人権派弁護士たちの奇妙な行動の思想的根拠と「ムラの掟」/ジブリの新作公開とベジャール・バレエ:表現の無限の可能性/あなたが世界に変えられないために
Posted at 11/07/17 PermaLink» Tweet
【人権派弁護士たちの奇妙な行動の思想的根拠と「ムラの掟」】
昨日帰京。おとといは友人と飲んだが、帰りがけにも少し前によく話をした人に駅前であって、少し話をした。最近そういうことが多い。特急あずさで上京。社内で食事を済ませ、新聞を熟読。しばらく前から新聞の定期購読をやめてしまったので、時々読む新聞がとても面白いことがよくある。また、毎日読むとなんとなくその新聞の論調に自然に毒されていってしまうところがあるが、たまに読むと批判的に読めるのでその点でも面白い。逆に言えば、ネットの発達によって新聞社は部数のことだけでなく、内容的にも突きつけられるものが多くなってきたなと思う。情報の独占はもうできない。
橋下大阪府知事のツイートで知ったのだが、刑事裁判には1812年に出されたサー・ブルームの『刑事弁護の真髄』以来の伝統があり、「刑事弁護の活動によって国家を社会的混乱に陥れてもそれはやむを得ない。」刑事弁護こそ世の中の最上の価値であり、絶対的正義であるというこの価値観は、今の弁護士業界の中での至上の価値観となって」いるのだという。光市事件の時に橋下弁護士(当時)は番組で弁護団に懲戒請求をかけようと呼びかけて問題提起をしていたが、今回そのことで彼を訴えた被告弁護団側の敗訴が最高裁で決定し、「刑事弁護といえども社会に対し一定の説明責任を持つ」というきわめて常識的な判断が下された。
今までいわゆる人権派弁護士の活動について非常におかしいなと思う部分があったのだが、なぜこの人たちはそんなことを本気でやってるのだろうというところがぜんぜん理解できず、ある種のカルト的な恐ろしさを感じてあまり近づかないようにしていたのだけど、その理由がようやく理解できたように思う。
確かに刑事被告人の利益は損なわれがちで、それを代弁する弁護士があらゆる手を尽くすのは当然だといえるし、また特に19世紀初頭のラッダイト運動弾圧期のイギリスのようなところでそのように戦闘的な刑事弁護思想が生まれたのは理由なしとしない。実際ラッダイト運動の中では死刑になったものもいるのだから。しかし、現代の猟奇殺人事件の犯人を、同じ理屈ではるかに公序良俗に照らして明らかに異常と思えるような形で弁護活動、ないし裁判進行妨害活動を行うことを正当化するためにこういう理屈を持ち出すのはさすがに常識的に考えておかしいだろう。しかし敢えてその非常識な方向に突っ込んでいき、いかに社会的に害毒を流そうとその活動を正しいと強弁し、それを認めないものに敵意を撒き散らすような弁護士集団のあり方がとても正しいとは思えない。一時ツイッターでも弁護士を何人かフォローしていたが、そういう言動が目に付いてほとんどすべてリムーブしてしまった。
橋下氏はこの判決が出ても半世紀くらいは弁護士の考え方は変わらないだろうと言うけれども、いちどでた最高裁判決はきちんとかみ締められるべきで、より納得の行く形での裁判の運営を望みたいと思う。
帰宅後なんとなくBSを見ていたらベジャール率いる20世紀バレエ団の公演をやっていて、とても面白かった。録画し、また見ているうちにうとうとして寝てしまったが、ベジャールを見ながら眠るなんてある種最高の幸せだなと思ったのだった。
おととい友人と酒を飲んで、どうもその後暑さに対する抵抗力が落ちた気がする。私は数年前にエアコンが故障して以来、東京でもエアコンなしで過ごしているが、今日当たりはどうも熱さをすごく感じるというか、どうもなるほどばてるというのはこういう感じかというのを味わっている。簡単に言えば頭が働かない。ブログを書いていても、普段はあまり書かないように心がけている社会的なテーマについて書いてしまったし。とはいえ、刑事弁護の問題は橋下氏に指摘されるまで全然知らず、少し目から鱗が落ちたような気がした。やはりそれぞれの業界の中には業界の中だけで通用する「ムラの掟」みたいなものがあり、外からそれをうかがい知るのはなかなか難しいということがある。特に司法に関してはわからないことは多いなあ正直言って。検察も弁護士も、その実態を知ってみるといいのかそれでと思うようなことが多いけれども、彼らは基本的に戦い慣れているのでなかなか尻尾を出さない。外から見ていると、橋下氏のように親切に教えてくれる人がいないとなかなかうかがい知れないのが実態だなと思う。
【ジブリの新作公開とベジャール・バレエ:表現の無限の可能性】
