友と飲む/なりたい自分になるためにお金とどう付き合うか/芥川賞受賞者なし:制度疲労か力不足か/シンプルな強さと清濁併せ呑む強さ

Posted at 11/07/16 Comment(2)»

【友と飲む】

昨日。仕事の途中で友人から電話がかかって来て、仕事を終えたあと飲みに行くことになった。10時半頃から飲み始めて、その火のうちに帰ろうと言う話で始めたのだけど、結局1時半になった。あるいて帰って風呂に入って寝たのは2時半ごろ。8時には起きたが、こういう日はどうも体が疲れていて、暑さをよけいに感じる。抵抗力が落ちていると言うことなんだろうなと思う。

まあ話が弾んでどんどん長くなるのはいつものことなのだけど、最初はホブズボームの"The Age of Revolution"の話をしていたのだけどそれからジブリアニメの話になり、クラシックの話になり、ショパンのピアニストは誰がいいかという話になったりして、現実のさまざまな現象の話と言うより大学生の会話みたいな感じになったが、それはそれで面白かった。私はルービンシュタインとパハマンがいいと言う話をしたのだけど、彼はミケランジェリがいいと言い、ミケランジェリは私はあまりまともに聞いたことがないので今週末にでも山野楽器に出かけて探してみようと思った。


【なりたい自分になるためにお金とどのように付き合うか】

稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?
亀田潤一郎
サンマーク出版

亀田潤一郎『稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?』(サンマーク出版、2010)読了。この本は本当に面白かった。縁起担ぎのハウツー本か?と言う感じで読み出したのだけど、もっと全然真摯な本で、題名と中身がかなりギャップがあると言うか、いや、題名も間違ってはいないのだけどそれが示唆する内容とはかなり違っていた感じがする。

この本の内容を一言で言えば、「なりたい自分になるためにはお金とどう付き合っていけばいいか」ということになる。お金との付き合い方の上手下手というのはこういうことなんだというのがよくわかるし、また「なりたい自分になるために頑張っている人に自然な励ましになるような小説を書きたい」と思っている自分にとって、まさに知見に富んだ同志だ、という感じのする内容だった。こういう本は前半だけ面白いものがかなりあるけれども、この本は後半になっても唸らされるところが多く、本当にそうだなあと思う。

「身につけるものが変えれば人生が変わる」と題された節は、まず「人生をより質の高いものに変えるためには、付き合う相手を変えなさい」というよく言われるテーゼから始まる。これは確かに真理だと思うのだけど、当たって砕けろの精神や、若い頃の世間知らずのずうずうしさからどんどんやれるタイプの人をのぞいて、かなり敷居が高いこともまた事実だ。私なども若い頃は自分のやりたいことがはっきりしていなかったから一家を成す人に対してそういうふうにアプローチをかけるのがすごく苦手だった。友人たちは「こういうことをやってるこういう者です」という感じで隔てなくアプローチをかける人たちもいて、羨ましく感じていたものだ。

しかし、それが出来なければ「まずは身につけるものから変えてみる」というアプローチはあると思った。この本のテーマはまず財布をいいものを使えと言うことなのだけど、それによってお金との付き合いがしっかりしたものになるというのが第一のよい点で、特にビジネスに従事し、「お金に好かれる人」ほどそういう外見をちゃんと見ているというのはそのとおりだと思った。まあ『王様の仕立て屋』などはそういうことがなければマンガ自体成り立たないけれども。

そしてそういう小物を買う資金もなければ、「入ってくる情報の質が高くなるように心がける」のだという。この三段階の仕掛けはかなり唸らされた。自分の人生の質を高めるためにテレビ番組も雑誌もやめ、今まで見たこともない本を手にとって読む。インプットの質を高めることでアウトプットの質も高められるし、質の高い情報が入ってくるとセルフイメージも高められると言うわけだ。

自分の人生の質をより高いものにしたいと思うのは、人生においてある種のマンネリになったとき、あるいは危機を乗り切って安定から向上へ関心がシフトしたときだろう。そのときにただ右往左往するのでなく、明確な目標を持って自分の人生の質を高めることを決意する。しかし自分という人間にとってできることとできないことはあるから、できることから手をつけることでセルフイメージを高め、さらに高いものを望んでいくことが、「なりたい自分になる」ためには必須のことだろう。この本はそうした具体的な戦略まで、「お金との付き合い方」を通して、というかそれを中心にして、語っている。そうした内容が必要な人が読めば、まさに干天の慈雨のようなものだろうと思う。


【芥川賞受賞者なし:制度疲労か力不足か】

第145回芥川賞、今回は受賞者なしと言うことになった。それについての山田詠美のコメントを読む。いろいろと回りくどいことも行っているが、結局は円城塔をどう評価するかと言う問題で、彼に芥川賞を与えると言うことに抵抗がある人が選考委員の過半数いたということなのだなと思った。私は彼の読者ではないのでよくわからないが、要するにSF的過ぎると言うことらしい。山田のコメントもいろいろと含蓄があって赴き深いが、要するにまた芥川賞と言う制度というか機関というかがまた時代の変化を読みきれない、機能不全に陥りつつあるということではないかと言う気がする。ちょうど1980年代、まさに山田詠美や島田雅彦、そして誰よりも村上春樹に芥川賞を受賞させそこない、それでいて該当者なしを連発していたあの時期を思い起こさせる。あの時期の反省から1990年代以降原則的に受賞者を出すと言う方向にシフトしたはずなのだが、前回二人の受賞者を出した反動からか、前々回に続いて受賞者なしとなった。まあ円城塔が(読んでないが)村上春樹に匹敵するような存在になったとき、今回の審査員たちはまた忸怩たる思いにとらわれることになるかもしれない。

