パジャマを買う/非公式RTの怖さ/ものを書く喜び/高校生の自分にいってやりたいこと

Posted at 11/07/19

【パジャマを買う】

朝、6時前に起きたときは暑いなと思い、昨日の夜に入ってまだ冷めてなかった風呂を浴びて汗を流したのだけど、空は曇っていて、窓を開けるとかなりひんやりした風が入ってくる。アメダスを見ると6時の気温が28.1度、立派な熱帯夜なのだが7時の気温は27.1度と昨日に比べても低い。今日は台風も近づいているし曇りのち雨の予報だから、久しぶりにしのぎやすい日になるかもしれない。

暑いせいか食事も不規則になってしまい、3食のリズムがおかしい。朝食はいつものとおり食べているのだけど、変に間食をしたりして、どうも食べ過ぎの気味がある。お昼ころまで何かとしていて1時過ぎに着ているパジャマがいたんできたのでユニクロにいいのがないかと自転車で出かけたのだが、パジャマはなかった。そのまま自転車を反転させてアリオ北砂へ行き、イトーヨーカ堂でSサイズの3点もの(半袖・長袖・ズボン)を買った。最近Sを買っているからそれでいいと思ったのだが、これが失敗。上半身は小さいからSでいいのだけど、腰と太股がしっかりしているから本来Mでもきついのだ。はいてみるとあまりに腰がきつすぎるので結局ゴムを切って安全ピンで留めて寝た。ゴムを入れ替えるか継ぎ足すかしないと使い物にならない。

大き目のを選んでいるころはこういう問題はなかったのだけど、ジャストサイズのものを着るように心がけると標準的な選択をすると全然自分の体型に合わないということになってくるんだなあと思う。既製品の合わない体は大変だという話を他人事のように聞いていたが、自分もまじめに体に合わせようとするとなかなか大変な話なんだと今更ながら思った。

雨の音がする。降って来た。ちょうど8時。

昼食の買い物をし、福家書店とノジマ電気をのぞいて帰宅。


【非公式RTの怖さ】

昨日は本当に参ったのは、ツイッターで気軽に非公式RTをしてしまったネタが福島原発と福島県の政治家W氏に関連する内容で、つぶやいたあとすぐこれはガセネタっぽいなと思って削除したのに(5分もしなかったと思う)あっという間に非公式RTされて拡散してしまい、@がどんどん飛んできてしまったこと。自分で調べて、東電の社史に福島原発の敷地はもともと国土計画の堤氏が所有し塩田事業を行っていたのを福島県の仲介で東電が買い上げたという記述を読み、これは信憑性が高いと思ってその旨RTしたのだが、なかなか一度広がった情報は収束せず、@が飛んでくるたびに「ガセです注意」と返信する羽目になった。夕方には一応収束を見たのでとりあえずはよかったなと思ったが、非公式RTの怖さをまざまざと経験させられた。非公式RTは@がたくさん入っていて楽しいのだけど、間違った情報を流すと大変なことになる。公式RTならRTをやめれば自分に帰ってくることはないし、ネタ元だけが対応すればすむので、誰かに不利益になるような情報が含まれている場合は非公式RTを行うのは慎重でなければならないと強く反省させられた次第。


【ものを書く喜び】

大相撲を大体最後まで見て、そうめんを二把食べて、6時過ぎに出かける。この二把というのが中途半端だったな。間食としては多いし夕食としては少ない。とにかく小説のアイディアを出そうと出かけたのだけど、大手町で降りて丸善へ行き、本をいくつか見て心理学関係のものを1冊買い、MCカフェに入った。結局養命酒が作ったというハーブカクテルつきのハヤシライスを注文。この辺が食べすぎだった。東京駅を窓の外に見ながらアイディアをいろいろ書き出してみる。まだまだなかなかビビッドなものが出てこないが、だいぶ自分の抱えている問題点に近づいてきた感じがする。

