豊崎由美『ニッポンの書評』/小説に何を求めるか
Posted at 11/07/30 PermaLink» Tweet
【豊崎由美『ニッポンの書評』】
先ほど帰京。今日は朝から忙しく、ブログを書く時間がなかった。一日曇りで時々雨、それも激しく降って、でも一日職場にいたのであまりよくわからない。上京する時間になって駅へ歩く間が土砂降りで少し困った。ホームで特急を待っていても、雨が屋根の下にまで舞い込んで来るくらいの強い降りだった。
ニッポンの書評 (光文社新書) | |
豊崎由美 | |
光文社 |
豊崎由美『ニッポンの書評』(光文社新書、2011)読了。面白かった。この人の書評や文章、とりわけ自分のことを「オデ」と書くようなセンスが私はまったく許容できないので大体この人の言うことや書くことや言うことは7割引くらいで読んでしまうところがあるのだけど、どこかの書評ブログで書評を見かけて読む気になり、買ってみた。なかなか読む気になれず、少し読み始めてもすぐいろいろなところに引っかかって読む気がうせていたのだが、暇を見つけて読んでいたら案外読みでがあり、結局そんなにかからず読みきってしまった。
読み終わってみると、あちこちに気を配り、ドキドキハラハラしながら、それでも合間を縫って言いたいことを言おうとしている業界の中堅どころ、という感じで、悪い人じゃないんだけどそんなにあっちにもこっちにも気を配ったことをあからさまに書いているとなんだかいやな気がしてくる、というような書き方。悪い人じゃないんだけど大きい人じゃないよね、と思う。まあ自分が大きい人だなんてさらさら書いてないけどこの著者は。
この人は『芥川賞メッタ斬り』の印象が強いし、基本的にはライター上がりで(最初はポルノ雑誌に書いていたのだという)イロモノ的な印象が強いし、そのイロモノ色を引きずっているから「オデ」などと書くのだろうけど、もっとまともな書き方をしたほうがずっと面白いし読む気になるのにな、と私は思う。でも今までそういう商売の仕方をしてきたから変えられないということなのかもしれない。人の商売の仕方に文句をつけても仕方がないが、どうもそういうセンスが自分は許せないものを感じてしまうのはまあ私の勝手だ。それがいいという人もいるのだろうから。
でもまあ、通して読んでみて実はすごくまともな人だし、志もある。でもそれでありながらそういう表現をとるというのも80年代の、いや90年代なのかな、の悪ふざけを引き摺っていて、どうもみっともない気がしてしまう。書評も文芸の一ジャンルだと主張し、批評よりも下に見られることを矜持を持って拒絶する姿勢を見せているのに、自分は書評家ではないブックレビュワーだとか、プロの文章とネットの雑文を一緒にするなと吼えているのに、書評家の地位確立は自分の仕事じゃなくて誰かがやってくれるだろう的な感じが漂っていたりとか、なんと言うか腰がふらふらした定まらない感じがしてそういうところもどうしても根本的に信頼する気になれないところがあるという感じだろうか。
同じ韜晦するにしても、信頼できるといったら変だが何かに殉じているような風情のある韜晦ではなくて、それこそ逃走論的なスキゾ的な韜晦といったらいいのか、いい大人が何している的なものを感じてしまう。
まあでもそれもそういう売り方なのかもしれないし、それで名を馳せているのだからあまりいろいろ書いても仕方ないのかもしれない。ただ、そういう人に書評で貶されると腹が立つだろうとは思う。この本にも出てきたが太田光は『マボロシの鳥』を豊崎に批判されて「腹が立ったけど、書いたやつがブスだから仕方がない」と言ったそうで、それは顔の作り云々の話ではなく、何かもっと違うところ――つまり芸のあり方――がブスだと言ってるのではないかという気がする。(ブス芸と言うか、ブスを気取っていると言うのか、女の子が二人いてブスな方というポジションをとることによって可愛い子の友達でいられるという形の芸と言うか、まあそういう意味で言えば女の人には受け入れられやすい芸なんだろうか。ヤローには無理だな。男でも「できないほうのやつ」と言うポジションを取るという芸はあるが、あれは女の子にもてるわけないなと思う。)ああそうか、簡単に言えば私は豊崎の芸風を見るとどうしても「大根!」と言いたくなってしまうということなんだな。でもそれで売れてるならそれは私の個人的な見方に過ぎず、きっと私には理解できない魅力の持ち主だと考えればいいんだろうなと思う。