でもまあ、山田詠美は結局は「出版社には悪いが候補作を集めなきゃいけないというような感じで集められたのではないか」と言っていて、要するにレベルが低かった、ということを言いたかったようだ。まあこういうものにはいろいろな人のいろいろな意見があるからなかなか難しいかもしれないなとは思うけれども。


【シンプルな強さと清濁併せ呑む強さ】

友人と話して思ったことだけど、男性よりも女性の方が人格構成がシンプルな人が多いような気がした。私などは意識してシンプルにシンプルに持っていこうとしているけれども、それでも女性の友人と話していると自分がものすごく複雑な面倒くさい人間であるような気がしてきてしまうことがよくあるのだが、男性の友人と話すと私の方がはるかにシンプルであると感じることがある。その複雑さが含蓄があるなあと思う人はなかなかいいなあと思うし、その複雑さが単にひねくれているというように見える人は面倒くさいのだけど、男の方が複雑であることが多いということはあるのではないかという気がした。

自分が危機的状況にあるとき、男の複雑さに救われるか女性のシンプルさに救われるかと言うと、やはりシンプルな強さに救われることが多かったように思うし、だから一時期本当に付き合える友達は女性ばかり、みたいな感じになっていたときがあった。ただ一家を構えて全てを飲み込みつつ前進して行く男の力強さのようなものをきちんと意識できるようになると、その馬力のすごさと言うものには驚かされることがままある。清濁併せ飲むが故の強さというか。私などはシンプル指向で非力であるけれども、そういう人を見ていると頼もしいと言うか、自分が少し力になってあげることでさらに馬力が高まると言うこともあるんじゃないかと感じることがある。

「なりたい自分になることが自然と励まされるような小説」を書くと言うことは多分、自分の納得のために書くという面もあるのだけれども、読んでもらう人の力になりたいと言うことも当然あるわけで、そうなると情けは人のためならずというか、また自分に返ってくるものがあって、それは嬉しいことだなと思った。

"友と飲む/なりたい自分になるためにお金とどう付き合うか/芥川賞受賞者なし:制度疲労か力不足か/シンプルな強さと清濁併せ呑む強さ"へのコメント

CommentData » Posted by Ken-T at 11/07/22

ちょっと体調が悪いようですが大丈夫でしょうか。やはり運動が一番だと思います。私も43歳独身。ついつい自分の気ままペースで生活していますが、時々はジョギングとかしてます・・・
ただ、肺はついてきますが足がついてこなくて・・・年です。
今日は仕事でこんなことがありました。目上にに向かって「こら、まて!」という部下の発言。
これは男の複雑さから来るのかなと、本文章を読んで感じました。
単純な人なら、「言っては悪い」という常識で止められるはず。しかし、男のプライドとか価値観とか・・・
今、とても大きな仕事をしていまして、私情に偏らず私なりの進むべく道、提言すべき思いを吐き出している毎日。小説に込める思いと同じく、これで私も腰を痛めているかとも思ったりして・・・
「男の複雑さ」~新渡戸稲造の愛読書「菜根譚」や老子を読んでいる今日この頃、これらが男の複雑さを生む要因の一つかとも思いました。思想をもつことをもとめる日本の男たち。
自分の思想を信じつつ、敵ばかり作る毎日、進むべきと信じる道ながらも、「こりゃ独身者しかできんな。」とも感じています。
司馬遼太郎も言っているのですが、「原理をもたぬ日本人」が持つべきものは「独立の精神」。
ちょっと厳めしくもあり、諭吉っぽくてださいかもしれませんが。
そんないろんなことを考えて、世界的には人気のない日本男児が世界の女性にもてる時代はやはり来ないでしょうねえ~。でも、あなたの多くの女性とのお付き合いのできる環境はうらやましいです。ぜひ、シンプルな日本女性についての発見をまた掲載してみてください。
日本生命のコマーシャルを見ると、元気まっしぐらな女性が見えてくるのですが、現実はどんなものでしょう?

CommentData » Posted by kous37 at 11/07/22

コメントありがとうございます。まあおおむね体調の波という程度のもので、そう大げさなものではないのですが、日記的に書いてしまうと凄く悪いような感じになってしまって、ちょっといかんなあと思いました。

私もそんなに女性に接する機会が多いわけではないですよ。(笑)今までの人生の中の経験を振り返ってみてそう思うということです。昔はそういう機会が多い時期もあったことはありましたが。

部下の方の暴言、ちょっと驚いてしまいますね。「社会人慣れ」していない方なのか、切れてしまったのか。まあ男の社会は複雑な形で負担がかかってくることは間違いないですが。

まあその複雑さに負けず、常に前を向いて、上を目指していられる強さみたいなものを持っていたいものだと思います。

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