今までの作品はそれぞれ、いろいろな形での「喜び」を書こうとしていたのだけど、最初のものは人と一緒に暮らす喜び、二つ目は本を読む喜び、三つ目は恋をする喜び、みたいにテーマが来て、今度はつまり、ものを書く喜びということになるなと思う。

しかしものを書く喜び、というのは一筋縄ではいかないなと思う。もちろん、人と暮らしたり本を読んだり、恋をしたりすることもいいことばかりではないから一筋縄ではいかないけれども、このテーマについて考え始めるといろいろなことが出てきそうだということがわかってきた。

前の三つはある意味(それまでの)日常とは違う世界に遊ぶ喜びみたいなものがあるわけだけど、書くという喜びは少し性格が違う。これは物を作る喜びであって、物を作るということは自己完結はしない。作られたものは誰かに供されることによって評価を受ける。そこが単純に自分がよければいいということではすまないことにつながる。

もともと書くこと、物を作ることが好きだった私は、今思うとその時々に理解者がいて、その時々に無理解者がいた。今思い出せるのは小学校のT先生と中学のK先生。T先生は作文をやたらと書かせる人で、私は課題の回数以上に書いてどんどん持っていった。そのたびに「優」とか「良」とか赤丸で書いてくれて、それがすごく励みになっていたなと懐かしく思い出す。運動会の様子だとかたわいもないことなのだけど、ものを書いて人に読んでもらうという楽しみはあのときにえたものかなと思う。中学のK先生はルナールの言葉の授業で自分でこういう短文を作れという授業をして、私の作ったものに感心してくれた。どこかから持ってきたような言葉だったのだけど、それから「ベニスの商人」を翻案した芝居を文化祭でクラスでやったり、完全にオリジナルな作品を上演したりした。いやあれもどこかから持ってきたような話だったな。

中学校では毎年文集を作っていて、2年上の先輩が山口百恵と三浦友和の結婚をネタに書いた雑文にひどく感心して、しばらくそういう受け狙いのものを書くのに熱中したことがあった。うまくは書けなかったが。あのころはまだ自分のそういう気持ちを対象化して書くということができなかったから(中学生にそれができたらよっぽどだと思うが、できる人はできるんだよなこれが)あまりろくなものは書けなかった。

高校に入ると、もっと思想的な問題が出てきて、この時期からしばらくはそっちのほうで苦しむことになる。ものを書く楽しみなんてものは多分そっちのけになってしまっていただろう。受験もあったし、Z会で添削してもらうのが楽しみだったりした。今思うとというかさっき気がついて不思議に思ったのだけど、私は自分の絵を先生に筆を入れられ、直されたときにひどく傷ついたのだけど、作文に朱を入れられることには全然抵抗がなかった。むしろそうやって文章がシェイプアップされていくことが楽しみだった。絵は自分のセンスが表れた作品だけど、文章というものをもっと道具のように思っていたのだろう。というか、今でもそう思うところはある。もちろん、今朱を入れられたら「この人がどういう思想でこの文章をこう直そうとしているのか」ということのほうを考えるだろうけど。修正自体がある種のその人の作品だと。そう思うと、ものを作ったり絵を描いたりすることと、文章を書くことについては、自分の中でかなりスタンスが違うんだということになる。自分にとって文章はかなり実用的な、それも幅広く使える道具であって、何か手を入れられても自分がなくなることはないと思っているんだなと思う。そう思えるのは書くことと、あとは多分身体的な演技だなと思う。

そのほかのことに関しては、多分センスだけでやって行きたいというのが先に立ち、服装などでも言われたら考えようとは思うけれども基本的に自分で何とかしたいしあまり人に言われて考えたくない感じもある。料理とかも多分ケチをつけられたら単純にやる気をなくすだろう。つまりそこに関して、あまり向上心がないのだ。逆に言えば、向上心のない人に向かって何を言っても無駄だということも自分の中に照らし合わせてみればよくわかる。これはよく自分でも見落とすことなのだけど。