昨日はスタジオジブリの新作『コクリコ坂から』の公開初日。さて、混雑状況はどんなものだろうか。いずれは見に行こうと思っているのだけど、あまりこんでいない時期、込んでいない場所がいいなと。見に行く相手がいれば別だが。とりあえず公式ホームページを読んでいたら宮崎駿の企画者としてのコメントが出ていて、なかなか興味深かった。今回はファンタジーではないから路線としては『耳をすませば』などに近い。実際、この「コクリコ坂から」について、1980年ごろ『なかよし』に連載され不発に終わったもので、その点『耳をすませば』に似ている、と例によって身も蓋もない指摘をしている。失敗に終わった最大の原因は、少女マンガの文脈が「構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するから」だと指摘している。確かに山岸涼子など一部の例外を除いてそこまで目配りができ、構造を緻密に作り上げた作品はなかなかない。
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「少女マンガは映画になり得るか。その課題が後に「耳をすませば」の企画となった。「コクリコ坂から」も映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。学園闘争が風化しつつも記憶に遺っていた時代には、いかにも時代おくれの感が強かったからだ。/今はちがう。学園闘争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる。/ 「コクリコ坂から」は、人を恋(こ)うる心を初々しく描くものである。少女も少年達も純潔にまっすぐでなければならぬ。異性への憧れと尊敬を失ってはならない。出生の秘密にもたじろがず自分達の力で切りぬけねばならない。それをてらわずに描きたい。」
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学園紛争から40年たって、もう歴史上の事象になってしまったことは確かだ。「耳すま」も今見るともうすでに失われた風景が描かれている感じがするが、1960年代が舞台だとすると相当な過去の感じがする。そういうものはどちらかという高畑勲の担当だった気がするが、もちろん宮崎系のアプローチがなされているのだろう。監督が私が最後まで見る気になれなかった『ゲド戦記』の宮崎吾郎だというのが不安要因ではあるが、まあロードショー期間中には見に行きたいと思う。やはり宮崎駿に対しては表現者としての畏敬の念を私は持っているし、実際にどのような表現が使われているかということに対して非常に関心がある。
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昨夜ベジャールを見ながら思ったけれども、本当に表現というのは無限の可能性がある。ベジャールでも『春の祭典』や『ボレロ』などは肩肘張った感じの表現が多いが、昨日やっていた『アリア』や『80分間世界一周』などはすごくナチュラルな表現が多かったと思う。部分部分には私の好みに合わないところも多かったけれども、私が振り付けならこうするなとか、そういうことを考えながらみるのも楽しいものだなと思った。
ここのところ文章表現についてばかり考えているけれども、表現というのはもともとそんな限定的なものではないのだし、舞台にしろアニメにしろその手段にしかできない表現の道のようなものがあり、そういうものはとてもまぶしく感じる。文章表現でそういうものを実現するためにも、さまざまな表現のきらめきに触れて行きたいと思う。
【あなたが世界に変えられないために】
もうひとつ、これもネット上で見つけて感銘を受けた言葉。ガンジーの言葉だという。
「あなたのおこなう行動が、ほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければなりません。それは世界を変えるためにではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためにです。」
これは以前聞いた覚えがあったし、そのときはもちろん社会的な行動という意味の文脈で受け取っていたけれども、今はまた全然違うように聞こえる。人は常に元気であるとは限らないし、エネルギッシュであるとも限らない。それでも自分は、自分がやりたいこと、自分がそうしようと思うことをやらなければならない。結果がどうなるかがまずは重要ではなく、やることそのものが重要なのだ。世界を変えることがまずは重要ではなく、自分が世界によって変えられないことが重要なのだと。しようと思う自分を放棄すること自体が、世界に対する屈服なのだと。
だから私は書き続けなければいけない。書き続けている限り、負けはない。死ぬまで書き続けることで世界に自分を変えられることなく、むしろ世界を変えるチャンスにめぐり合う機会をもてるのだ、ということだと思った。それは出発点に過ぎないが、一番大事な活動のベースでもある。別役実の「アイ・アム・アリス」もそんな風に読み替えることもできるなと思った。
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