでどうも燃えたり欲望を感じたりするのとはちょっと違う感じ。うーん、やっぱりちょっと毒が抜かれすぎているのかな。でもそれがゆえになるほどと思うところもあったので、たぶん作品としてはちゃんと成立しているということだろう。2巻を買うかどうかは、うーん、よくわからない。

今amazonで調べたら、Black Labelのつかない『ナナとカオル』がすでに何巻も出ているのだということを知った。ということはここまでにここに至るストーリーがあるということなんだろうな。でも読みたいかと言われると…どうかな…


【自己プロデュースとは自分を前に投げ出すこと】

自己プロデュース力
齋藤孝
大和書房

齋藤孝『自己プロデュース力』(大和書房、2003)読了。モハメッド・アリとガンジーのところを読んだ。ちょっと時間がなくなってきたので、この感想については後ほど書こうと思う。一番印象に残ったことは、「自己プロデュースとは自分を常に前に前に投げ出していくこと」だということ。つまり、自分を常に新しい状況へ、新しい状況へと投げ出していくのが自己プロデュースだというのだ。これはなるほどと思う。自分が今いるところから見える範囲だけで判断して動いていては、少しずつしか前に進めない。そうでなく、自分自身を目標達成のためにずどんと前線に発射してしまうということ。そうして新しい事態に対応しつつ、どんどん前に進んでいく。そういう力こそが自己プロデュースということなんだなと思ったのだった。

たしかに、それはたとえば教える人が教えられる人に「この教材を使いなさい」とか「この本を読みなさい」というのに似ている。教えられる人が、自分では決して読まないだろう本を読まされることで、まったく新しい世界にその人を放り込む。そういうことを自分で自分自身にやらせるのが自己プロデュースだということで、これはかなり先が見えないとなかなか難しいことだ。でもそういうイメージを持てると自分でも何とかやれそうな気がしてくる。がんばってみたいと思う。

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