それでも文章に関しても、小説作品に関しても最近はまだ批評に耐えられるようになってきたけど、数年前は全然だめだったな。そのころは向上心というよりも、自分の中にあるものを出すので精一杯だった。自分の中にあるわけのわからないものを、小説という形をとって吐き出したいという気持ちで書いていたから、向上心も何も、むしろどう書いたらより自分の気持ちにより素直になれるかとそればかりを考えていて、そういうものだから作品というよりはむしろ告白に近く、評価云々というようなものではなかったなと今では思う。

それらの作品は数人の人に読んでもらって大体悪評で自分としてはすごく落ち込んだし二年ほど小説が書けなかったりしていたけれど、今となってはすごくよい経験だったと思えてきた。こういう作品は自分との対話だからそこに他者はない。しかしそれを悪評とはいえ真剣に読んでくれたことそのものが今となってはとてもうれしいことだったなと思う。悪評を下すということはそんなに簡単なことではない。それを言えば相手が落ち込むことは100%確実だし、場合によっては友情にひびが入る。しかしそれはものを書いていく上ではやはり必要なステップであって、「読んでもらえる」ことのうれしさをもっと感じなければいけないのだと思う。

1999年ごろからこうやってウェブ上に詩や文章を書いてきて、なんとなく読んでくれる人もいてそれである意味安心してしまっていたのだけど、それだけでは文章としてのレベル、作品としてのレベルを上げることはできない。特にこういう文章というのは内容だけを読まれて文章の形とか緊張度とかを評価されることはなかなかないし、正直私がウェブで物を読んでいてもそうだけど、気負った文章を読むのは疲れる。ウェブ上の文章を書く工夫というのは、印刷物になる文章を書くのとはまた違うものだと思う。特に小説とブログの文章の質はかなり違うように思う。


【高校生の自分に言ってやりたいこと】

朝モーニングページに似たようなことを書いていて思ったのだけど、私は高校生のときに創作的な文章をほとんど書いていなくて、そのギャップはかなり大きいなと思った。もっと違うことが自分の中で渦巻いていて、本来持っているものと違うものがかなり流れ込んできてそういうものとどう付き合うかで精一杯だったなと思う。その分、創作的な感性とか書く力のようなものを鍛える機会をこの時期に持てなかったことはちょっと大きいかもしれない。いろいろな理由があるのだけど、この時期には文学、特に小説というものに興味を失っていた。文芸的なものでは詩の方に傾いていた。教科書で読んでも面白いと思う小説は中島敦「山月記」とか森鴎外「舞姫」とか漢文系だったし、話に聞いて読んでみた村上龍『限りなく透明に近いブルー』とか池田満寿夫『エーゲ海に捧ぐ』とか三田誠宏『僕って何』とか庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』とか大江健三郎『万延元年のフットボール』とか全然分けわかんなかった。あとの3冊は多分最初だけでやめている。

二十歳の原点 (新潮文庫)
高野悦子
新潮社
旅の重さ [DVD]
齋藤耕一監督作品
松竹

まだ読めたのは高野悦子『二十歳の原点』とか。映画では『旅の重さ』を中学のときに見てすごく好きだったし、高三のときにテレビで見た野田秀樹『二万七千光年の旅』は大学に入ってから芝居をやる大きなきっかけになった。マンガは諸星大二郎をはじめいろいろ読んでいたが本格的に読み始めたのは大学に入ってからだと思う。でもいわゆる小説で、心を動かされるものがなかった。中学のときに少年向けSFをかなり読んでいて、そういえば高校のころ読んだ数少ない小説はアシモフ『銀河帝国の興亡』シリーズだった。ビートルズの伝記とか、そういうものは好きだった。