マボロシの鳥 | |
太田光 | |
新潮社 |
まあそういうことは置いておいて。
内容的にはいろいろ面白かった。書評をめぐる問題がいろいろ取り上げられていて、そのそれぞれが真摯に検討されている。書評において「ネタばらし」は許されるか否かとか。豊崎はこのことについてはかなり神経質なようだ。私は自分はあまりこだわらないほうで、必要ならばある程度書いてくれたほうが読む気になるというタイプなので、そこにそんなにこだわる人の気が知れない。まあ、案外そういう人が多いということは最近わかってきたので、あまり小説については読んでも詳しく論じなくなってきた。まあ私の文章は書評と言うよりはやはり感想文であって、一方的に作者を貶そうとかそういう気は全然ないけどやはりつまらなかったらつまらないと書くしかないとは思うし、読んで面白かったら絶対読んでほしい、と言うような書き方をする。確かに、「だれだれは実は何々だった」とか「この恋は結局悲恋で終わるんだよね」的な結末とか、そういうのを楽しみにしている人には知らされたら残念だろうなとは思うし、最新の『ピアノの森』の中でも本当は隣の部屋から聞こえてくるピアノ→自分のピアノに合わせてくる→聞き覚えがあることに気がつく→隣の部屋に走る→そこには雨宮がいた!というサスペンスを高めていく構成になっていたのにページをぱらぱらめくって探したらラストシーンを最初に見てしまうと言うへまをやってえらく落胆した、ということはあったから、そういういわば映画的なサスペンスの構成になっている作品の種明かしをすることは避けるべきだとは思う。でも何もかも最後まで言っちゃ行けないかというとそうでもないなと思うんだな。
ロンドンで本を読む 最高の書評による読書案内 (知恵の森文庫) | |
丸谷才一編 | |
光文社 |
ああなんか疲れてきた。いろいろ書きたいことはあるんだけど、でもこの本は面白かったし実利もあった。それは、この本を読んで、実際にその本を読んでみたいと思った本が3冊も出てきたこと。この本で取り上げられていたものの中で実際に読んだことがあったのはイシグロの『日の名残り』と村上春樹の『1Q84』だけだったが、丸谷才一編の『ロンドンで本を読む』、絲山秋子『ばかもの』、朝倉かすみ『ロコモーション』の三冊は読んでみたいと思った。丸谷のものはイギリスの本格的な書評の魅力を教えてくれるものだそうで、やはり日本のブックレビューにどうもも物足りなさを感じている当方としてはそういうものを一度読んでみて書評とは本来どうあるべきなんだろうと考えてみてもいいかなと思ったのだ。
ばかもの | |
絲山秋子 | |
新潮社 |
あとの二冊は小説で、絲山秋子に関しては芥川賞受賞作の『沖で待つ』が結構好きだったし、内容紹介を読んでいるとどう考えてもいい作品だとしか思えないので、ぜひ読んでみたいと思った。この書評が三つ取り上げられていて、榎本正樹、豊崎本人、平田俊子の三つで、私が一番魅力を感じたのが豊崎が否定している榎本の書評だった。これはかなり筋を詳細に紹介しているからで、ああここまで書いてるんだなあと思うと読む気になる、と言う風に私は感じた。豊崎のものは何を書いているのか私にはよく理解できないし、むしろ読んだ後にきっとああこういうことを言いたかったんだろうなと理解すればいいやという風に思ってしまうタイプの書評。あまりにも何を言いたいのかわからないけどでもそのある意味での興奮ぶりにきっとものとの小説はすごく面白いんだろうなと感じさせて読む気になるかもしれないなと言う感じもあり、そういう意味では「大八車の後ろを押す書評」としては成功しているのかもしれないとは思う。平田俊子のものを豊崎は絶賛するがそれほどかなと言う気がする。
【小説に何を求めるか】
ああそうか、つまり私と豊崎とでは小説に求めているものがかなり違うのだ。しかし、求めているものは違っても双方が面白いと思う作品はあるのであり、そこが小説の面白いところだったりするんだなと思う。
私は小説と言うのは文体がすごく大きくて、文体が自分の肌合いに合わないとなかなか読めない。相当クールな筋立てで気に入った登場人物たちが出てきても、文体が合わないとかなり苦しい。村上春樹もなれるまでは大変だったなあ。絲山秋子の文体で、こういう筋立てだったら、いったいどんな風に書かれてるのかなととても興味がわく、と思ったのが榎本の書評。豊崎と平田の文章は、絲山秋子の文体を思い起こさせる、私自身がそれをイメージするのに邪魔でしかないのだ。私は文体を味わうのが多分小説をよむことの主目的で、筋立てとか結論とかはわりとどっちでもいいから種明かしとかも基本的には気にならない。何を言いたいのかとか何を示唆しているのかとか何を意図して書いているのかとかそういうことももちろん大事なのだけど、そういうことが書評で一言で言って伝わるなら作者はそんな膨大な作品を書いたりしないわけで、まあ言っちゃったっていいけどだからと言って読まなくてすむと言うものではない。と言うくらいのものなのだと思う。
ああそうだな。もうひとつは、私がミステリがそんなに好きではないと言うことだ。ミステリでよくできた作品とされるのを読んでも、文体的にや心理展開的に無理があったりするとどんなにミステリ的な構造がうまくできていても面白いと思えない。でもこの本が面白いと思われるなら面白がり方が違うんだなとしか思えないから、まあ仕方がないという感じだ。
ロコモーション | |
朝倉 かすみ | |
光文社 |
ああ、話がずれてきたけど、朝倉かすみに話を戻すと、『ロコモーション』はamazonのレビューでくそみそに言ってるのがあったそうで、それに対抗して豊崎自身が筆を採った書評がすごく作品に対する愛に満ち満ちていてすごくいいなと思った。そして朝倉が44歳でデビューした作家だと言うのを知って、あまりにも共感を禁じえず、ぜひ読んでみたいと思ったのだった。
存在の耐えられない軽さ (集英社文庫) | |
クンデラ | |
集英社 |
この本もそうだが、小説には二つのタイプの真理が書かれていると言う話があって、これはベイリーによるクンデラの『存在の耐えられない軽さ』評の冒頭の文章にあるのだけど、ひとつはニーチェやカフカやドストエフスキーの語るような「驚倒と歓喜、畏怖を持って」反応してしまう、人生理解に資する真実であり、もうひとつはトルストイが語るような人生に対するいっそうの励ましを与えてくれるような真実、なのだという。まあ若いころは私も主知主義的な若者であったし、ニーチェ的な真実をほしがったものだけど、確かにそれは「人生を理解する」ためには役に立っても「生きる」ことそのものに役に立ったかと言われるとよくわからない。しかし若いころは馬鹿にしたトルストイ的な「人生への励まし」を示す真実の方が今の自分は読みたいし書きたいなと言う気がする。
そして考えてみたら、しばらくずっと小説を書いてはいたのだけど、読んではいなかったということに気がついたのだ。何かが足りないとしたら、今は小説を読むことが足りないんだと言う考えてみたら至極全うな事実に気づき、そして何を読むべきかまで示唆してくれたわけだから私としてはこの本を読んでよかったとしか言いようがない。
ついでにもうひとつ書いておくならば、陣野敏史による古川日出男『聖家族』評の中にドゥルーズ・ガタリを引用していて、その中に言語のあり方として地方語=母語、都市語=国家語、文化語、神話的・精神的・宗教的言語の四つがあると述べていて、これがわりと私の想像力を刺激した。小説と言うのは常に都市語=国家語に回収されがちになってしまう文章語ではなく、母語への傾向と文化語への傾向、そして神話的言語への傾向を内在した言語運動でもあると思うのだけど、私はその三つの傾向を内在させながら、究極的には届くか届かないかのところにある神話的な言語を呼び出したいと思っているのだなと思ったのだった。おそらくさまざまな文芸、さまざまな小説にあっても、その四つを座標軸にとって、どこにその中心があってどちらの方向に向かって運動しているかがその文芸作品のあり方を示していると言っていいのではないかと思った。まあそれも作者が主観的にどう考えて書いたかと言うことと読み手がどう受け取ったかと言うことの間にはきっとかなりのギャップが生じるはずで、その間の相互理解の不可能性があったりするのだけど、でもまあその作品がどんな空間に存在するのかがわかって面白いのではないかと言う気がする。まあ多くの場合、文化的な言語と言う傾向が強いんだろうなと思うけど。
まあこの辺の論はまた別の機会にでも展開できるといいかな。今日はもうそろそろ休もうと思う。
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