二万七千光年の旅
野田秀樹
而立書房
銀河帝国の興亡 1 風雲編 (創元推理文庫 604-1)
アイザック・アシモフ
東京創元社

それにしても、そういうものは自分にとって裏芸的なもので、表芸にするのはもっと思想から導かれたものでなければいけないという考えに取り付かれていたんだなと思う。でももろに哲学とか政治思想とかには行きたくなくて、それで西洋史を選んだ。今思い出してみるともうひとつ天文学を天秤にかけたのはSFが好きだったことが大きいなと思った。国史・日本史にしなかったのは教科書問題的な左右の論争に巻き込まれるのがいやだったからだ。つまりそういう思想というものはなるべく遠巻きにして、理解できるようになってから近づこうと思っていたのだ。

今となってはそういうのって気の迷いだったなと思う。自分にとって大事なことをやらないで、思想的・社会的なほうにひかれてしまったのは自分のたましいの弱さというか、70年代の余熱のようなものに自分がまだ幻惑されていたのだと思うし、そちらのほうに行こうとしたのも何か中途半端にそういうことをやっていることを評価されたい自分、そういうことをやっている自分に満足したい自分がいたんだなと思う。自分のやりたいことをやればいいという思想が、全然自分の中に浸透していなかった。

そういう意味では自分のやりたいことをやるということを確認するまでに30年かかったんだなと思う。もちろんその間も芝居をやったりそれなりにやりたいことをやってはきたのだけど、それに対する後ろめたさが常にあって、なかなか思い切れなかった。

それにしても本当に苦手なことを長い間やってきたものだなとしみじみ思う。

手紙~拝啓 十五の君へ
アンジェラ・アキ
ERJ(SME)(M)

何でそんなことを今までやってきてしまったんだろうと思ってみると、「社会的なことをやらなければいけないと思ってしまった高校生の自分」を、今まで裏切ることができなかったということなんだなと思った。もういいんだよ、と言ってやりたい。やらなければならないと思ったことではなくて、やりたいことをやればいいんだよと。15歳の自分に手紙を書くというのがアンジェラ・アキの『手紙』のコンセプトで、橋口いくよが8月号の『ダ・ヴィンチ』の対談で、「子供のころのすごくつらいことがあったシーンの辛かった自分に会いに行って今あった自分のうれしいことを小さな自分に伝える」ことをたびたびしているのだと言う。今私自身がようやくそういうことに気がついたんだなと思う。やらなければならないことではなく、やりたいことをやればいい。それは父の思想でもあったから、逆に父に逆らおうとして、そうは言っても、と強がって見せたということもあったかもしれない。父と子というのは面倒なものだ。

ダ・ヴィンチ 2011年 08月号 [雑誌]
メディアファクトリー

大体当時、自分のやりたいことなんて全然見えてなかったからなあ。でもなんとなく、大学に入って東京へ行ったら美術館にたくさん行きたいとか、とにかく大きな本屋へ行きたいとか、そういうことは思っていた。と思う。というか、大学に入ってすぐにではないにしても、シュールレアリスムの展覧会にはよく行ったなあ。東京へ行ってショックを受けたことのひとつはシュールがすでに最先端ではないという(笑)ことではあったのだけど、芝居を始めることでそういうものに対するアンテナをもてたことは、そのころからの無意識の願望が実現したということなんだなと思う。

そういう好きなことをしていても、常に「こんなことをしていていいんだろうか」という思いが抜けなかった。それが本当に抜けた、というか抜け始めたのはキャメロン『ずっとやりたかったことをやりなさい』を読んでそのエクササイズを実行し始めてからだろう。今ようやくその本体に達して、「社会的なことをしなければならない」と思った15歳の自分に、そんなことをしなくていいんだよといってやりたいし、都会のアートに対する憧れを断念して田舎の自然に親しまなければならないと思い込もうとしている15歳の自分に無理に好きになろうとしなくていいんだよといってやりたい。というか言わなくてはならないと思う。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。
ジュリア・キャメロン
サンマーク出版

15歳の思いつめた自分への慰め、供養、手紙のようなものこそが、今まずやらなければならないことなんだなと思う。

雨は大体上がったようだ。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday